第4回 タイムマシンで100年前の図書館へ

2015年4月20日 山根一眞

「飛行機」の項目がまだなかった時代

 調べものの第一選択は、百科事典を開くことだ。
 子供時代、父に、「これ、どういうこと?」と聞くなり、「百科事典を引け!」と言われて以来、今も、それは変わらない。
 百科事典といえばネット時代の今、誰もが「Wikipedia」で調べるだろうが、先にも書いた通り「Wiki」は未完の百科事典なので、まずは執筆者が明確な辞書・事典での調べものを出発点とするのが望ましい。私が、オンラインの「ジャパンナレッジ」を愛用しているのはそのためだ。
 とてつもない辞書・辞典、貴重文献の塊である「ジャパンナレッジ」の資料(コンテンツ)を自分で買い集めたらおそらく数千万円になる。とはいえ、まだ収載されていない「古い」百科事典が多々あるのも事実。
 日本では明治以降、たくさんの辞書・事典類が刊行されてきたし、欧米でもそれは多い。とりわけ「古い」辞書・事典もとても大事です。
 私が父から伝授された百科事典の調べ方の「極意」がある。
 50年前のことを調べたければ50年前の、100年前のことなら100年前の百科事典を調べろ!

 百科事典が、発刊時に最新の情報を収載するのは当然のことだ。改訂版を重ねている百科事典では、限られた巻数、ページ数という制限があるため改訂新版では古い項目を削除しているということを知っておかねばならない。
 たとえば「航空機」という項目では、今、発刊する百科事典ではボーイング社の最新鋭旅客機、B-787は必須だろうが古い飛行機についてはごくわずかに触れるだけになる。
 私が超愛用してきたドイツの百科事典、『Meyers Großes Konversations-Lexikon 1905』(メーヤーズ百科事典第6版、全20巻)では、「飛行機(Flugzeug)」という見出しはない! どうして? アメリカのライト兄弟が人類初となるエンジンという動力を搭載した飛行機、ライトフライヤー号で高度9mちょっとを260m飛行することに成功したのは1903年だったからだ。
『メーヤーズ百科事典・第6版』全20巻。背表紙など相当ぼろぼろになってきたが、これはきれいな一冊。写真・山根一眞
 『メーヤーズ百科事典・第6版』の発刊は1905年。おそらくライト兄弟の動力飛行機の初飛行は、すでにこの百科事典の執筆編集を終えていた後だったからだろう。
 しかし、飛ぶ乗り物としては「Luftschiffahrt」(飛行船)の項目はじつに詳しい。しかも、見事な見開き図版ページが挟んであった。
 
 1900年(明治33年)のツェッペリン飛行船の図も見事。
 こういう図を見るだけでも楽しい。
飛行船の図。下・ツェッペリン飛行船の部分の拡大。
 この百科事典では「飛行機」の記述はないと思っていたが、「Luftschiffahrt」(飛行船)の項目に「飛行機」の図が入っていることに気づいた。ドイツ語での飛行機(Flugzeug)という言葉は、動力(エンジン付)飛行機が実用化するようになって使われるようになった語だったのかもしれない。 
 この百科事典に掲載されている飛行機の図は、エンジンがないのである。
 この話をたどっていくだけでまる1日かかってしまったが、この図からは、人類が鳥のように空を飛ぶために、どれほどの努力をしてきたかがわかる。なかでも、いかにして鳥の羽のように「羽ばたいて飛ぶマシン」を作ろうとしてきたかが理解できるのです。
 その中でも秀逸なのが、フランスのギュスターヴ・トルーヴェによる圧縮空気による羽ばたき式飛行機だ。19世紀末、彼はフランス科学アカデミーの面々の前で70メートルを飛んでみせたという。圧縮空気を吹き出して羽ばたきをするしくみのようだが、圧縮空気は火薬を使う内燃機関「フラップブルドン管」というもので作っていたらしい。
 そのトルーヴェの羽ばたき飛行機がどんなものだったのか、ネットで調べてみたところ図が出てきた。だが、いささか不鮮明。その似通った図が、わが『メーヤーズ百科事典』では、8点の「羽ばたき飛行機」が描かれたページに入っていた。
エンジンのない飛行機の図が8点描かれた「飛行船」の図ページ。
 試みに、その部分のみをスキャナーでスキャンして拡大しところ、とんでもない「詳細」な図であることがわかり、びっくり!
上・『メーヤーズ百科事典』で描かれているトルーヴェの羽ばたき飛行機図。ネットで見つかった図はとてもアバウトであることがわかる。
 この図の精緻さは何なんだ!?
 『メーヤーズ百科事典』では、掲載されている写真(数少ないが)はだいぶ不鮮明なのです。110年前のカメラそのものの性能が低かったこと、また、写真を製版する技術がまだ稚拙だったためだろう。
 その写真の代わりに「手描きの図」がふんだんに使われているのだが、いずれもじつに美しいのです(リトグラフという製版法と思うが)。
 どの図も、最新の超高画質デジカメでも勝てない隅から隅まで精緻に描かれているさまは見事。美しい、ということを超えて、トルーヴェの「フラップブルドン管」のように形や構造を知る上で実に役立ちます。
 トルーヴェの羽ばたき飛行機の図は、ページ面ではとても小さいのに、どんどん拡大していっても画像が破綻しない。拡大していってわかったことだが、これらの図は「黒」の線と点だけで描かれているためなのだ。灰色部分は点を小さく線を細くするなどで表現している。
 そう、これは版画と同じなのだ。黒と紙面の白という2色だけで豊かな表現をしている、ということは、これは究極の1か0かのデジタル画ということになる。

「すごい図」続出! アートを超えた美しさ

写真は、光の反射をとらえる。そのためどうしても影が出る。同じモノの同じ部分を撮っても、見え方が異なる。現実の世界で私たちが見ているのもそういうモノの姿で、写真はそれを画像化しているのだから(「写」+「真」=真実を写す)。
ところがこの骨董百科事典の時代の画像は、光の当たり具合をすべて無視して、モノの形や姿を徹底して忠実に描いているのです。画家が描く絵画は光をいかにうまく表現するかの世界だが、こちらは徹底して光を無視して、あからさまにモノの姿、形を表現している。機械であれば、設計図に近い。画家の絵のようなアートではないが、アートを超えた美しさがあり、とっても感動しちゃうのです。

こんな100年以上前のバイクの図には、ほれぼれします。

欧米の人たちは、こういう古い本の図(リトグラフ)を切り取って額に入れて飾るということをよくやっていますね。
貴重本なのに、文字は捨てちゃって図だけを販売している業者も多いのです(そのおかげで私は憧れ続けていた価格1000万円超のオランダの貴重資料本のもっともほしかった図版の1ページのみを安く買ったこともあります)。
ということを思い出して110年前の『メーヤーズ百科事典』のトルーヴェの羽ばたき飛行機の図のようなものがネット上であるかどうか調べてみたところ、あれま、この百科事典のこのページをスキャンしデジタル化し、プリントとして売っている業者が多々いました(2000~3000円ですが)。
つまり、アートではなかった古図が、今や、写真や絵画とは異なるアートとしての商品価値がある、ということなんでしょう。
わが『メーヤーズ百科事典』は110年を経てぼろぼろ。
革の背表紙が落ちそうになっている巻も多々。しかし全20巻には同じように美しい図がごっそりなので、それだけ切り取り綴じれば「超貴重図版集」になりそうだ。
きっと、さらにすごい図があるんじゃないかと全20巻を必死にくっていたところ、何やら2つ折にしたページがあるので広げてみて「きゃーっ!」、とんでもないものが入っていた。
それは、カラー刷りのグーテンベルグ聖書の1ページだった。

40年以上気づかなかった「グーテンベルグ聖書」の2つ折大判のカラーページ。印刷による本の第1号で、これによって「本」という文化が一般化し、キリスト教が一気に普及したというグレート文化遺産。大サイズでご覧いただけないのが残念なほど美しい。

これ、写真ではなく、この百科事典のために模写して刷った、いわば精密版画だった。写真ではないので「金」のインクがのっているのでキラキラ。唖然です。この百科事典が我が書斎に入って40年ほどになるのだが、これには気づきませんでした(額装して飾ろうかな)。

「グーテンベルグ聖書」の図の拡大。金色がすてきなのです。

そうか、こういうカラーの超美しい図も混じっていたんだと思い、さらに全20巻をひっくり返し始めてしまった。
 ありますねぇ、ほれぼれする図が。やはり、カラー写真では描けない手描き絵のすてきな世界が多々で、ご紹介しきれないのが残念です。

甲虫のページ。こういう生物図が切り取られて額絵にされることが多い。絵はいささか変色して黄ばんでいたので、スキャンの上、画像処理をしてきれいに仕上げています。

と、喜んでいてはいけない。これは百科事典。記述も大事です。
ところが、その記述を読むのが大変なのです。
本文の印刷に使われているのは、ドイツ語の古いクラシックフォント。かつて中世に使われていた「フラクトゥール」というやつなのだ。大学時代にドイツ語を学んでいるので、かつてはこれがまぁまぁ読めたのだが、今となってはしんどいです。大学時代には「花文字」とか呼んでいたと思うが「ひげ文字」とか「亀甲文字」という呼称もある。

ドイツ語の古いフォント、フラクトゥール。上・アルファベット全文字と識別しにくい文字(青い罫で囲んだ10文字)、下・百科事典のページ。図版・山根一眞

「B」と「V」、「I」「J」、「M」と「W」などの識別も難しいので、日々読み慣れていないといけない。これから、気合を入れて読むしかないなと思いつつ、そうだ、本連載でこれまでとりあげてきた「図書館」の項目をこの百科事典で調べてみることにした。
 そこでまた出会ったのが、図版ページだった。

大英博物館の蔵書か? 描かれている本の謎にせまる

あれまぁ、欧州の大学や博物館など高名なる図書館の図がごっそり。建物だけでなく内部の図面、座席数までわかる見取り図など続々でわくわくです。

図書館のページ。

ここで、ちょっと気になったのが3点の図版があるページだった。
下の一番大きな図はケンブリッジ大学トリニティ校の図書館。ここは名門かつ美しい図書館として写真で何度か見たことがあるが、それらの写真と比べても、この図では図書館の隅々までくっきり鮮明にわかるのが楽しくて。

ライデン大学、大英博物館、ケンブリッジ大学の各図書館の図。

その上の2枚の図版には、本を探したり閲覧したりしている人の姿が描き込まれている。珍しい!
左はオランダ、ライデン大学の図書館だが、「なーるほどぉ!」と感心したのが書棚の下にあるバーです。書棚の高いところにある本を取り出す時に、いちいち踏み台を持ってこなくても済むように踏み台代わりのちょっと高いバーが設置してあるのです。
これ、日本の図書館や古本屋でもぜひ採用してほしいな、と思いましたね(という発見も楽しい)。
その右の図には3人の人物が描かれていて、まさに本を取り出そうとして閲覧中です。あれ、こっちにはライデン式の踏み棒がないので、左の人は背伸びして大きな本を出そうとしています。

「大英博物館図書館の書棚」と説明にある。

この書棚にはどんな本があるんだろうと空想がわきます。
そこで、よーく見る、おっ、手を伸ばしてまさに取り出そうとしている本の文字が見えるような感じがしたので(肉眼では判読不可能)、スキャナーにかけて拡大してみたのです。
おお、出てきました、何やら文字が。
この時代の図がいかにすごいかをあらためて感動。
さらに拡大したところ、文字が読めるじゃないですか!

左の線は定規の目盛り。本のサイズは縦約8mm、文字のサイズは縦0.8mmほどだが、かろうじてそれが読めた。

もっとも、ここから苦しみの日々が始まったのです。
今回の原稿を編集部に送るのがどんどん遅れてしまったのは、これが原因でした。
3行の文字列の下の2行は、しっかりと判読できた。
BERLIN
1881
ドイツの百科事典なので、ドイツ関連の本を描き込んだのだろうか。1881年のベルリンであった何らかの事象を描いた本なんだろうか? 困ったのが上の文字列。
DES hBulz
と、読めるのだが、これは一体何を意味しているのだろう?
著者名かなと思い、まる1日かけて調べたのだが手がかりが得られない……。では「Bulz」の意味?
出てきたのは、「ルーマニアのチーズ卵料理」なのだ。いったい、それと「1881年のベルリン」がどんな関係にあるのか?
じゃ、1881年のベルリンでは何があったのかをドイツ史で調べたところ、2つに絞り込めた。
1)1881年 ベルリンで世界初の路面電車が開業
2)1881年 ドイツ、オーストリア、ロシア3国による三帝同盟が復活
後者の可能性もあるが、かなりの大判サイズの本のようなので、図版集かもしれない。となると、世界初の路面電車の本か?
そこで、この百科事典で「路面電車」を調べてみた。ドイツ語では「Straßenbahn」だが、その項目はなかった(まだ一般的ではなかったから?)。「電車」を引いても路面電車はなし。その代わり、またもや美しい電車の図が出てきた。

「電気式高速鉄道のモーターカー」という説明がある図。

これで喜んでいてはいけない。
DES hBulz
BERLIN
1881
とはどんな本かを調べねば。
「DES hBulz」の部分が不鮮明ゆえ、これが正確にわかれば手がかりが得られるかもしれない。そこで、親しいドイツ人夫妻にこの画像を送ってどう読めるかを尋ねたのだが、「わかりません」という返答だった。インテリのドイツ人でもわからないとは・・・・・・。
この図書館の書棚は「大英博物館の図書館」なので、そこで「大英博物館」のウェブを探し、収載資料の検索をしてみた。
http://libraries.britishmuseum.org/client/default
「BERLIN 1881」で検索したところ91件がヒットしたのだが、いずれも1881年刊の書籍のみで、本のタイトルにこれが入っているものは見つからなかった。
およそ1週間、この「DES hBulz BERLIN 1881」に翻弄されてしまったが万事休す。大好きな大英博物館ゆえ、次回、訪ねた時にこの本の所在を聞くことにしようとあきらめて、この百科事典をパタンと閉じたところ、ぼろぼろの背表紙から小さなクモが飛び出してくる始末。
クモのすみかと化した百科事典だが、こうして私の興味、関心を次々とひきおこす力があるのだから、思いきってバラバラにして高画質スキャンをして私だけの超貴重デジタル本にしようかなと思っているところです。
<第4回了>

筆者註:本文中の図版の出典は「Meyers Großes Konversations-Lexikon 1905」です。

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