第33回「~してあげる」はだれからだれへ?

第33回「~してあげる」はだれからだれへ?

 前回、「与える」という言葉について触れましたが、同じように相手に何かを「与える(やる)」ような意をもつ語に「あげる(上げる)」という言葉があります。この「あげる」は、「~て(で)あげる」の形で使われる補助動詞の用法とともに、時折問題になることがあるようです。まずは、動詞「あげる」の意味から考えてみましょう。

 「あげる」は本来、「箱を棚にあげる」のように低い所から高い方へ動かすという意味をもち、そこから「敬う人に差し出す」という、「やる・与える」の謙譲語としての意味ももつようになりました。「差し上げる」よりは、相手に対する敬意の軽い語ですが、謙譲語は通常、自分側を低めて相手側を高めるものですから、「花に水をあげる」「イヌにエサをあげる」など植物や動物にまで用いるのはおかしいのでは、ということで、このような使い方が時々問題になるようです。

 しかし、近年は「あげる」の謙譲語としての性質が弱まり、「やる・与える」の丁寧語・美化語のような使われ方をしている傾向が感じられます。これは「やる」という語が、やや品がなく粗野な感じがするなどの理由からか、使いにくいと感じる人もいることからきているようです。たしかに、いくら動物といえども、飼っている相手によっては、「やる」というのは案外言いにくいことがあるものです。たとえば、愛犬家の恩師のお宅にお邪魔して、直接イヌやネコに声をかける場合はどうでしょうか。「はい、これやるよ」とはちょっと言いにくいものですし、直接でなくても「イヌにやってください」も同様に使いにくさが残ります。自分の子どもに対して「これあげるからね」というような言い方をする人が多いのも、同じように粗暴な感じが敬遠されるのがその理由かと思われます。もちろん、どう感じるかには個人差がありますし、また使いすぎは耳障りなこともありますので、時には言い換える工夫も必要でしょう。

 特に、次の例のように、自分のことを人に話すような場面では言い換えが好ましいことも多いものです。たとえば、「孫に小遣いをあげた」「孫の習い事として習字道具を買ってあげた」「子どもに本を読んであげた」を言い換えるならば、「孫に小遣いを渡した」「孫の習い事に習字道具を買い与えた(贈った)」「子どもに本を読んで聞かせた」などと表現することもできます。また、「先生は毎日花に水をやるんですか」のように、目上の人に対して「やる」という語を使いにくければ、「先生は毎日花の水やりをなさるのですか」と言い換えることもできるでしょう。「水をおやりになる」と言うこともできますが、「テニスをおやりになる」よりも「テニスをなさる」のほうが響きが良いと感じる人も多いでしょう。そのような点からも「水やりをなさる」のほうが言葉として落ち着く感じがします。花や植え込みに水をやることを「遣り水」「水撒き」などと言いますから、文末の相手の動作の部分を「なさる」という尊敬語にすることで、言葉も落ち着きますし、敬意をそこなうこともありません。

 もうひとつ、「手伝ってあげる」「読んであげる」などの「~て(で)あげる」の形で、恩恵として行う意を表す補助動詞の用法もときどき問題になることがあります。「~て(で)やる」の謙譲表現になるわけですが、「~て(で)あげる」は、ときに差し出がましい、恩着せがましいなどの印象を与えることもあるため、目上の人に使うのは失礼にあたります。「先生、駅まで送って差し上げます」「先生、お荷物を持ってあげます」などは、いずれも「先生、駅までお送りします」「先生、お荷物をお持ちします」が適切でしょう。

 また、「あげる」は、恩恵を受ける人などがあるうえで使われるものです。「おこづかいをあげる」「エサをあげる」なども適否は別としても、恩恵を受けるべき対象がそこにあるという点では共通しているわけです。ですから、最近よく耳にする「(石けんを)手の平でよく泡立ててあげてください」「ソースをよくなじませてあげてください」などの表現は、恩恵を受ける対象が「石けん」や「ソース」ということになってしまうため、不自然な表現といえるでしょう。
 
  丁寧語や美化語としての用法が一般化しつつある「あげる」「~て(で)あげる」ですが、恩恵を受ける対象が何なのかを考えて使いませんと、恩恵どころか違和感を与える言葉にもなってしまいます。使う場面や対象を考えて使い分けたいものですね。

 

 

 

第33回「~してあげる」はだれからだれへ?




ほかのコラムも見る