そのことば、江戸っ子だってね!?
概要
私たちが何気なく使っていることばの多くが、じつは江戸生まれだってご存じでしたか?
「江戸っ子」なことばたちを、江戸の人たちがどうやって生み出し、どのように育てていったのか、「へえ~」と思わずいいたくなる知識を、黄表紙や浮世絵の絵などとともにご紹介していきます。
プロフィール
棚橋正博(たなはしまさひろ)
1947年秋田県生まれ。 早稲田大学大学院講師。早稲田大学大学院修了。日本近世文学専攻。文学博士。 知られざる江戸の風俗文化を多くの人々に伝えることを使命としている。テレビや講演会などでも活躍中。 著書は『式亭三馬』(ぺりかん社)、『十返舎一九』(新典社)、『江戸の道楽』(講談社)、『江戸戯作草紙』『教科書が載せられない名文』『捏造されたヒーロー遠山金四郎』(小学館)など。
棚橋正博の公式サイトコラム記事一覧
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第116回 焼きがまわる
日本もいよいよ高齢化社会を迎え、年配の人たちは時折、「俺も焼きがまわった」というような言い方をする。若い人には馴染(なじ)みの薄い言葉かも知れない。頭の働きや腕前などが往時の鋭さがなく衰えたことを形容する語である。「焼きが戻る」も同義だとするが、こちらはあまり一般的に使われずに廃(すた)ってしまったようである。 江島其磧(えじまきせき)の浮世草子(うきよぞうし)『世間娘気質(せけんむすめかたぎ)…
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第115回 「てこずる」と「気の毒」
参議院議員選挙は与野党の争点がかみ合わないようで、片や憲法問題、片や経済のアベノミクスをこのまま推進するということだが、高齢化社会を迎えた日本経済が今後どうなるかに関心は高く、争点の一つともなっている。 高齢化社会の経済問題が複雑であるから難しいというのが本当のところだろう。日本経済の失速とデフレからの脱却、景気回復には政府も日本銀行も「てこずる」だけ、実効のあがる経済政策の舵取りはなかなか難…
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第114回 猫ばば
「猫」がブームである。女性誌やさまざまなグッズにも取り上げられ、巷(ちまた)に「猫」があふれている。つい最近まで小型犬ブームだと思っていたら、世の中は知らぬ間に移り変わっていた。 「猫」の諺(ことわざ)は、「猫に小判」「猫に鰹節(かつぶし)」「猫を被(かぶ)る」「鼠とらぬ猫」「猫の手も借りたい」などたくさんある。猫は、愛玩物としてかわいい反面、どうも役に立たない感もある。 「猫ばば」とい…
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第113回 江戸っ子と傘と日傘
ツツジとサツキの花が終わると間もなく梅雨入りだが、今年は空梅雨でもなさそうな予報だから、にわかの天候変わりに備えて傘を持ち歩かなければいけない季節でもある。最近では梅雨入り前の突然の猛暑に襲われ、傘が日傘に変わることもあるので、江戸っ子の傘と日傘事情について書いてみようと思う。 江戸時代も平和になって少しずつ豊かになってきた万治2年(1659)、町中を傘を「振り売り」する商売人(日傭人。ひようにん…
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第112回 「べらぼうめ」と「べらんめえ」
夏目漱石の『吾輩は猫である』が、朝日新聞で復刻連載されている。つい先だっても、車屋の黒猫が「べらぼうめ」と言う場面があった。江戸っ子の漱石は、銭湯の客に「べらぼうにぬるい」と文句を言わせたり、『坊ちゃん』では、蒲団(ふとん)に入れられたバッタをイナゴと言われたとき、江戸っ子の坊ちゃんに「べらぼうめ」と啖呵(たんか)を切らせている。 「べらぼうめ」と聞いて、落語の「大工調(だいくしら)べ」を思い出す…
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第111回 おそ松くんと江戸の三つ子
「おそ松さん」のアニメが人気になっているという。1960年代に人気があった赤塚不二夫(あかつかふじお)のマンガ「おそ松くん」が大人になったバージョンなんだそうな。 「おそ松くん」といえば半ダースの六つ子が主人公のギャグマンガで、その名は「おそ松」「一松」「チョロ松」「カラ松」「トド松」「十四松」である。 六つ子は今でも珍しいが、江戸時代では、三つ子が生まれたら噂になってご褒美(ほうび)がもらえた。…
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第110回 練馬大根の肥料は?
入社式を終えたばかりの新入社員と見受けられる人たちが街中に出る季節でもある。新入社員の気分を社風になじませようと発するオヤジギャグは、最近の若い人たちは苦手であろう。 江戸時代もそんなダジャレはさかんだった。「ああ、腹がへりま大根」(「練馬大根」から)、「だまりの天神」(黙ること。寺子屋で学問ができるようにと祀ってあった「鉛の天神」から)、「何か用か、九日十日」(七日八日〈なのかようか〉から)など…
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第109回 足袋(たび)は贅沢品だった
春たけなわである。そろそろ女性の足元も軽やかになる季節であろう。 江戸時代は、靴下ではなく足袋(たび)を履(は)いていたが、それはもっぱら寒さしのぎの場合であって、庶民は病気でないかぎり裸足(はだし)の生活が日常だった。足袋は贅沢(ぜいたく)な履物で、多くの人々は裸足で下駄(げた)や草履(ぞうり)などを履いていたし、裸足で外を歩くことも珍しくなかった。 明治34年(1901)5月29日、警視…
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第108回 隅田川は暴れ川だった
「春のうららの隅田川(すみだがわ)♪」の歌が似合う季節になった。隅田川は東京を代表する河川であり、隅田川沿いの堤(つつみ)は江戸時代から続く桜の名所で、今年も多くの花見客がその風情を楽しみに訪れることであろう。 そんな隅田川が、江戸時代以前には暴(あば)れ川で氾濫(はんらん)を繰り返していたことは案外知られていない。 その昔、平安時代には、入間川(いるまがわ)・利根川(とねがわ)・元荒川(も…
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第107回 春の夜の夢と千両
短くはかないことの譬(たと)えに「春の夜の夢」という言葉がある。 春の夜の夢ばかりなる手枕にかいなく立たむ名こそ惜しけれ (『千載集』) 春の短夜に戯(たわむ)れにあなたの手枕を借りると、素晴らしい恋をしたいのに、浮名だけが立つのは惜しいことですと周防内侍(すおうのないし)が詠(よ)んだこの歌は、宮廷の女房と貴公子の恋…
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