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日国余滴

第1回 「す」(【鬆・巣】)についての歴史的・地理的考察

金水 敏

 

 この語について興味を抱いたのは、私が最近好んで視聴しているYouTubeチャンネル「野食ハンター茸本朗(たけもとあきら)ch」に上がっていた、「ワケありで意味シンなひどい名前のイソギンチャクをペロリといただく」というタイトルの動画【*1】に出会ったことがきっかけであった。

 このチャンネルは、茸本朗さんという方が、野草、野鳥、流通の少ない魚介類等をハントしてきては、自分で調理しておいしくいただくという趣旨で、提供されているクオリティの高いオリジナル動画はとても楽しく、時間を忘れて見入ってしまうこともしばしばである。そしてこの回の食材は、現地名「ワケノシンノス」、標準和名「イシワケイソギンチャク」というイソギンチャクで、福岡県柳川等の有明海沿岸で食されているという。イソギンチャクを食用にするということ自体珍しいことで、現在、日本では有明海沿岸のみであり、かつ対象となるのはこのイシワケイソギンチャクに限られるとのことである(「ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑」も参照【*2】)。

 私が興味をそそられたのは、「ワケノシンノス」という現地名の語源で、「若い者の尻の穴」という意味なのだという。「ワケ」はおそらく「わかい」の変化形であり、「シン」は「尻」の音便形であると推測がつくが、なぜ穴が「す」なのであろうか。大根やニンジン等の根菜類が古くなって中が粗雑な繊維状に変化することを「すが入る」と言うが、ひょっとしてこの「す」と関係しているのではないか、九州ではこの「す」をもっと一般的に「穴」の意味で使っているのではないか、などと推測し、JapanKnowledgeで『日本国語大辞典 第二版』を検索してみた。

 この仮説は、概ね当たっていた上に、実はキリシタン資料など、中央の文献にもその痕跡が残っていたという事実を知った。「す【鬆・巣】」の解説・用例のブランチは以下のようになっている。

(1) 大根、牛蒡(ごぼう)、蓮根(れんこん)などの、時期がすぎて、みにできるすきま。また、食品、植物、その他の組織などに、処理が悪かったため生じる多数の穴。
(2) 筒状のもの。また、その中空の部分。
(3) 鉄砲の筒の穴。
(4) 意図に反して鋳物の中にできた空洞。おもに鋳造の際、ガス抜きが悪かったため生じるもの。鋳巣。
――『日本国語大辞典 第二版』す 【鬆・巣】解説より抜粋

 

 (1)の古例としては、羅葡日辞書〔1595〕「Fistulo 〈略〉Su (ス)、すなわち、アナガ アマタ アク〈訳〉海綿のような穴があく」というものが上がっていた。(2)の用例としては、羅葡日辞書〔1595〕「Ethmoides 〈略〉ハナノ su (ス) すなわち、アナ〈訳〉鼻孔」があった。これは「尻の穴」にかなり近いと言えよう。(3)の用例は日葡辞書〔1603~04〕「Su (ス)〈訳〉鉄砲の筒の穴」であり、(4)の用例は俳諧・毛吹草〔1638〕六「水底やさながら月の鏡のす〈貞盛〉」というものであった。

 さらに興味深いのは、方言の項目である。以下のようになっている。

(1) 穴。小さい穴。 《す》徳島県811 三好郡810 長崎県対馬911 熊本県918 宮崎県東諸県郡954 《すう》愛媛県周桑郡・今治郡845 《ず》宮崎県東諸県郡954 鹿児島県肝属郡970
(2) 耳や鼻などの穴。 《す》薩摩†137 島根県石見「人を鼻のすに入れたような事を言う(人をばかにしたさまにいう)」725 山口県豊浦郡798 徳島県811 愛媛県845 高知県861 土佐郡866 福岡市879 長崎県対馬911 熊本県下益城郡930 大分県939 宮崎県児湯郡947 鹿児島県961 《すう》愛媛県周桑郡054
(3) 草木などの芯(しん)にあいた空洞。 《す》香川県829 《ず》福島県浜通155 千葉県印旛郡274 山口県豊浦郡「木の胴にづが入ってゐた」498 京都府竹野郡622 兵庫県但馬652 島根県石見725
(4) 瓜(うり)類の種のある部分。 《ず》兵庫県加古郡664 広島県771 香川県829 《ずう》香川県829
(5) わらを積み重ねたもの。 《す》三重県飯南郡590
(6) 海鼠(なまこ)のこのわた。 《ず》香川県西部829
――『日本国語大辞典 第二版』す 【鬆・巣】[方言]欄

 

 (1)および(2)の地理的な分布を見ると、中国、四国、九州等、西日本に限定されているようである。(3)以下の意味では、近畿や東日本にも使用が見られるようだ。有明海沿岸で、尻の穴を「シンノス」と呼ぶ(呼んでいた)ことと符合している。ちなみに、愛媛大学名誉教授の知人の先生は、愛媛でも「耳のす」「鼻のす」は言う、とのことであった。

 以上の記述から、次のような仮説が立てられる。穴のことを「す」ということは、16世紀末頃には京都近辺でもあったので、それが羅葡日辞書や日葡辞書の記述として残った。中央ではその後、野菜の「す」以外は用いられなくなったが、中国・四国・九州ではその後も残存し、その用法が「ワケノシンノス」にも反映されたのであろう。

 ここで気になるのは、「あな」という用語と「す」の違いである。「す」の用例として共通しているのは、「細いパイプ状の穴」という意味である。一方「あな」は、連続的な平面に丸や四角等の空隙が存在することを言うのであり、その穴の奥の構造までは問題にしていないと考えられる。だから、表面だけ見れば「す」も「あな」に包摂されるのである。なお、この点から考えると、動物の「巣」との関連は必ずしも緊密ではない。アリの巣やキツネの巣穴などは「す」と共通しているが、鳥の巣などは形状からして「す」から遠い。

 以上の考察は、『日本国語大辞典』の記述の範囲で推測できることを仮説として組み立ててみたのであり、研究と言うには、ほんの入口に立ったに過ぎないが、辞書の記述だけで日本語の時間的・地理的広がりの一端が把握できてしまうというのは、とても興味深いことだ。これも、用例主義の辞書でかつ方言についての記載も充実している『日本国語大辞典』だからこそできる、ちょっとした日本語の時空の旅ではないかと思う。

『日国余滴』イラスト「す」

イラスト/イトウソノコ https://sonokoito.myportfolio.com/

 

参考資料

【*1】 YouTubeチャンネル 野食ハンター茸本朗(たけもとあきら)ch「ワケありで意味シンなひどい名前のイソギンチャクをペロリといただく」https://youtu.be/yTMH9cGJmLY?si=kkeHoBYpiBfi6Gka (2025年6月13日確認)
【*2】 ぼうずコンニャク株式会社「ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑」https://www.zukan-bouz.com/syu/イシワケイソギンチャク (2025年6月13日確認)

プロフィール

金水敏

きんすい・さとし/1956年大阪府生。大阪大学大学院名誉教授、放送大学特任教授。日本学士院会員。博士(文学)。日本語文法学会会長、日本語学会会長を務める。専門は日本語史、役割語研究。『日本国語大辞典 第二版』の改訂にも関わる。

概要

よ‐てき 【余滴】
(1) 筆の先や硯(すずり)などに残った墨のしずく。
(2) 雨の後のしたたり。
(3) ある作業の副産物。「研究余滴」
(『現代国語例解辞典 第五版』より)

『日本国語大辞典』の改訂作業のなかでの発見や、辞書には記述されにくいこと、辞書からこぼれ落ちてしまうことなどを不定期で掲載します。

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『日国』編集部

この連載は『日本国語大辞典 第三版』の編集に携わっている方からの寄稿記事です。各記事にプロフィールを添えています。

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