第122回 うだつが上がらない

 今回は自分のことをいう言葉のようで意気が上がらない。

 「うだつ」というのは家の造りのことをいう言葉だった。屋根のてっぺんを支える「うだち(梲)」の変化した語である。

 伊勢神宮や神社などの屋根を正面から見ると、本を伏せたような形で漢字の「八」の字のように見える。拝んで合掌し、手を広げると「八」の字のように、とんがり山形になるので合掌造りとも言う。この屋根は、切妻破風(きりづまはふ)屋根とも呼ばれたりする。その切妻破風屋根を高くそびえさせるために、横にわたす梁(はり)に対し直角に立てられ、屋根を支える柱である棟木(むなぎ)のことを「うだち(梲)」と言う。

 江戸時代になると、とくに京阪地方をはじめ棟続きの家屋が並ぶところの街並みでは、立派な家構えに見えて格式を高く見せるため、屋根の頂上だけをより一段高くした屋根造りをするようになった。切妻破風屋根にすると見栄えが立派になることと同時に、トップ(頂き)が高くなり、瓦(かわら)で造った屋根は火の粉を防ぐ壁のようになり、類焼防止用の屋根としても働き、積極的にこの屋根造りをしたようである。

 さらに隣家からの類焼を防ぐために、瓦造りの切妻破風屋根にするだけでなく、隣家との間にウサギ(兎・卯)の耳のような形で防火壁をこしらえ万一に備えた。この防火壁の形状から、これを「卯建(うだち)」と呼ぶようになった。

 さて、江戸の街ではどうであったか。トントン葺き(木っ端を葺いた屋根)が並び、防火壁の「うだち」のある家が点在する程度では、防火効果は期待できない。でも、武家屋敷は別として、瓦屋根の民家は贅沢(ぜいたく)な家と見なされ制限されていた。

 そこで8代将軍徳川吉宗の享保の改革で、防火上のことを考えると、新築の家屋は瓦屋根にしてもよろしいと大岡越前守忠相(ただすけ)が命じた。むしろ瓦屋根の普及を奨励しており(享保5年〈1720〉4月町触れ)、以後、急速に瓦屋根が普及する。

 しかしながら、100万人を超す過密都市江戸では、トントン葺きの安普請(やすぶしん)の民家や長屋が多く、その町触れの効果もなく、なんども大火に見舞われている。

 それでも1800年以降になると、大きな商売をしている大伝馬町(おおてんまちょう)の呉服屋のならぶ繁華街などでは、図版にあるように並んでいた家ごとに、類焼をいくらかでも防ごうと、家と家の間に瓦屋根の防火壁「うだち」をこしらえていた。

 類焼を防ぐ「うだち」(「うだつ」)が造られている立派な家は繁盛している店であり、「うだち」を構えた家は商売人として成功した人たちの象徴でもある。それとは逆に、恵まれない境遇や、出世できない者は家を造るにも「うだち」を屋根に上げられないので、そんな人を指して「うだつが上がらない」人物だと言ったという。

 「うだつが上がらない」の語源説については諸説あるけれど、これがいちばん有力な説である。

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大伝馬町の木綿問屋街の図。屋根は板造りのようだが、家と家との間の屋根には、瓦造りの防火壁「うだち」が見える。『江戸名所図会』(天保5年〈1834〉刊)より。

 
 
 
 
 
 
 
 

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