そのことば、江戸っ子だってね!?
概要
私たちが何気なく使っていることばの多くが、じつは江戸生まれだってご存じでしたか?
「江戸っ子」なことばたちを、江戸の人たちがどうやって生み出し、どのように育てていったのか、「へえ~」と思わずいいたくなる知識を、黄表紙や浮世絵の絵などとともにご紹介していきます。
プロフィール
棚橋正博(たなはしまさひろ)
1947年秋田県生まれ。 早稲田大学大学院講師。早稲田大学大学院修了。日本近世文学専攻。文学博士。 知られざる江戸の風俗文化を多くの人々に伝えることを使命としている。テレビや講演会などでも活躍中。 著書は『式亭三馬』(ぺりかん社)、『十返舎一九』(新典社)、『江戸の道楽』(講談社)、『江戸戯作草紙』『教科書が載せられない名文』『捏造されたヒーロー遠山金四郎』(小学館)など。
棚橋正博の公式サイトコラム記事一覧
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第106回 初午は乗ってくる仕合せ
江戸時代、初午(はつうま)の日(2月の初めに巡ってくる午の日。今年は2月6日だった)は縁起がよく、物事を始めるのに良い日だとされた。 初午にかかわるこんな話が、元禄元年〈1688〉年に刊行された井原西鶴(さいかく)の浮世草子(うきよぞうし)『日本永代蔵(にっぽんえいたいぐら)』の劈頭(へきとう)を飾っている(「初午は乗つてくる仕合(しあわ)せ」)。 初午の日、泉州(せんしゅう。大阪府貝塚市)…
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第105回 初卯と梅見
暖冬で早くも梅が開いたと聞いたと思ったら、突然の寒波襲来。先日、関東も大雪にみまわれ大混乱であった。受験シーズンのいまごろ、受験生が合格祈願に訪れる湯島天神には、梅が咲きはじめるころなのだが。 梅は中国から渡来した品種で、日本では古来より歌人や学者、文人に愛された。菅原道真(すがわらのみちざね)の「東風(こち)吹かば匂いおこせよ梅の花…」の和歌など、梅はさまざまな古典文学や絵画で描かれてきた。…
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第104回 春画と春本
昨年、東京・目白の永青(えいせい)文庫で行われた春画(しゅんが)・春本(しゅんぽん)の展覧会「SHUNGA春画展」は、入場者の過半が女性で、とくに若い女性が圧倒的であったと聞く。私などは自由な時代になって結構なことだと思う。 「春画」は男女の情交を描いた江戸時代の肉筆画や版画であり、「春本」はそれらが本の形になったものである。「春本」には、「ワ印(じるし)」「艶本(えんぽん、えほんとも)」「嫁…
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第103回 吉原の正月
吉原の正月は静かである。 元日の朝は居続けの客もなく、メインストリートである仲之町(なかのちょう)通りには人影がない。ひっそりとした音のない世界でもある。時折、時を告げる金棒引(かなぼうひき)が、金棒を引きずり鐶(かん)を鳴らし歩き、時を告げる柝(き)を打つ音がするだけである。 吉原の大晦日(おおみそか)から元旦にかけて、若い者(妓牛〈ぎゅう〉とも言う)は大忙しである。「引け四ツ」が過ぎて客…
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第102回 酉の市と熊手
年末の商家では、酉(とり)の市(いち)で熊手(くまで)を買い替えて、歳(とし)の市で迎春の縁起物を買い揃える。どちらも年の瀬の風物詩として今も行われている。 酉の市は、11月の酉の日に行われる鷲(おおとり)神社の祭礼で、江戸時代に盛んになった。今年は三の酉まであった。 三の酉まである年は火事が多いといわれる。江戸の三大大火と称される明暦3年(1657。振袖火事)と文化3年(1806。丙寅〈へ…
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第101回 江戸の紅葉めぐり
凩(こがらし)の季節を迎え、関東も各地で紅葉の見頃となっている。TVの宣伝文句ではないけれど、桜の名所は楓(かえで)の名所でもあることが多いという。 ソメイヨシノで有名な染井村(豊島区・駒込)は、江戸時代、秋の風物詩の楓見物でにぎわっていた。隣接する菊作りで人気があった巣鴨村からここまでずっと植木屋が並び、植木職人が競って秋を彩る種々の楓を育てていた土地柄だった。 染井村の名前が全国的に有名…
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第100回 百川と百万都市・江戸
ここに このコラムも百回を数えることになった。 百が付く言葉は、数が多くてめでたいとか、沢山(たくさん)あることの形容として使われる。幸福、幸運の多いことを言う「百福」などは、めでたさと数の多いことが合体した言葉である。 百万長者とか、百万ドルの夜景とか価値の高いことを「百万」と言い、今日では百万では足りずに億万長者と呼ばれる。今から230年ほど前の天明年間(1781~89)には江戸は百万都…
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第99回 戯作者たちの繁忙期
書店には、早くも新年のカレンダーや日記などが並んでいる。毎年出すものは夏にはすでに制作を進めていると聞くし、月刊誌などの新年号はいまごろはもう大体出来上がりつつあるのかもしれない。 江戸時代、本の出版のほとんどは正月と決まっていたから、いまよりもっと早くから準備していた。そして、人々は正月に新春版の新しい本を買うのをとても楽しみにしていたのである。 江戸では、気の早い顧客や馴染(なじ)みの客…
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第98回 飲み食べ笑う「えびす講」
10月20日(旧暦)は「えびす講」である。関西から伝えられた七福神のひとつ「えびす様」を祀(まつ)る「えびす講」は、江戸の商家や吉原でにぎやかに行われていた。 吉原では、この日は紋日(もんび)となったから、廓(くるわ)の中で素人狂言(しろうときょうげん)や浄瑠璃語(じょうるりがた)り、落咄(おとしばなし)などが華やかに催され、芸者たちはこぞって芸の見せどころの夜となった。遊女たちは馴染(なじ)…
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第97回 お月様は放蕩息子
中秋(ちゅうしゅう)の名月を眺めることを、江戸人たちは楽しみにしていた。 金持ちも貧乏人も、名月は同じように見ることができ、秋の訪れを体感できる月見は年中行事でもあった。今年のように猛暑というか酷暑というか、夏が暑ければ暑いほど秋を実感できた。 名月と言えば、俳人の小林一茶(いっさ)のこんな句を思い出す。 名月をとつてくれろと泣く子哉(かな) (おらが春) 煌々(こうこう)と輝…
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