山根一眞の調べもの極意伝バナー

山根一眞の調べもの極意伝

第14回 鳥と恐竜のミッシングリング(後編)

2016年4月21日 山根一眞
 「調べもの」は、単に探していた資料が見つかればいい、というものではない。知りたいことについて最適の資料を手にしても、その内容を十分に理解できなければ意味がない。そこで、入手した資料を「わかりやすく整理」することは、大事な「調べもの」の技なのです。

エディターを使い予稿テキストを見やすく「整理」

 その具体例として、「恐竜が鳥へと進化した道筋や研究の歩みを調べ十分に理解する」ために、私がどのような「調べもの」の技を駆使したかを披露します。
 このテーマで探し求めてやっと手にしたのが、「中国地質科学院地質研究所の季強(ジー・チャン)教授の講演予稿」だった。
 2008年に福井県立恐竜博物館は、かなり大規模な「国際恐竜シンポジウム2008」を開催した。そのシンポジウムで、「中国の羽毛恐竜と鳥類の起源」という講演を行ったのが、羽毛恐竜の研究者である季強教授だった。
 8年ほど前の講演ではあるが、季強教授の講演は、「始祖鳥」の発見以降、およそ150年にわたる発見と研究の流れを理解するにはとてもよい資料なのである。また、中国では羽毛恐竜などの化石が多数産出しており、この分野での研究がとても進んでいるのだ。
 ちなみに中国地質科学院地質研究所について、福井県立恐竜博物館の資料はこう解説している。
 中国地質科学院地質研究所は中国北京市内にあり、地質学、古生物学、岩石学、同位体地質学など中国全土の地質学に関する研究に従事している国立研究センターの一つである。1956年に設立されて、現在200人以上の国内外の研究職員が研究活動を行っている。その研究水準は高く、研究成果は中国全土の地質図作成にはじまり、中国国内や海外の学術研究雑誌に多くの論文が発表されるなど、地質学の分野において大きく貢献している。また、外国の研究機関との共同研究プロジェクトも数多く手がけており、活発な研究が現在も行われている。
 入手した資料は、「国際恐竜シンポジウム2008~アジアの恐竜研究最前線?」の「講演予稿集」(全74ページ)に含まれていた。講演に先立って、全講演者が講演で話す内容を事前に簡潔に記したものだ。
 これは、以下で読むことができる(PDFフォーマット)。
 「国際恐竜シンポジウム2008」は、基調講演も含めて2日間に19もの講演が行われたのだが、季教授の講演は3月22日の7番目、予稿集の47~49ページにある。
季強教授の予稿はA4判でわずか2ページとちょっとだったが……。
 わずか2ページ弱なので読み解くのは楽だろうと思ったのだが、文章は改行がほとんどなく文字がぎっしりと詰まっていて、内容はきわめて濃密。それだけに何とも読みにくかった。
3ページ分を並べるとこんな感じだ。
 限られたスペースに情報を詰め込まなくてはならない「紙資料」では、こういう詰まった文書は往々にしてある。それをわかりやすくするためには、元の文章の内容は維持したまま、改行や特定のワードや文字列に色をつけるなどして、読みやすく「整理」することから始めるのが私のやり方だ。
 その作業では、高機能すぎるMicrosoft Wordのような文章作成ソフトは扱いにくいので、軽く使えそこそこの機能があるエディターを使った。私はMacユーザーなのでMac用のエディター(指定部分のフォントや文字サイズ、色も指定できるソフト)を使ったが、自分のPCに見合った高機能エディターを選べばよいだろう(無料で使えるものも多い)。
 そのエディターを使い、季教授の予稿テキストを見やすく「整理」したのが以下だ。
 このテキストの「整理作業」のポイントは、以下だ。
 
1) 元のデータはPDFなので、文字のみを全文をコピーしエディターに貼り付けた。
2) 文字列をコピーできるPDFでも、単なるコピペではよけいな半角スペースが混じったり、コピーできていない文字があるのが常。よって、元のデータと比較して修正をしておく。
3) エディター上に移した文章を読みながら、内容のまとまりごとに改行を入れ、スペース行を加える。
4) 年代順に発見研究史が語られているので「年」の文字色は赤にする。
5) 必要であれば「年」を小見出しとして独立させて前後にスペース行を入れる。
6) 「人名」の文字色は緑にする。
7) 恐竜の「学名」は青の斜体にする(斜体にするのは学名表記のルールのため)。「学名」の記載がないものは調べて加えておく。
8) 恐竜の「日本語名(通称)」は、学名の後に、( )内に入れる。
 
 こうしてできあがったテキストはとても読みやすいものになったが、20を超える恐竜などの種が繰り返し登場している。それらは馴染みのない種が多く、文字で読むだけではほとんど理解ができなかった。
 その原因は簡単。
 それぞれの羽毛恐竜などの「イメージ」が頭に浮かべられないからなのだ。
 そこで、このテキストの「種名」の部分に恐竜等の「画像」を付けた。そこでまず、学名の恐竜の図を探しやすいよう恐竜名のみを選び出したリストを作成した。
 
書き出した恐竜の「種名」には、重複や種と属の混在、「和名」が文献によっては異なるものがあるなどしばしば頭を抱えたが、20数種の恐竜や原始的な鳥類について福井県立恐竜博物館の文献を頼りに確認。見つからなかったものは、各国の恐竜博物館や自然史博物館などで探した。
 次に、このリストにしたがって、わかりやすい「生体復元図」や「生体復元模型の写真」を探した。恐竜の化石は体を構成する骨が100%揃って発見されることは少ないため、生体の復元図や模型はその不完全な骨格標本にもとづいて描かれ、作られていることが少なくない。そこで、「生体の復元図や模型」と合わせて、産出時の「化石写真」やクリーニング後の「骨格」、「骨格のイメージ」図などをペアで揃えることにした(これらの写真や図を文献やネット上で探す作業は、想像をはるかに超えるとてつもなく大変で何度も挫折しそうになりました)。
収集作業中の画像ノート(画像処理ソフト、Photoshop Elementに貼り付けていった)。
 こうして揃った「生体復元図・模型(の写真)」と「化石・骨格」の対の画像をすべて同じ横長のカードサイズにまとめて、準備が整った。
 キーパーソンについては、可能なものは人物像を探して挿入した。
 なお、予稿集のテキストにはさみ込んだ恐竜の化石や骨格図は、必ずしも季強教授が話している「産地」のものとは限らず、他の場所で、別の時に得た同種である場合もありますので、お断りしておきます。

調べ尽くしてビジュアル化した成果<論文1>

こうして何とか作ることができた「図解版・季強教授の中国の羽毛恐竜と鳥類の起源」をどうぞご覧下さい。

鳥類の起源は国際的な重要課題であり科学者にとって取り組むべき興味のある問題である。
研究の歴史は19世紀半ばまで遡ることができる。
1860年(万延元年)、一枚の化石化した羽根がドイツ、ババリアのジュラ紀後期の礁湖の石灰岩の地層から発見された。そして1861年(文久元年)には同じ地方から奇妙な動物の骨格が発見された。
鳥のような翼と羽根を持ち、しかし同時に長い骨のある尾と獣脚類恐竜に見られる歯のある顎を持っていた。これがドイツの重要な財産であるArchaeopteryx(アーケオプテリクス・始祖鳥)で、世界的に140年以上にわたってよく知られているものである。

1860年代初期には、しかしながら科学者たちは鳥類の祖先が恐竜に由来する可能性があるとは考えもしなかった。
1860年代の末、トマス・ヘンリー・ハクスリーが最初に恐竜と鳥類を結びつけた。

イギリスの生物学者、トマス・ヘンリー・ハクスリー(1825-1895) 出典:http://ihm.nlm.nih.gov

ハクスリーは、ダチョウとメガロサウルス(巨大な獣脚類の恐竜)の解剖学的比較から、 Struthio camelus (ダチョウ)と Megalosau Beipiaosaurusrus(メガロサウルス)が共通する35の特徴を持つことを発見し、鳥類が恐竜と密接な関係にある可能性を指摘した。


しかし当時は鳥類が恐竜の子孫であるというハクスリーの考えは好遇されず、ほとんどの科学者によって Struthio camelus (ダチョウ)とMegalosaurus(メガロサウルス)に共通したすべての特徴は独立して進化したものだとの議論がなされた。
彼らは恐竜が鳥類を生み出したのかどうか確信がなかった。
事実、多くの非恐竜説、例えばテコドント説、ワニ近縁説、恐竜近縁説、主竜類説などが当時の学界の主流の地位を占めていたのである。


イェール大学のジョン・オストローム(1928~2005)は最も著名な古生物学者だった。

アメリカの古生物学者、ジョン・H・オストローム(1928~2005) 出典:PALEONTOLOGICAL STUDIES#1B38134

彼は Deinonychus(デイノニクス)、Compsognathus(コンプソグナトス)、そして Archaeopteryx(始祖鳥)の解剖学的な比較を行っている間にこの3種の動物の多くの類似性に衝撃を受けた。

彼は、鳥は小型の獣脚類に由来すると信じ、この説を復活させた。
それ以来、彼の説に賛同する科学者の数は増え、鳥類の起源の研究について多くの調査が行われた。

ジャック・ゴーティエ(イェール大学教授)。出典:https://brucemuseum.org

彼は鳥類の最も近い絶滅した同類は小型の獣脚類であるというオストロームの考えを強く追認した。
しかし1970年代から80年代の間、鳥類の起源の問題は熱心な議論の的となっていた。
なぜなら鳥類と獣脚類恐竜の間には依然大きな隔たりが存在しており、鳥へと推移する新しい動物が世界のどこからも発見されず古生物学的な証拠がなかったからである。
決定的証拠となる化石発見<論文2>
1995年(平成7年)に、Hou Lianhaiと同僚たちが、

Hou Lianhai(ホウ・リャンハイ、侯連海・中国科学院古脊椎動物與古人類研究所教授)出典:http://www.dino-pantheon.com/museumreport/hou.html

化石鳥 Confuciusornis(孔子鳥)をが中国遼寧省西部のYixan(義県)層で発見したと報告を行った。

この鳥は嘴と尾端骨、風切り羽根のある二枚の翼を持った最初の原始的な鳥だった。孔子鳥は飛べたと考えられている。
孔子鳥の発見は、私が思うに中国の鳥類の起源についての研究の幕をあけた大変重要なものである。
1996年、Ji Qiang(季強)とJi Shuanが

Ji Qiang(ジー・クアング、季強・中国地質科学院地質研究所教授、この講演を行った研究者)出典:FPDM

中国遼寧省西部のSihetun地方でYixan層の下部から小型の獣脚類恐竜 Sinosauropteryx prima(シノサウロプテリクス・プリマ)を報告した。

Sinosauropteryx (シノサウロプテリクス)は、Confuciusornis sanctus(コンフキウソルニス・孔子鳥)と大変よく似ているが、違いは前者には3本指の指手があり、長い骨のある尾と短い繊維状の構造物が体全体を覆っていたことである。この繊維状のものを羽根の祖系と呼ぶ科学者もいる。あるいは現代の羽根の前駆体と呼ばれることもある。

どちらにしろ、これは確かに毛の相同物よりも羽根の相同物である。
しかし中国の研究者の中にはこの構造物を「毛」と考え、 Sinosauropteryx(シノサウロプテリクス)はCompsognathus(コンプソグナトス)と同じものであるとし、

Sinosauropteryx(シノサウロプテリクス)という名前は無効であるとしている。
どちらにしても Sinosauropteryx(シノサウロプテリクス)は世界で最初に発見された羽毛で覆われた獣脚類恐竜であり、その発見は恐竜と鳥類との関係を蘇らせ、世界的な鳥類の起源の研究を進展させたのである。

1997年、Ji QiangとJi Shuanは2体目の羽根に被われた獣脚類恐竜 Protarchaeopteryx robusta(プロターケオプテリクス)を、再び遼寧省西部北票に近いSihetunの化石発掘現場で発見した。

これは尾の先端にはっきりとした本物の羽根を持っていた。しかし何人かの専門家は尾の羽根は Protarchaeopteryx (プロターケオプテリクス)のものではないと考えた。この動物の標本を見たことがないにもかかわらず、である。
彼らはこの獣脚類恐竜の骨格が不自然にも正体不明の鳥の羽の上に横たわっていた可能性があると想像したのである。
しかし事実は議論より強い。
現在ではProtarchaeopteryx(プロターケオプテリクス)が原羽毛を発達させ、さらに現代的な羽根を持っていたことは広く受け入れられている。
1998年、Ji Qiang、Philip Currie、Mark Norell、Ji Shu-an が3体目の羽毛のある恐竜、Caudipteryx zoui(カウディプテリクス)を報告した。

賛成しない人たち<論文3>

1998年の Caudipteryx (カウディプテリクス)は古生物学にとって大きな出来事だった。
Caudipteryx はシチメンチョウほどの大きさの生き物で長く強い後ろ脚を持っていて、おそらくは走るのが得意だったと考えられる。良く発達した短い翼のような前足を持っていて、左右対称の風切り羽根があった。
これらは飛ぶには短すぎるのは明らかだった。
Caudipteryxは保存状態の良い叉骨と小さな三角形に近い頭骨を持っていた。口の前の方にだけ数少ない長い歯があって、Caudipteryx の砂のうのあった位置には、たくさんの胃石があった。
しかしながら、獣脚類恐竜から鳥類が発生したという考えに賛成しない人たちもいる。
彼らは Caudipteryx は獣脚類恐竜ではなく鳥であると考えた。
なぜなら鳥のような翼を持ち、完成された羽根を持っていたからである。
分岐論による分析によればCaudipteryx は、Oviraptor (オヴィラプトル)に近い恐竜で、鳥類よりもずっと原始的である。

1999年(平成11年)前半に国際シンポジウム「鳥類の起源と初期の進化に関するオストロームシンポジウム」がイェール大学で開かれた。
この期間中に世界の様々な大陸から集まったおよそ50名の科学者たちの間で、
「恐竜は全く絶滅してしまったのではない。現代の鳥は明らかに恐竜の生きている姿である」
という考えが広く受け入れられた。イェール大学でおこなわれた「オストロームシンポジウム」は画期的な学術会議だった。
ここで最近の中国の発見である Sinosauropteryx(シノサウロプテリクス)、Protarchaeopteryx (プロターケオプテリクス)、Caudipteryx (カウディプテリクス)に基づいて鳥類の起源についての問題が解決したからである。

1999年のイェール大学でのシンポジウム以来、我々はある疑問にもっと注意を向けるようになった。
例えば、「鳥類の定義とはなにか?」そして「獣脚類のどのグループが鳥類と最も近いのか?」などである。
2000年代の羽毛恐竜研究<論文4>
1999年から2000年の間、徐星(Xu Xing)と他の研究者が3例の羽毛を持った獣脚類恐竜を報告した。
Beipiaosaurus(ベイピヤオサウルス)、Sinornithosaurus(シノルニトサウルス)、Microraptor(ミクロラプトル)である。

2001年(平成13年)の4月には Ji Qiang、Mark Norell、GaoKe-qin、JiShu-an、RenDong が小型で全身を羽根で覆われた Dromaeosaurus(ドロマエオサウルス類)の Sinornithosaurus(シノルニトサウルス)を報告している。

2002年(平成14年)には、Mark Norell、 Ji Qiang、Gao Keqin、Yuan Chongxi、ZaoYinbin、Wang Lixia 等が遼寧省西部で「現代的な羽根」を持った小型の恐竜である Dromaeosaurus (ドロマエオサウルス類)の Microraptor(ミクロラプトル)を発見した。

2002年には Ji Qiangと他の研究者が2種類の鳥類に分類される Shenzhouraptor(シェンゾウラプトル)と Jixiangornis(ジシャンゴルニス)を最初に遼寧省西部のJiufotang層で報告した。

2003年(平成15年)には Ji Qiangと他の研究者が遼寧省西部のYixian層の最下部で Ornithomimosauria (オルニトミモサウルス科)の獣脚類であるShenzhousaurus(シェンゾウサウルス)を発見報告した。

2004年(平成16年)に Sunny H. Hwangは、Mark Norell、 Ji Qiang、Gao Keqinらとともに、遼寧省西部のYixian層で発掘された新しい Compsognathus (コンプソグナトス科)の獣脚類である Huaxiagnathus(ヒュアキシアグナトゥス)を記載した。

2005年(平成17年)のはじめには新しい長い尾を持った鳥類に分類される鳥 Jinfengopteryx(ジンフェンゴプテリクス・華美金鳳鳥)が中国河北省のFengning郡の白亜紀前期のQiautou層からJi QiangとJi Shu-anによって発掘されている。

彼らは Jinfengopteryx(ジンフェンゴプテリクス)は類縁である始祖鳥と非常に多くの類似点がある。従って Jinfengopteryx(ジンフェンゴプテリクス)の発見は我々が初期鳥類の進化を理解する上で大変重要であるとした(註・後の系統解析の研究などから現在はトロオドンの仲間とされている)。
2006年(平成18年)には中国甘粛省Changma盆地の白亜紀前期の地層からYou Hailu と他の研究者が多数の Gansus(ガンスス)の標本を発見した。これは真鳥類の最も古い記録である。

2007年(平成19年)には Ji Shu-an、Ji Qiangと他の研究者が新しい巨大なCompsognathus (コンプソグナトス科)獣脚類 Sinocalliopteryx(シノカリオプテリクス)を中国、遼寧省西部のYixian層下層から報告している。

これらの中国での発見は現生種と絶滅種を含めたすべての鳥類が、小型の肉食獣脚類恐竜から発生したとの説を支持している。
別の言い方をすれば、現代の鳥類は小型獣脚類恐竜の羽根を持った、生きている子孫である。
2000年(平成20年)6月30日、中華人民共和国主席江沢民は、「古生物学は中国の科学者が広範囲に及ぶ国際協力をおこなう主要な部門であり、中国と他の国々に利をもたらすものである」と指摘した。
1979年(昭和54年)から中国は「開放政策」と「社会科学改革」を国家政策としており、これにより国際科学協力を大いに推進し、中国の科学研究の発達に進歩をもたらし、世界の人々に対する科学情報の効率的な普及を潤滑にした。遼寧省西部における中生代熱河生物群(Jehol biota)の協力的共同研究、特に鳥類の起源の研究はこのような国際協力から利益を受けた多くの科学研究の代表的な結果の1つである。最後に、私は中国国土資源省、中国科学技術省、中国国家自然科学基金のご支援に感謝するものである。

以上が、「図解版・季強教授の中国の羽毛恐竜と鳥類の起源」です。

図解化によって整理され頭に入る知識

この図解化にはとてつもなく時間がかかってしまったが、こうして図が入ることで、「恐竜→羽毛恐竜→鳥」への進化の道筋と、その進化を立証する研究史のあらましが、やっと頭入った。
図などが必ずしも正確ではない可能性もあるが、あくまでも「図解という加工による「調べものの」の技のひとつとして受けとめて下さい。
ところで季強教授の講演が行われたのは2008年なので、すでに8年が過ぎている。科学の世界では、新しい思いがけない発見や研究の進歩があるものだが、羽毛恐竜の世界でも、中国で思いがけない羽毛恐竜の化石が発見されている。
これまで羽毛恐竜は小型というのが定説だったが、新たに発見されたきわめて大型の恐竜が羽毛を持っていたのである。
もっともそれは「空を飛ぶ鳥への進化」につながる恐竜ではなく、体温維持などのために羽毛を持つようになったのだろうと考えられている。
そういう新しい発見があっても、1860年代の始祖鳥の発見から2008年まで148年間の「発見と研究、議論」の流れが頭に入っていれば、新発見の意味が容易に理解できる。
人の大脳皮質で最も大きく占めているのは「視覚」だ。
文章だけではよくわからない時には、さまざまな方法で図解をすることが、「調べもの」の極意のひとつなのです。
<第14回了>
『山根一眞の調べもの極意伝』は今回をもって第一部終了とさせていただきます。

プロフィール

山根 一眞

ノンフィクション作家・獨協大学特任教授 1947年、東京生まれ。獨協大学外国語学部ドイツ語学科卒。20代からジャーナリズムの仕事を開始。先端科学技術や情報分野、アマゾン環境問題など広いテーマで「謎」を追い求めてきた。NHK総合テレビでキャスターを7年こなし、北九州博覧祭では「ものつくりメタルカラー館」の、愛・地球博では愛知県の総合プロデューサーをつとめた。2009年から母校で経済学部特任教授として環境学や宇宙・深海、生物多様性などをテーマに教鞭もとっている。3.11で壊滅した三陸漁村・大指の支援活動も続けている。主な著書に単行本と文庫本25冊を刊行した「Made in Japan」を担うエンジニアたちとの対談『メタルカラーの時代』シリーズ(小学館)、『環業革命』(講談社)、『小惑星探査機はやぶさの大冒険』(マガジンハウス、東映で映画化)、『小惑星探査機はやぶさ2の大挑戦』(講談社)など多数。『日経ビジネスONLINE』では「ポスト3.11日本の力」「山根一眞のよろず反射鏡」を連載中、福島第一原発の廃炉技術も追い続けている。理化学研究所相談役、日本生態系協会理事、宇宙航空研究開発機構客員、福井県文化顧問、2018年国民体育大会(福井県)式典総合プロデューサーなど。日本文藝家協会会員。

山根一眞オフィシャルサイト新しいウィンドウ

コラム記事一覧

現在連載中

過去のコラム