私は吉田の仕事場の箸だ。
前回吉田にかわって餅が書いてたでしょう?
あれを読んで悔しく思い、睡眠中の吉田に憑依してパソコンに向かっているところなのだ。
私も自己主張したい。あるじへの不満をぶちまけたい。
そう思った。
吉田に買われてからもう5年あまり。それぐらい経てば、箸だって日本語ぐらい使えるようになるのである。
餅などに負けはしない。
餅をはじめ、あらゆる食べ物にとって、私はあの世への案内人だ。
ご飯やおかずや汁を人間の胃という溶鉱炉に送りこむ、二本ボディの処刑人。それが私なのだ。
第十八回 「よせる男、その道具」
まず、「はし」の語源といわれていることについての不満を申し述べたい。
古代の箸は二本の棒ではなく、Uの字型の、いわゆるトングの形をしており、つまりはその両端を使うから「端」である、というものだ。
いやだ、「最初はトング型だった説」いやだ!
便利ではあるがぶきっちょ感のあるトングが、この優美な箸の祖先であるわけがない。
想像してみてください。ピンセットで食べる焼き魚定食がどんなに悲惨であるか。
アイストングで食べるカツ丼がどれほど味を損なうか。
そして別の説は、やはりその形状から、鳥のくちばし、すなわち「嘴」(はし)であるというもの。
いやだ、端よりもっといやだ!
鳥のクチバシがついばんだご飯やおかずを、自分の口に運ぶ。ヒナか! だが、人間なのに鳥のヒナ状態を招いているのはおのれ自身であるというこの不条理。
「嘴」もかんべんしてください。
しかしありがたいことに「柱」や「橋」との類似も指摘されており、木の棒仲間としてそれなら普通に納得できる。
たとえば諏訪大社の御柱祭の御柱も、神へ供物をささげるための箸であるというムリヤリな見方もでき、私の自尊心も満足だ。
伊勢神宮の宇治橋だって、俗人を神の胃の中に送るための箸であるといってよく……いや、さすがに強引すぎるかもしれないが、私の自尊心だけは満足だ。
古代の箸は二本の棒ではなく、Uの字型の、いわゆるトングの形をしており、つまりはその両端を使うから「端」である、というものだ。
いやだ、「最初はトング型だった説」いやだ!
便利ではあるがぶきっちょ感のあるトングが、この優美な箸の祖先であるわけがない。
想像してみてください。ピンセットで食べる焼き魚定食がどんなに悲惨であるか。
アイストングで食べるカツ丼がどれほど味を損なうか。
そして別の説は、やはりその形状から、鳥のくちばし、すなわち「嘴」(はし)であるというもの。
いやだ、端よりもっといやだ!
鳥のクチバシがついばんだご飯やおかずを、自分の口に運ぶ。ヒナか! だが、人間なのに鳥のヒナ状態を招いているのはおのれ自身であるというこの不条理。
「嘴」もかんべんしてください。
しかしありがたいことに「柱」や「橋」との類似も指摘されており、木の棒仲間としてそれなら普通に納得できる。
たとえば諏訪大社の御柱祭の御柱も、神へ供物をささげるための箸であるというムリヤリな見方もでき、私の自尊心も満足だ。
伊勢神宮の宇治橋だって、俗人を神の胃の中に送るための箸であるといってよく……いや、さすがに強引すぎるかもしれないが、私の自尊心だけは満足だ。
吉田の仕事場には私の他にも箸がいる。
お客さん用が三膳。吉田がたぶん一生捨てられない、お嬢さんがかつて使った長さのちがう数膳。
そして、そんな私たち家箸から見れば闖入者であるといっていい、割り箸が何膳か。
これは吉田がおもにコンビニでもらったものだ。最近は「箸いりません」と断るテクを身につけたらしく、以前より数はへったが、それでもツマヨウジ入りのが3、4袋はいるだろう。
吉田のメイン箸として悔しいのは、彼が割り箸の使い勝手をかなり愛好していることだ。
ゆえに少なくとも5、6回は再利用する。
カレーうどんで黄色く染まった割り箸さえも洗って再び使うのは、物を大事にするという意味ではいいことなのかもしれないが、私の立場はどうなるのだ。
私のボディーは黒檀、無塗装なので、比較的麺類にも向く。だがさすがにラーメンやうどんを食べるとき、割り箸にかなうわけがないことは承知している。
承知しているが、吉田が割り箸でズルズルすする音を、食器かごの箸立てや引き出しの中で聞いているのは、拷問に近い。
そんな私の悲しみをわかっているのか。
お客さん用が三膳。吉田がたぶん一生捨てられない、お嬢さんがかつて使った長さのちがう数膳。
そして、そんな私たち家箸から見れば闖入者であるといっていい、割り箸が何膳か。
これは吉田がおもにコンビニでもらったものだ。最近は「箸いりません」と断るテクを身につけたらしく、以前より数はへったが、それでもツマヨウジ入りのが3、4袋はいるだろう。
吉田のメイン箸として悔しいのは、彼が割り箸の使い勝手をかなり愛好していることだ。
ゆえに少なくとも5、6回は再利用する。
カレーうどんで黄色く染まった割り箸さえも洗って再び使うのは、物を大事にするという意味ではいいことなのかもしれないが、私の立場はどうなるのだ。
私のボディーは黒檀、無塗装なので、比較的麺類にも向く。だがさすがにラーメンやうどんを食べるとき、割り箸にかなうわけがないことは承知している。
承知しているが、吉田が割り箸でズルズルすする音を、食器かごの箸立てや引き出しの中で聞いているのは、拷問に近い。
そんな私の悲しみをわかっているのか。
そして、物言えぬ私にかわり、いつか妻の伊藤が注意すべき、と思っていたことがある。
過去形だ。
伊藤も気になっていたのだが、注意するタイミングを何度も逸しているうちに、他人にそれを指摘されてしまったというのだ!
同行した伊藤のマイ箸に聞いた、寺田克也絵師ほか何人かと飲んでいた時の話だ。
馬鹿話などしつつ飲食しているうちに、吉田がひょい、と刺身の醤油皿を箸でひきよせた。
「あーダメだよ、よせ箸しちゃ。伊藤注意しろ」
しつけの良さがさらりと出る絵師。
青ざめる伊藤。
お、そう? と、事の重大さがわからずヘラヘラしている吉田。
翌日、伊藤が深刻な顔で「前からしょっちゅうあったから。言おう言おうと思ってたんだけど……」と切り出し、ようやく「そんなに?」と冷や汗をかいたわがあるじである。
さすがにでかい器をひきよせたりはしないが、寿司や餃子の醤油皿、お新香の小皿、お通しの器を、無意識に箸でひきよせ続けてきた吉田の人生だったのだ。
前の箸からメイン箸を引き継ぐときに
「あれだけはなんとかならぬものか……」
と、悲痛な顔でうちあけられたことをよく覚えている。
過去形だ。
伊藤も気になっていたのだが、注意するタイミングを何度も逸しているうちに、他人にそれを指摘されてしまったというのだ!
同行した伊藤のマイ箸に聞いた、寺田克也絵師ほか何人かと飲んでいた時の話だ。
馬鹿話などしつつ飲食しているうちに、吉田がひょい、と刺身の醤油皿を箸でひきよせた。
「あーダメだよ、よせ箸しちゃ。伊藤注意しろ」
しつけの良さがさらりと出る絵師。
青ざめる伊藤。
お、そう? と、事の重大さがわからずヘラヘラしている吉田。
翌日、伊藤が深刻な顔で「前からしょっちゅうあったから。言おう言おうと思ってたんだけど……」と切り出し、ようやく「そんなに?」と冷や汗をかいたわがあるじである。
さすがにでかい器をひきよせたりはしないが、寿司や餃子の醤油皿、お新香の小皿、お通しの器を、無意識に箸でひきよせ続けてきた吉田の人生だったのだ。
前の箸からメイン箸を引き継ぐときに
「あれだけはなんとかならぬものか……」
と、悲痛な顔でうちあけられたことをよく覚えている。
吉田の悪癖として、揚げせんべいやポテトチップのたぐいを箸で食う、というものがある。
仕事中に手に油がつかないように、というよりは、テレビゲーム中にコントローラがベタベタにならないように編みだした技だと聞いた。
吉田がファミコンに出会ったのは二十歳を越えてからなので、そういうみみっちい配慮をしたのだろう。
目はほとんどテレビ画面に向けたまま、お菓子の袋を箸でひきよせ、ゆすり、ほじくり返すわけであり、よせ箸の習慣はそれでついたのではないかと私はにらんでいる。
今ではごくたまにしかやらなくなったテレビゲームは、吉田に物語世界への没頭や操作する喜びを与えもしたが、視力の低下などのダメージも残した。
よせ箸も、そんな負の遺産の一つだといえよう。
他にも迷い箸、うつり箸などのくせが見られるが、よせ箸から見ればかわいいものだ。
よせ箸はよくない。
お、何かつまむのか? と思ったら、それが小皿ひきよせだったときの
「おれは食べ物と人間をむすぶ神聖な道具なのに!」
という憤り。
あれがなくなるなら、私のことはサブに回して、割り箸をメインにしてもらってもかまわない、とさえ思っている。
仕事中に手に油がつかないように、というよりは、テレビゲーム中にコントローラがベタベタにならないように編みだした技だと聞いた。
吉田がファミコンに出会ったのは二十歳を越えてからなので、そういうみみっちい配慮をしたのだろう。
目はほとんどテレビ画面に向けたまま、お菓子の袋を箸でひきよせ、ゆすり、ほじくり返すわけであり、よせ箸の習慣はそれでついたのではないかと私はにらんでいる。
今ではごくたまにしかやらなくなったテレビゲームは、吉田に物語世界への没頭や操作する喜びを与えもしたが、視力の低下などのダメージも残した。
よせ箸も、そんな負の遺産の一つだといえよう。
他にも迷い箸、うつり箸などのくせが見られるが、よせ箸から見ればかわいいものだ。
よせ箸はよくない。
お、何かつまむのか? と思ったら、それが小皿ひきよせだったときの
「おれは食べ物と人間をむすぶ神聖な道具なのに!」
という憤り。
あれがなくなるなら、私のことはサブに回して、割り箸をメインにしてもらってもかまわない、とさえ思っている。