
辞書の銀河系
第1回 前編
昨年3月某日、朝から雨が降り続ける肌寒い日のことだった。雑司ヶ谷霊園に約束の時間よりも早く到着した私は、誰もいない墓地をしばらく一人で歩いた。
南池袋の住宅街に広がる雑司ヶ谷霊園は、夏目漱石や小泉八雲、永井荷風、泉鏡花やサトウハチローといった文学者の墓が多いことでも知られる。すぐ近くに池袋の街の喧騒があるのが噓のように静かな場所である。
地下鉄の駅を出た時よりも雨足は強くなり、傘から滴り落ちる雫がコートの肩を濡らしていた。事前にメールで教えてもらっていた墓地の番号をスマホで確認し、しばらく歩くと、「松井家」と記された目的の墓所の前に着いた。
墓にはまだ新しい花が供えられていた。その前に一人で佇みながら、これから出版社の小学館が始めるという「日本国語大辞典 第三版」の編集という途方もない仕事は、どのような人たちによって行われていくのだろう、と私はあらためて思った。
この日、私が会うことになっていたのは、「日本国語大辞典 第三版」の編集を担う小学館の5人の編集者たちだった。前述の「松井家」は「日国」と呼ばれて親しまれてきたこの日本最大の大辞典の原点となる一族のことで、とりわけ「第一版」と「第二版」の編纂を担った国語学者の故・松井栄一は、これから出版界の近年稀に見る大プロジェクトに携わる編集者たちから、いまも「先生」と呼ばれて敬われている人物だった。
事の発端は、2か月ほど前に小学館の飯田昌宏さんから届いた「一度、お会いできませんか?」という一通のメールだった。
同社の役員である飯田さんはこれまで『週刊ポスト』や『サピオ』の編集長もしてきた編集者で、私も雑誌ライターとして彼のもとで仕事をしてきた一人だった。久々の連絡に少し戸惑いながら編集部を訪れると、
「実はいまは『kotoba』という子会社の代表をしていましてね」
と、彼は名刺を差し出しながら言った。
kotobaは小学館の辞書編集部とともに様々な辞書・事典の企画編集を行うための会社で、2022年3月に設立されたばかりだという。
「それでね――」と飯田さんは続けた。
「今度、うちから『日本国語大辞典』の第三版の制作が正式に発表されるんです。稲泉さんは『日国』を使ったことがありますか?」
「あの何巻もある大きな辞書ですよね。ほとんど触ったことはないのですが……」
私が正直にそう言うと、飯田さんは「そうでしょう」と笑った。
「いや、実は僕もここに来るまで、自分の編集者のキャリアの中で『日国』を意識したことがほとんどなかったんですよ」
だが、昨年から「kotoba」の代表を務めることになり、飯田さんは『日本国語大辞典』の歴史をあらためて学んだという。すると、「うちの会社にこんなすごい世界があったのか」という驚きを覚え、さらに辞書編集部の一人からレクチャーを受けた際、「第二版」について丸谷才一氏が次のように書いていたことを知り、「本当に胸に響くものがあったんです」と話すのだった。
「〈これは日本語の辞書として画期的なもので、戦後の日本文化を代表する偉業の一つと言つてもいい〉。丸谷さんはそう言っていたというんですね。そのとき、僕はこう思ったんですよ。この事業は確かに僕らが続けなければならないものなんじゃないか、って」
それから少し表情を緩めた飯田さんは、遠い目をするようにこう続けた。
「僕は週刊誌の世界に長くいたから、どちらかというと言葉を乱雑に扱ってきた人間だという思いが自分の中にあるんです。例えば、タイトルを付けるとき、いかにインパクトを強くするか、ぎりぎり誤用と言われないような誤用をするか、みたいな発想で言葉を扱ってきた。だからこそ、『自分の会社にそのような仕事があったのか』と胸に響くものがあったんです」
では、長く雑誌ジャーナリズムの世界に生きてきた飯田さんを以てそう語らせる「日国」とは、そもそもどのような辞典なのだろうか。
今から遡ること20年以上前、2000年から翌年にかけて刊行された『日本国語大辞典 第二版』は、日本最大級の辞書として存在感を放ってきた出版物だった。見出し語の数は約50万語、全13巻となる文字通りの「言葉の海」――立項(辞書の世界では見出しを立てることをそう言う)された言葉とともに記された用例は約100万に上る。
この唯一無二の辞書の最大の特徴が、「第一版」から貫かれてきたその「用例主義」だ。
用例主義とは、言葉の意味や使い方を文で説明するだけではなく、実際に使われた具体的な文献に基づいて記述するという編集方針である。『古事記』や『日本書紀』『万葉集』といった最古の古典から、近現代における文学作品まで――。『日国』では幅広い時代の文献が専門家によって捜索され、出典とその成立年が明記されている。
「言葉」は時代や人々の生活、文化とともに変化していくものだ。その「言葉」が最初に現れた場所に立ち戻り、また、実際にどのように使われてきたかを明示する。つまり、「用例主義」とは一つの言葉が存在する根拠を示すと同時に、そこに込められていたニュアンスや時代背景、感情までをも読み解こうとする姿勢で、まさに言葉を歴史の中に確かなものとして位置づけようという方法だといえる。そして、『日国』を『日国』たらしめるこの「用例主義」を編集方針として徹底したのが、第一版と第二版の編纂の中心を担った国語学者・松井栄一なのだった。
「改訂にかかる時間は8年を予定しているのですが、稲泉さんにはときどきその様子を取材してもらえないかと思っているんですよ。それで今度、小学館は『日国』の第三版の制作を『新企画発表会』で正式に発表します。まずは編集部として、松井先生のお墓参りをする予定です。編集者たちのことも紹介できますし、ぜひいらっしゃいませんか?」
と、飯田さんは言った。
(後編につづく)
概要
「これは戦後の日本文化を代表する偉業の一つ」…丸谷才一が、そう激賞した日本最大の国語辞典がある。収録語数約50万を誇る日本語の基本台帳であり、「古事記」「万葉集」以来あらゆる文献を渉猟して集めた言葉の実例(用例)約100万とも号する『日本国語大辞典』は、初版刊行後約半世紀を経て、いま新しい姿に生まれ変わろうとしている。“日国”を生んだ辞書編纂者一族の松井家の物語、そして新版改訂に関わる編集委員、編集者の証言を集めた大宅賞受賞作家・稲泉連によるルポルタージュ、連載開始。
プロフィール
稲泉連
いないずみ・れん/1979年、東京都生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。2005年に『ぼくもいくさに征くのだけれど 竹内浩三の詩と死』で第36回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。主な著書に『復興の書店』『「本をつくる」という仕事』『サーカスの子』など。最新作『パラリンピックと日本人』が2024年度ミズノスポーツライター賞 最優秀賞を受賞。