日国余滴
アクセントを見える化する
加藤 大鶴
学生から『鬼滅の刃』に出てくる「猗窩座(あかざ)」というキャラクターのアクセントが人によって違うということが話題になっていると聞いてから、アクセントを扱う授業では「つかみ」として用いることが幾度かあった。「みなさん、あかざ(頭高型・①型)とあかざ(平板型・⓪型)、どちらのアクセントですか?」というやりとりは、それなりに学生を引きつける話題であったし、言葉を扱う教員ならすぐにイメージできる光景だと思う。でもこうして文字にしてみると、読者に伝わるかが途端に不安になる。
さらっと上に書いた「頭高型/平板型」「①型/⓪型」というアクセント型を記述する用語は、音調の聞き取りとそのパターンの結びつけが行われ、それに名前を付けるというプロセスを経てみないとどうにも分からないからだ。
同じ言葉の音について扱うにも、「ながぐつとながくつ、どちらを使いますか?」などは教室ではもちろんのこと、文字で記しても読者にはきちんと伝わることだろう。「ぐ」と「く」の間にある清濁の違いは、音と文字記号の結びつきが社会慣習としてできあがっているので、くどくどしい別の説明が不要である。
アクセントで何かエッセイを書いてくれと編集部からお願いがあったとき、いいんだけど難しい……と内心思ったのは、アクセントを表現するために「頭高型」と書くのに前提となる説明を入れなくてはならず、肩肘張ったエッセイになってしまうことを恐れたからだった。教室だったらそんな心配はない。教員が発音してみせればいいからだ。アクセントや音調とは身体的なものである。いや清濁に関わる発音だって人体から発せられる違いなんだから身体的なものには違いない。でもアクセントや音調というものは、一般的に記号との結びつきがないので、身体的な実現と認識の中に閉じ込められている。
学生時代に背伸びして読んだヴァイスゲルバーという言語学者は、ことばを「現実を精神の財産に改造する鍵」だと書いていた。ことばで世界を切り取ると何か分かった気持ちになる。あなたはお酒をどれくらい飲みますかと健康診断で問われると、「えっふつうです」くらいしか言えないのに、何合くらいですかと言われればずっと答えやすくなるのに似ている。ビール党なので350ml缶で尋ねてほしいが。いずれにしても身体的で曖昧模糊としたアクセントも、ことばで定義すれば私たちの認知世界に招き入れることができる。
さて日本国語大辞典の「桜(さくら)」をひいてみると、発音欄に次のように記してある。
これを見て「なるほど、標準語アクセントでは⓪型、すなわち平板型で下がり目のない型で、アクセント史の観点からすると平安時代の京都方言では高い平らで、それが現代京都アクセントにつながってくるんだな」と理解する人はかなり特殊なのであって、「よく分からないから凡例を見てみよう」という人でもそれなりに特殊、「よく分からん、アクセントって苦手なんだよね」となるのが一般的な良識人というものであろう。
アクセントを理解するのはちょっとハードルが高い。そのことは、アクセント研究者もうすうす(いやはっきりと)分かっている。だからなんとか分かりやすい伝え方がないかと考えて、色んなアクセント観のもとで、色んな表記法を模索してきたのだった。
どれが分かりやすいだろうか?せっかく記号化した我々の努力とは裏腹に、どれも分かりにくいと言われるかもしれない。アクセントの背後にあるのは、声帯の振動がもたらす周波数(ヘルツで表される)=ピッチの違いと、それを聞き取る我々の認知だ。例えば「桜が咲いた」の発音は下図(韻律読み上げチュータ スズキクン、https://www.gavo.t.u-tokyo.ac.jp/ojad/phrasing/index を利用)のように実際にはなだらかに下降している。「サクラ」も「サイタ」も平板型と名付けるのだから一昔前のロボットみたいに抑揚のない声で実現するかと思いきや、そうではない。いずれの表記法も何らかの抽象化を行っており、現実の音調をそのまま表現してはいないのである。
マンガなどで時折目にするアクセントの表記はセリフに音高表示を被せるからずっと分かりやすいかもしれない。画像は「モエモエ」(頭高型)というヒロインと、「メソ」(平板型)という謎の生き物の発音を示したものである(うすた京介『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』第6巻、集英社、p.150、1997年)。それでも筆者にはこの表記から「モエモエ」を平板型に、「メソ」を頭高型に読み取る友人がいた。
そもそもどこが高いとか低いとかいう認識自体が主観的なのだ。天台宗の僧侶、安然は『悉曇蔵』(880年)のなかで当時の中国語の四声を、「昂(あがる)」「低(たる)」とするほか、「引(ひく)」という高低にとらわれない表現でも記している。共通語で頭高型であるはずの「イノチ」を「後ろが上がっている音調」と聞き取った学生もそれなりにいる。それを「聞き取りが悪い」とする本質的な立脚点は存在しない。

東北大学附属図書館所蔵『校正悉曇蔵』巻五第29丁表
新しい日本国語大辞典ではどんな工夫ができるだろう。マンガのように文字の上に直観的な音高表示を入れるか。いや、いっそ身体を持ち込んで、音声を付けるか。第2版はおよそ28万項目にアクセント表示がある。それに全部はちょっと苦しい。凡例にだけ音声を付ければいいとしても、結局凡例を見てくれる読者がどれほどいるか……。使い古された、アクセントは悪戦苦闘ということばが思い出されるのである。
安然さん、私たちがみんな納得するアクセントの記法と秘法をどうか授けてくださいませんでしょうか。
◎プロフィール
加藤大鶴
かとう・だいかく/1973年東京都生、言語生育地は愛知県。早稲田大学教授。博士(文学)。専門は文献を用いたアクセント史、漢語声調・アクセントの歴史的研究。漢字音・漢語音データベースの構築などに取り組んでいる。
概要
よ‐てき 【余滴】
(1) 筆の先や硯(すずり)などに残った墨のしずく。
(2) 雨の後のしたたり。
(3) ある作業の副産物。「研究余滴」
(『現代国語例解辞典 第五版』より)
『日本国語大辞典』の改訂作業のなかでの発見や、辞書には記述されにくいこと、辞書からこぼれ落ちてしまうことなどを不定期で掲載します。
プロフィール
『日国』編集部
この連載は『日本国語大辞典 第三版』の編集に携わっている方からの寄稿記事です。各記事にプロフィールを添えています。
コラム記事一覧
-
明治以降に増えた新漢語「共_」をめぐる疑問
田中 牧郎 「新漢語」と呼ばれる「新しい漢語」 日本語の語彙は明治時代から突然増える。その多くは熟語(漢語)だ。明治以降に登場するものは、江戸時代より前の漢語と区別して「新漢語」と呼ばれることがある。ある漢字に注目すると、江戸時代以前にも多く使われていたが、新漢語で使われる機会がぐっと増えたものがある。 それはどのような字で、なにが理由なのか、ひもといていきたい。 「共(キョウ)」は明治…
コラムを読む -
逆の意味―訓点資料の世界―
山本 真吾 今からもう二十年くらい前になるでしょうか。勤務先の大学のキャンパスで、あるとき、「やばい、やばい」と騒ぐ学生たちの声が聞こえてきました。「授業に遅れそうなのかな」「ハチでも出たのかな」と様子をうかがってみたのですが、本人たちにはまったく緊迫した感じはなく、笑顔ではしゃいでいます。よく見ると手には大学近くのお店で売っている話題のスイーツをもち、それをほおばりながら「やばい」という言…
コラムを読む -
「へ」と「に」の微妙な関係
前田 直子 海外ではどのくらいの人が日本語を学んでいるのだろうか。外国語学習者数の指標は種々あるが、一例として外国語学習アプリDuolingoの利用者データ(2024年)を見てみよう。 1位 英語 2位 スペイン語 3位 フランス語 4位 ドイツ語 5位 日本語 6位 イタリア語 7位 韓国語 8位 中国語 9位 ポルトガル語 10位 ヒンディー語 ――「2024年版 Duolingo La…
コラムを読む -
関西方言の「イキル」と若者語の「イキる」
日高 水穂 関西方言に「イキル」という語がある。「アイツ ナニ イキットンネン(あいつ何イキッテルんだ)」のように使う。鼻につく、癇(かん)に障るものとして、関西人はことさらに「イキリ」に敏感なようなのだが、関西ネイティブではない私には、いまひとつピンとこないでいた。 牧村史陽編『大阪方言事典』(杉本書店、1955年)には、「勢が盛んになる。きほひ立つ。元気づく。」とあるのだが、どうもニュ…
コラムを読む -
「中抜け」の語の謎
近藤 泰弘 「あげつらう」という語がある。「日国」によると「物事の善悪、理非などを議論する。物事の是非をただす。また、ささいな非などをことさらに取り立てて言う」とある。ちょっと文語的な古風な表現ではあるが、特に最後の「ことさらに言う」という意味では現在でも普通に使われる語であると言っていい。試みにX(旧twitter)で検索してみても、「ことさらにあげつらう」「つまらんことをあげつらう」「あ…
コラムを読む -
「す」(【鬆・巣】)についての歴史的・地理的考察
金水 敏 この語について興味を抱いたのは、私が最近好んで視聴しているYouTubeチャンネル「野食ハンター茸本朗(たけもとあきら)ch」に上がっていた、「ワケありで意味シンなひどい名前のイソギンチャクをペロリといただく」というタイトルの動画【*1】に出会ったことがきっかけであった。 このチャンネルは、茸本朗さんという方が、野草、野鳥、流通の少ない魚介類等をハントしてきては、自分で調理してお…
コラムを読む




