そのことば、江戸っ子だってね!?
概要
私たちが何気なく使っていることばの多くが、じつは江戸生まれだってご存じでしたか?
「江戸っ子」なことばたちを、江戸の人たちがどうやって生み出し、どのように育てていったのか、「へえ~」と思わずいいたくなる知識を、黄表紙や浮世絵の絵などとともにご紹介していきます。
プロフィール
棚橋正博(たなはしまさひろ)
1947年秋田県生まれ。 早稲田大学大学院講師。早稲田大学大学院修了。日本近世文学専攻。文学博士。 知られざる江戸の風俗文化を多くの人々に伝えることを使命としている。テレビや講演会などでも活躍中。 著書は『式亭三馬』(ぺりかん社)、『十返舎一九』(新典社)、『江戸の道楽』(講談社)、『江戸戯作草紙』『教科書が載せられない名文』『捏造されたヒーロー遠山金四郎』(小学館)など。
棚橋正博の公式サイトコラム記事一覧
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第36回 出替りと契約社員
近頃、川柳(せんりゅう)が盛んである。誰でも作れるし、理屈抜きに「なるほど」と思わせる秀句に出会うと楽しいものである。しかし、憎まれ口だと言われるのを覚悟で言うのだが、川柳の由来がわかっているのか心もとない若い選者もいて、選ばれた川柳に首をひねることもある。それから見ると、江戸の元祖・柄井川柳(からいせんりゅう)は、流石(さすが)だなぁと思うことがしばしばである。 そこで、柄井川柳が出した『誹風…
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第35回 「景気」と「経済」
日本経済の失速とデフレからの脱却、景気回復に政府はアベノミクスで乗り切ろうとしているようだ。でも、実効のあがる経済政策の舵取りはなかなか難しいようである。アベノミクスの経済政策が正念場を迎えるのは、案外早いことになるかも知れない。 江戸時代、公共事業を増やして景気拡大を図った政治家が老中田沼意次(たぬまおきつぐ)である。意次といえば、相変わらず時代小説では悪役として君臨しているようだ。意次の膨張…
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第34回 旧正月と名刺
日本にいる中国の人たちが旧正月(旧暦、太陰暦。今年は太陽暦で2月10日)を祝うために帰国ラッシュになるのが、年中行事になったようでもある。日本でも、江戸時代までは太陰暦を採用していたから、正月といえば旧正月のことだった。 太陰暦が太陽暦に変更されたのは、明治5年11月9日(旧暦、太陰暦)のこと。この日、大蔵省参与の要職などを歴任する大隈重信(おおくましげのぶ)は、来たる12月3日を明治6年1月1…
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第33回 蕎麦・うどん売り
寒い夜には温かいものが食べたくなる。今は、お湯をそそぐだけのカップラーメンなどがあるからまったく困らないが、昔は、夜鳴きそばがチャルメラを鳴らして売りに来たものだ。そんなことをご存じの方はおそらく昭和も前半生まれの世代であろうか。 蕎麦(そば)かうどんかは好みの分かれることころであるが、最近ではうまい讃岐うどんも手軽に食べられる店が東京にもできて、江戸っ子は蕎麦などとばかり言ってもいられなくなっ…
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第32回 大人の凧揚げ
正月の楽しみが凧揚(たこあ)げだったというのも昔のことになりつつある。正月に凧揚げに興じた世代が高齢化しているからなのかも知れない。そういえば、一時期、三角翼の外国凧(ゲイラ・カイト)が流行したことがあったものの、竹と紙製の絵凧や奴凧(やっこだこ)と趣の異なるビニール製で形も違うところから、いつの間にか見ることもなくなった。 ただし、凧が空高く上がる様子を天に昇る隆盛で商売繁昌と見立て、縁起物と…
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第31回 江戸の宝くじ・千両富
今年の年末ジャンボ宝くじは、前後賞を合わせて6億円。宝くじ売り場の長蛇の列に並んだ方も多かろう。大晦日の抽選で、億万長者が何人も誕生する。 今回は、江戸の宝くじ、千両富(せんりょうとみ)の話である。 千両富に当たると、今のお金に換算するとどれくらいもらえたのか。江戸前期の1700年頃(元禄時代)は1両が13~15万円くらいだから、1億5千万円くらい。ところが、江戸後期の1800年頃(寛政~文化年…
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第30回 試金石
競馬の1年のフィナーレといえば有馬記念(今年は12月23日)だ。今年は、人気馬のオルフェーヴルとジェンティルドンナの出走回避で、競馬ファンはガッカリしているかもしれない。 スポーツ新聞などの競馬の予想記事に、「このレースの結果が有馬記念の出走に向けての試金石(しきんせき)」と書かれるのを、よく見かける。どうして競走馬の力量が「石」にたとえられるのか、不思議に思う人がいるかも知れない。 「試金石」…
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第29回 フグは食いたし命は惜しし
鍋物が恋しい季節となった。 今はどこでも全国の名物鍋が食べられ、鍋物の季節感も失われたように感じる。しかし、寒い日の鍋物の代表は、やっぱりフグ鍋という人も多かろう。 江戸時代にはフグ鍋は、「鰒汁(ふくとじる)」と呼ばれていたようで、松尾芭蕉も井原西鶴も「鰒汁」の文字を用いて、そう呼んでいる。フグ汁はまた、「鉄砲汁」とも呼ばれた。当たると死ぬからである。 かつてフグ鍋など、食中毒を起こすもの…
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第28回 江戸時代に「お札」が使われていたら
お金の話をもうひとつ。 山東京伝(さんとうきょうでん)の黄表紙(きびょうし)に、天から小判や一分金(いちぶきん)がばらばら降ってくる挿絵がある(図版参照)。困窮する世の中を風刺して描いたものだ。もしも江戸時代に紙幣が使われていたら、天からお札がはらはら降ってくる絵になるのだろうが、紙幣ではどこかありがたみがない。 江戸幕府が全国に通用する貨幣としてお札(紙幣)を発行したことはなかった。と言う…
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第27回 紅葉狩りと吉原
今年はいつまでも暑さがつづいたが、やっと涼しくなってきた。これから一気に秋が深まり、紅葉も見頃になることだろう。 秋の行楽といえば、紅葉狩(もみじが)りである。江戸の紅葉狩りでは、浅草竜泉寺町の正燈寺(しょうとうじ)と、品川の海晏寺(かいあんじ)が双璧(そうへき)だった。どちらも遊里は目と鼻の先、紅葉狩りを口実に登楼するのが江戸っ子たちであった。 図版は、正燈寺の紅葉狩りの様子を描いたもので…
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