そのことば、江戸っ子だってね!?
概要
私たちが何気なく使っていることばの多くが、じつは江戸生まれだってご存じでしたか?
「江戸っ子」なことばたちを、江戸の人たちがどうやって生み出し、どのように育てていったのか、「へえ~」と思わずいいたくなる知識を、黄表紙や浮世絵の絵などとともにご紹介していきます。
プロフィール
棚橋正博(たなはしまさひろ)
1947年秋田県生まれ。 早稲田大学大学院講師。早稲田大学大学院修了。日本近世文学専攻。文学博士。 知られざる江戸の風俗文化を多くの人々に伝えることを使命としている。テレビや講演会などでも活躍中。 著書は『式亭三馬』(ぺりかん社)、『十返舎一九』(新典社)、『江戸の道楽』(講談社)、『江戸戯作草紙』『教科書が載せられない名文』『捏造されたヒーロー遠山金四郎』(小学館)など。
棚橋正博の公式サイトコラム記事一覧
-
第26回 銭の話
お金の話をもうひとつ。 江戸時代、金銀の高額貨幣のほかに、銅や鉄でつくられた「銭(ぜに)」が少額貨幣として使われていた。まん中に穴があいている丸い銭は、紐(ひも)や緡(さし)で束ねられるようになっていた。銭形平次が投げたのもこれで、四文銭(しもんせん)である。 慶長13年(1608)の暮れの12月19日、江戸幕府は、人びとが使っていた銭「永楽通宝(えいらくつうほう)」の通用を禁止した。江戸幕…
コラムを読む -
第25回 小判の話
箸休めに江戸のお金の話を書きたい。 深夜の江戸、千両箱を肩に乗せた盗賊が走るという場面が、時代劇ドラマでよく見られる。この千両箱の重さは、いったいどれくらいだっただろうか。 千両箱に入っている小判は、時代によって重さや価値が違ってくる。徳川家康が慶長6年(1601)に造らせた慶長小判なら、一両4.76匁(もんめ)、すなわち17.85g。千両なら17.85㎏。千両箱そのものの重さが、5~6㎏と…
コラムを読む -
第24回 重陽の節句
9月9日は重陽(ちょうよう)の節句である。 中国では奇数を陽数、偶数を陰数と考えていて、その陽数の最大数である「9」が重なる日を佳節(かせつ)として「菊花節(きっかせつ)」と呼び祝ったのが発祥で(もちろん陰暦での9月9日である)、陽の数9が重なるから「重陽の節句」と呼ぶのである。日本では、古くから宮廷行事として観菊の宴などが催され、やがてその風習は庶民にも広まった。 江戸時代、重陽の節句に菊の…
コラムを読む -
第23回 八朔と吉原
「八朔(はっさく)」とは8月1日のことをいう。江戸時代は旧暦(太陰暦)であったから、現在の新暦(太陽暦)でいうと8月30日あたり、盛夏すぎの暑さも少し和らいだ、ちょうど今頃の気候ということだったろう。 江戸時代、この日には、武士たちが江戸城に登城して将軍にお目見えする「八朔」の儀式がとり行われた。旗本(はたもと)・御家人(ごけにん)・大名たちが、白帷子(しろかたびら)に長袴(ながばかま)をつけ…
コラムを読む -
第22回 ウナギの蒲焼
今年はウナギの値段が高騰(こうとう)して、ウナギの蒲焼(かばやき)は庶民には高嶺(たかね)の花の食べ物になってしまった。 土用(どよう)の丑(うし)の日は、今年は7月27日だったが、この日にはウナギで精をつけ暑さを乗り切ろうということで、蒲焼を食べた人も多かっただろう。 江戸の随筆『明和誌(めいわし)』(文政5年〈1822〉序)には、安永・天明年間(1772~88)頃から土用の丑の日にウナギ…
コラムを読む -
第21回 江戸の花火
夏は花火の季節である。夏の夜空に打ち上げられる花火は、最近では全国各地で行われるようになり、夏の風物詩となっている。 江戸の夏といえば、隅田川の花火である。 図版は、江戸後期、天保5年(1834)刊行の『江戸名所図会(えどめいしょずえ)』に描かれた両国橋の納涼花火。隅田川に浮かべた小舟から花火が放たれ、まわりには見物の屋形船が集まっている。両国橋も見物人であふれている。こんなふうに江戸人たち…
コラムを読む -
第20回 七夕
今年は、皆既日食(かいきにっしょく)や金星が太陽の黒点(こくてん)に見えるなど、天体ショウで沸いている。ひょっとしたら、七夕の天の川観測も話題になるかも知れない。 七夕の日はたいてい天気が悪く、夜空が見えないことがおおいが、これにはわけがある。 江戸時代の七夕は、旧暦(太陰暦)の7月7日。これは、現代の新暦(太陽暦)にすると、だいたい8月の上旬であった。それをそのまま、新暦の7月7日の行事と…
コラムを読む -
第19回 大山詣
6月末は山開き。江戸っ子たちは、講中(こうじゅう)で大山詣(おおやまもうで)へと出かけた。 大山とは、神奈川県にある標高1253メートルの山である。江戸からは富士山や大山を望める地がおおくあり、たとえば駿河町(するがちょう)の三井呉服店からは、富士山の手前に大山が望めた。 大山詣は、江戸人にごく親しまれた信仰である。旧暦の6月27日の山開きから7月17日までの盆山の期間に、大山へ登るというも…
コラムを読む -
第18回 梅雨と番傘
梅雨の間は傘を手放せない。うっかり傘を持たずに出て急に雨に降られると、コンビニエンスストアに飛び込み「コンビニ傘」を買う羽目になる。今回は、江戸時代の傘の話である。 徳川家康が江戸に入る150年ほど前、室町時代の長禄元年〈1457〉、江戸城を築いたのは太田道灌(どうかん)であったが、道灌にはこんな有名な逸話(エピソード)がある。 ある日、道灌が江戸近郊で狩りをしていると、俄雨(にわかあめ)に…
コラムを読む -
第17回 山王祭と喧嘩
江戸時代の年中行事では、6月には神事の祭礼がおおく、なかでも6月15日の山王祭(さんのうまつり)と神田祭(かんだまつり)は、江戸っ子たちの待ちに待った祭礼であった。 天和元年(1681)からは、山王・神田の隔年開催となった。山王祭は、丑・卯・巳・未・酉・亥年におこなわれ、神田祭は、子・寅・辰・午・申・戌年におこなわれていた。明治25年以降は、神田祭は5月に行われるようになった。 さて、祭りで…
コラムを読む