
辞書の銀河系
第2回 後編
(第2回中編からつづく)
総合出版社はコミックやライトノベル、はては出版を飛びだしてアニメやゲームなど収益源の多角化を加速させてきたが、インターネットの発展も相まって、赤字かそれに近い辞書の出版を続ける経営的な理由は薄まってきたと言わざるを得ない。
坂倉さんが『新字源』の改訂を行っていた際も、2015年頃には予算の今後に課題が生じ、定年退職を迎える先輩がいよいよ会社を去り始めると、補充のない辞書編集部の人員は年々減っていくことになったという。そのため坂倉さんは30代で部署全体の責任者を任され、『新字源』の改訂を続けるための金策や関係各所への協力の要請に追われた。
「途中で頓挫してもおかしくなかった『新字源』の改訂を、何とかつないで完成させたという状況でした」
そんななか、転機となったのは辞書編集部から「角川武蔵野ミュージアム」への異動だったという。当時はまだオープンしていなかった東所沢の「角川武蔵野ミュージアム」へのこの異動が、「思う存分に辞書を作りたい」という彼の思いに火を点けることになったのである。
「KADOKAWAの辞書編集部では、僕が企画を立てた仕事が粛々と進んでいました。でも、ミュージアムの仕事に注力しなければならず、ほとんど関与できなかった。しかも、その次、さらにその次の企画が、なかなか見えてこなかったんです。というのも、辞書の編集にはとにかくお金がかかるし、市場そのものもどんどん縮小していて、新企画を出すのが年々、難しくなっていったからです。正直に言えば、図書館関係の仕事を終えてまた辞書の部署に戻っても、もう一度辞書の企画を立てるのは難しいだろうな、という感覚がありました」
そんななか、小学館に転職できるチャンスがまいこんだのだという。そのとき、「日国」という存在が胸の裡で大きく存在感を放つようになった。
「KADOKAWAにはそれなりに馴染んでいましたし、愛着もあったので、すぐに決断できたわけではありません。でも、小学館にはあの大きな辞書の集積がある。ひょっとすると、『日国』に関わることができるかもしれない、と。その思いが決め手になって、小学館に転職することにしたんです」
ちなみに、KADOKAWAを去る際、坂倉さんはある人から忘れられない言葉を受け取った。角川武蔵野ミュージアムにおいてある意味で上役にあたる館長に小学館への転職を伝えるとき、坂倉さんは「『日国』の仕事をできるかもしれません」と話した。
「まだ何も決まっていない『日国』の名前を出したのは、勇み足だったかもしれません。でも、そう言うと館長は『それなら仕方ないな』と笑ってくれたんです。『日国』の改訂が本当に実現したら、知識人や日本の文化にとっては大きな意味のある仕事になる。『辞書の仕事を頑張れ』と背中を押していただいたことは、転職に際して悩んでいた私にとって大きな力になりました」
2024年3月26日、春の本格的な訪れを前に冷たい雨が降った日、雑司ヶ谷霊園にある松井栄一の墓の前で「第三版」の制作の決定を報告したとき、坂倉さんは「あなたの遺した仕事を継承します。どうか見守ってください」と墓前で手を合わせた。それは彼を始めとする辞書編集部のメンバーにとって、松井氏不在の中で新たな船出の日であった。
「松井先生には松井家の一人として、この事業を推進するのは自分だという自負があったはずです。第二版のときは編集過程で何か迷いが生じたとしても、編集者は松井先生に『これは日国的ですか』と聞くことができたはずです。だから、第三版を引き継ぐ私たちはいま、私たちはすごく不安なんです。でも、これは私たちがやるしかない仕事なんですよね」
第三版の編集に携わることについて、彼はいま、このような思いを抱いている。
「辞書は改訂しなければやがて死ぬんです」
辞書とは更新され、人によって使われることで、育てられていくものだ。新しい言葉は次々と生まれ、十年前には存在していなかったにもかかわらず、今は社会の中に自明のように使われているものもある。そして、新語だけではなく、未収録の古い言葉もあれば、すでにある言葉の意味、背景、変遷のあらたな研究を盛り込み、より正確で最新のエビデンスをもとに記述を見直すことも辞書の生命の源となる――。
「それに辞書というのは、改訂されなければ市場でも生き残れないものでもあります。古い辞書は、どれだけ立派でも“使われない辞書”となっていきます。第三版の改訂という仕事は、私たちにとってこの日本を代表する辞書に再び命を与えることであると信じています」
編集者人生の後半における最大の仕事になるに違いない日々を前に、彼はあらためてそのように素直な思いを吐露した。
(第2回おわり)
概要
「これは戦後の日本文化を代表する偉業の一つ」…丸谷才一が、そう激賞した日本最大の国語辞典がある。収録語数約50万を誇る日本語の基本台帳であり、「古事記」「万葉集」以来あらゆる文献を渉猟して集めた言葉の実例(用例)約100万とも号する『日本国語大辞典』は、初版刊行後約半世紀を経て、いま新しい姿に生まれ変わろうとしている。“日国”を生んだ辞書編纂者一族の松井家の物語、そして新版改訂に関わる編集委員、編集者の証言を集めた大宅賞受賞作家・稲泉連によるルポルタージュ、連載開始。
プロフィール
稲泉連
いないずみ・れん/1979年、東京都生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。2005年に『ぼくもいくさに征くのだけれど 竹内浩三の詩と死』で第36回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。主な著書に『復興の書店』『「本をつくる」という仕事』『サーカスの子』など。最新作『パラリンピックと日本人』が2024年度ミズノスポーツライター賞 最優秀賞を受賞。
コラム記事一覧
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第2回 中編
(第2回前編からつづく) 坂倉さんは大学で東洋哲学を学んだ後、KADOKAWAグループとなるメディアワークスに就職した。もともと辞書編集に縁があったわけではなく、同社では雑誌の編集に携わったという。そんなとき、グループ内での人事交流制度の募集があり、興味を抱いたのが角川学芸出版の辞書編集部だった。学生時代に『新字源』をよく使っていたため、最初は「辞書作りをするというのも面白いかもしれない」と軽い…
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第2回 前編
〈〈 第1回 昨年の7月25日、2025年度の主だった出版事業を発表する小学館の「新企画発表会」が、同社の講堂で行われた。 その日、9つの企画が社長の相賀信宏氏から発表されたなか、ひときわ注目を集めたのが『日本国語大辞典 第三版』の制作決定の報告だった。小説やコミックなど、他の企画がこの一年の間に刊行される予定であったのに対し、「8年後」という「日国」の完成までの歳月の長さが異彩を放っていたか…
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第1回 後編
(第1回 前編からつづく) ――雨に濡れたケヤキや銀杏の木の葉が、ときおり吹く風にざわざわと音を立てている。 飯田さんが引き連れてきた4人の編集者が一人ひとり、墓石の前で手を合わせていく。辞書編集部で『日国』の編集長を務める大野美和さん、KADOKAWAで『新字源』の編集を担当し、一年前に小学館に転職した坂倉基さん、同じく三省堂の辞書編集部の主力編集者だった荻野真友子さん、そして、「kotoba…
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第1回 前編
昨年3月某日、朝から雨が降り続ける肌寒い日のことだった。雑司ヶ谷霊園に約束の時間よりも早く到着した私は、誰もいない墓地をしばらく一人で歩いた。 南池袋の住宅街に広がる雑司ヶ谷霊園は、夏目漱石や小泉八雲、永井荷風、泉鏡花やサトウハチローといった文学者の墓が多いことでも知られる。すぐ近くに池袋の街の喧騒があるのが噓のように静かな場所である。 地下鉄の駅を出た時よりも雨足は強くなり、傘から滴り落ち…
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