そのことば、江戸っ子だってね!?
概要
私たちが何気なく使っていることばの多くが、じつは江戸生まれだってご存じでしたか?
「江戸っ子」なことばたちを、江戸の人たちがどうやって生み出し、どのように育てていったのか、「へえ~」と思わずいいたくなる知識を、黄表紙や浮世絵の絵などとともにご紹介していきます。
プロフィール
棚橋正博(たなはしまさひろ)
1947年秋田県生まれ。 早稲田大学大学院講師。早稲田大学大学院修了。日本近世文学専攻。文学博士。 知られざる江戸の風俗文化を多くの人々に伝えることを使命としている。テレビや講演会などでも活躍中。 著書は『式亭三馬』(ぺりかん社)、『十返舎一九』(新典社)、『江戸の道楽』(講談社)、『江戸戯作草紙』『教科書が載せられない名文』『捏造されたヒーロー遠山金四郎』(小学館)など。
棚橋正博の公式サイトコラム記事一覧
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第56回 正月の餅
正月といえば、神棚に餅(もち)を備え、元旦には雑煮やおせち料理をいただいたものであるが、最近は、デパ地下や通販のおせち料理の「お取り寄せ」が花盛りで、雑煮とおせち料理をホテルで堪能するというような手抜き派もいたようだ。カレーを食べて新春を祝おうというTVコマーシャルにも驚かなくなった。 私は、十代の頃からほぼ30年間、暮れに餅搗(つ)きをしたのを思い出す。相撲や柔道で鍛(きた)えた猛者(もさ)…
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第55回 大福と才蔵市
大福(だいふく)とは、餡(あん)を餅(もち)で包んだ「大福餅」のことである。大福餅は江戸時代にすでにあったが、その歴史はあんがい新しい。 今では、イチゴを大福餅の餡の中に入れたイチゴ大福なるものもあり、イチゴと大福餅ではミスマッチかと思いきや、これが以外とマッチするから人間のアイディアは面白い。ただ、甘い餡と少し酸っぱいイチゴの取り合わせだからいいのであって、塩餡にイチゴだったらどうだったか。…
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第54回 浅草寺の年の市
街のあちこちから、ジングルベルの音楽が聞こえている。 最近では、11月からサンタクロースの人形やクリスマスツリーが飾られ、おせち料理の宣伝もにぎやかに、季節の風物詩が先取りされるようになったが、「年の瀬」の季節感はだんだんと失われつつあるようだ。 「年の瀬」と聞くと、宝井其角(たからいきかく)の「年の瀬や水の流れと人の身は」の発句を思い起こす方もあるかも知れない。 赤穂浪士(あこうろうし)…
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第53回 酉の市と大火
今年は、酉(とり)の市が三の酉まであった。「酉の市」は、毎年11月に台東区の鷲神社(おおとりじんじゃ)、新宿区の花園神社などで行われている祭礼で、幸福や富を引き寄せるという熊手(くまで)を売る店が参道に並び、参詣の人々で大変にぎわう。11月のはじめの酉の日を「一の酉」、以下「二の酉」「三の酉」と呼ぶ。「三の酉」まである年は、災厄が多い年といわれている。 酉の市の発祥は、郊外の花又村(はなまたむら…
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第52回 顔見世興行と千両役者
今年4月にオープンした新歌舞伎座では、11月1日から顔見世(かおみせ)大歌舞伎『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』がはじまっている。顔見世大歌舞伎は、通常の月よりも豪華な顔ぶれで華やかに行われ、江戸時代の名残りを見せている。 江戸の顔見世興行(こうぎょう)も11月に行われていた(大坂では新年正月)。もちろん江戸時代は旧暦であるから、今年で言えば、旧暦11月1日は12月3日である。 江戸…
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第51回「七五三」は縁起がいい
「七五三(しちごさん)」は年々派手になっているような気がする。「七五三」は、男児は数えで3歳と5歳、女児は数えで3歳と7歳の11月15日に行う祝儀で、正装して氏神さまなどにお参りする。最近では、11月になると着飾った親子連れで神社が賑わっているのを目にする。 少子化のこの時代、子どもにお金をかけるのがトレンドなのであろうが、お祝いする子どもの孫親(おじいちゃん、おばあちゃん)が晴れ着を買ってくれ…
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第50回 にべもない
秋刀魚(さんま)の美味しい季節になった。 猛暑の影響で不漁が心配されたが、やっと豊漁になったようである。秋刀魚といえば落語『目黒のさんま』を思い出す人もあるだろうが、季節の回遊魚である秋刀魚の漁法が普及したのは江戸時代後期以降のことであり、江戸の庶民には鰯(いわし)や鯖(さば)のほうが身近であった。 一尾ずつ数えるのが面倒なので、大雑把(おおざっぱ)に数えることを「鯖をよむ」というようになったと…
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第49回 芋名月
今年の仲秋(ちゅうしゅう)の名月(旧暦の8月15日の月)は9月19日。首都圏では、中天に浮かぶ丸い大きな月を眺めて夜を過ごした人もいただろう。 旧暦では7月、8月、9月が秋の季節ということで、真ん中の8月の月であることから仲秋(中秋)の名月と呼びならわした。明るい月だから「明月」と詠(よ)んだのは中国の古い漢詩で、日本の漢詩でも「明月」と詠む。日本の和歌や俳諧では漢語を使うのをタブーとしたために、…
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第48回 遊女瀬川のファッションセンス
今年の9月5日は、旧暦でいうと8月1日、八朔(はっさく)にあたった。八朔の日の吉原の行事については、23回「八朔と吉原」を参考までにご覧戴きたい。 元禄2年(1689)頃から、吉原のメーンストリートである中の町通りで大見世(おおみせ)を張っていた遊女屋の松葉屋が名代(なだい)の看板遊女としていたのが「瀬川」である。瀬川は初代から六代が著名だった。 初代瀬川は享保7年(1722)4月に吉原で仇討(…
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第47回 秋を告げる松虫・鈴虫の鳴き声は?
残暑に汗を流す毎日である。昼間はまだまだ蝉(せみ)がにぎやかである。夜になると虫の音がちらほら聞こえるが、今年の猛暑はなかなか秋の訪れを感じさせてくれない。 童謡「虫のこえ」以来、「あれ松虫が鳴いているチンチロチンチロチンチロリン あれ鈴虫も鳴き出してリンリンリンリンリインリン」と、「チンチロリン」と鳴くのは松虫と決まったようだが、江戸人たちの耳にも「チンチロリン」は松虫、鈴虫は「リンリンリン」…
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