第10回 長崎のティラノサウルス

2015年8月31日 山根一眞
 公開された映画『ジュラシック・ワールド』が大人気。恐竜のイベントや展示があちこちで開催される夏もそろそろ終わる。一息ついたこところで、あらためて「恐竜の調べもの」に取り組んでみた。

映画に出てくる「T-レックス」の仲間を発見!

 2015年7月14日、アメリカ・NASAの探査機、ニュー・ホライズンズが冥王星に再接近(フライバイ)を果たし、見事な写真を送ってきた。人類初のこの大偉業に世界中が感動したが、同じこの日、日本では同じように胸が熱くなる科学的大発見の発表があった。
 2014年度の長崎市と福井県立恐竜博物館による共同調査によって長崎県の三ツ瀬層という地層で発見された恐竜の化石が、何と「国内初となるティラノサウルス科(獣脚類恐竜)大型種の化石と確認された」という発表だ。
長崎県で発見されたティラノサウルス科恐竜の歯の化石(左の2点)と他の獣脚類の歯の化石(右)。(画像提供:長崎市教育委員会・福井県立恐竜博物館)
 ティラノサウルスの代表種である「T-レックス」は圧倒的な人気恐竜だ。「ジュラシック・パーク」シリーズの映画でも恐竜展示会でもいつも主役。地球上に存在した史上最大の肉食恐竜として、そのどう猛なイメージから「恐竜の王者」として大好きという子供も多い。その巨大恐竜の仲間、しかも大型のヤツがかつての日本に棲息していたというのだから、これはすごいニュースだった。
 もっともそのティラノサウルス、いくら巨大と言われても現物の骨を目の当たりにしなければ巨大さは「実感」できない。そこで、代表種「T-レックス」の頭部化石の写真(レプリカ)をパソコン上で「原寸大」に拡大、プリントするというおバカなことをやってみました(A3判で二十数枚に分割プリントし貼り合わせるのが大変でした)。この原寸大プリントを間近で眺めると、「こりゃ、なるほどゾッとする巨大さ、どう猛さだなぁー」と実感できましたです。
史上最大の肉食恐竜「ティラノサウルス・レックス」の原寸大のプリントを前にした友人のお孫さんである長見(たける)君。(写真・山根一眞)福井県立恐竜博物館にはアメリカ・サウスダコタ州産で骨格全長11.3mの標本が展示されている。
 長崎で発掘されたティラノサウルスについて、長崎市教育委員会と福井県立恐竜博物館はこう発表した。

 ティラノサウルス科はティラノサウルス上科の進歩的なグループで、白亜紀後期の後半(約8300万年前〜約6600万年前)の北米とアジア(主にモンゴル、中国)に化石記録があります。
 祖先的な種類も含むティラノサウルス上科(ジュラ紀後期〜白亜紀後期)の化石は、近年、原始的な種類の多くがアジア(特に中国)とヨーロッパから発見されています。国内においては5カ所から化石が知られていました。

 えっ? これまでにも日本で発見されていた?

 福井県大野市、石川県白山市、兵庫県丹波市は白亜紀前期からの化石が、熊本県御船町と福島県広野町は白亜紀後期からの(ティラノサウルス科の)ものです。福島県の化石以外は、全て前上顎骨の歯(上顎の先端に生えていた歯)であり、その横断面形態がD字型であるなどの特徴からティラノサウルス類と鑑定されています。

しかし、これら前上顎骨の歯は小さく、比較的小型なティラノサウルス類とみられます。福島県の化石はティラノサウルス科の左脛骨と歯が知られていますが、どちらにおいても大きな個体のティラノサウルス類ではありません。

 長崎市の化石は、これまでの国内のティラノサウルス類よりも新しい時代のもので、ティラノサウルス科の化石産出時代としても矛盾はなく、大型種に属する歯の化石です。三ツ瀬層からは過去に複数の獣脚類の歯の化石が発見されており(大型獣脚類の歯2点/2013年公表、小型獣脚類の歯2点/2014年公表)、今回の化石は北米〜アジアにまたがって繁栄したティラノサウルス科の分布域とアジアでの年代を知る上で注目に値します。また、白亜紀後期の長崎市周辺にティラノサウルス科を含むさまざまな肉食恐竜たちが生息していたことをさらに再確認するものとなります。
 ちょっとわかりにくい文章なので図解してみたのが以下だ。
長崎県で発見されたティラノサウルス科の恐竜や日本などでの発見の経緯を年表にしてみた。日本国内での「発見地」の図での位置は白亜紀前期、後期であることを意味しており、正確な年代を示すものではありません。(作図・山根一眞) 日本でこれまで発見された「ティラノサウルス科」の恐竜は小型のものだったが、今回の長崎産は映画のモデルとして登場するあの巨大ティラノサウルス=T-レックスをも彷彿とさせるもの、ということのようだ。
 今回発見されたのは2本の歯だけなのだが、その発掘場所は長崎半島の西海岸の白亜紀後期の三ツ瀬層(約8100万年前)。発表された地図の「産出地位置図」がかなり広い範囲の楕円で記されているのは、詳しい位置を記すとマニアに荒らされることを避けるためだろう。
ティラノサウルス科化石の発見地(赤の楕円破線内)。左の矢印は上が高島、下が世界遺産となった軍艦島(端島)。(図:長崎市教育委員会と福井県立恐竜博物館が発表した発見地の地図に一部加筆)。
 このティラノサウルス科化石のニュースに接して、50余年前のことを思い出した。
 中学時代、私は理科の先生の影響で「地質・古生物」に熱中、関東周辺の地層を調べて歩き多くの化石を採集してきた。
 最近は「化石の売買」が広まっているが、私の中学時代には化石の売買など思いもよらないことだった。化石は、自分で見つけて採集してこそ価値があるからだ。
 フィールドに出て、これには何かが潜んでいると目星をつけた大きな岩石にタガネ(鋼鉄製の先が尖った短い棒)を当て、岩石用のハンマーを振り下ろし続けること数時間。中学生が扱えるハンマーは1.5ポンド(680グラム)がせいぜいで2ポンド(907グラム)のハンマーでは重すぎてちょっと無理だった。そのため大きな岩を割るにはかなりの時間がかかった。
 振り下ろすハンマーの狙いがはずれタガネを持つ左手は傷だらけになるのが常だったが、その痛みも何のその、ついに割れた岩石の断面に古生物の痕跡(化石)を発見したときの感動は表現できないほど大きかった。
 それは、数千年から数億年もの間、岩石中に眠り続けていた生き物が私の手によって姿を現したからなのだ。夕暮れ迫る河原でそれを見つめる私は、タイムマシンで数千万年、数億年前の世界へと到達したのと同じだった。
 おカネを出して化石を買うのでは、こういう感動は絶対に味わえない(と、エラそうに言いつつ、最近はつい珍しい化石を見ると買っちゃうんですがね)。
著者愛用の最近の地質用ハンマーとタガネ。魚の化石(中生代)は40年前にブラジルで得たもの。(写真・山根一眞)

日本初の恐竜化石と軍艦島エリア

その化石熱中の少年時代、新聞にすごい記事が出た。長崎県でかなり大きな恐竜の化石が見つかったというニュースだ。その切り抜きを、ルーズリーフ型の地質フィールドノートに貼り付けて繰り返し読んでいたのだが、そのノートは五十数年を経た今も手元に残っている。

山根の中学時代の地質・古生物フィールドノート。小学生時代に買ってもらった大事なルーズリーフノートだ。下は埼玉県での化石採集記録だが、その化石を新宿区にあった工業技術院(現・産業総合技術研究所、在つくば市)地質調査所東京分室に持ち込み大山桂博士(1917年~1995年、著名な古生物学者で日露戦争の陸軍元帥大山巌の孫)に鑑定したもらったことが記してある。(写真・山根一眞)

トラコドン化石発見を伝える当時の新聞記事スクラップ(上)。赤茶けて読みにくくなった新聞記事だが「スキャンスナップ」(PFU社製)でデジタル取り込みし画像処理ソフトできれいに復元(下)。(写真・山根一眞)

中生代に栄えたトラコドン
日本で初めて化石発見
長崎県 地下九百余メートルの坑底から

(記事の発行年月日は不明)
記事には「トラコドンの上腕骨の一部の化石」の写真と、復元想像図が載っていた。復元想像図は、まさに巨大な恐竜の姿だった。
記事によれば、この化石は「三菱高島鉱業所二子立坑の一番底(地下917m)で発見された。化石に興味をもつ作業員の一人、熊本善導さんがダイナマイトで破砕した砂岩層の中に4個の「黒光りするもの」を見つけ、東京大学地質学教室の高井冬二教授に鑑定を依頼。その結果、4個をつなぎ合わせたものがトラコドンの上腕骨の一部と判明した、というのである。熊本善導さんは当時47歳(御生存中なら100歳近い)なので当時の状況を聞くことは難しい?
では、記事に記されている「三菱高島鉱業所二子立坑」とはどこなのか?
何と高島鉱業所とは、世界遺産となった「軍艦島」(端島)もその一部をなす当時の「三菱石炭鉱業高島鉱業所」の炭坑なのである。軍艦島からは約2km北に位置するが、後に海底坑道で軍艦島ともつながっていたのだ。その高島から海底深くに延びていた炭坑の坑道底が、トラコドンの発見現場なのである。

高島鉱で採掘されていたきわめて良質の石炭は、八幡製鉄所での高品質の製鉄に欠かせない原料だった。写真は最近入手した高島の石炭だが、石炭は地質時代の植物化石なので動物化石が混じっていてもおかしくない。写真の横縞は植物の痕跡。(写真・山根一眞)

「高島」は、今回、ティラノサウルスが発見された長崎半島西海岸の沖、4~5kmに位置している。
トラコドンはカモノハシ恐竜とも呼ばれていた草食恐竜だ。大型の草食恐竜が食べる植物の量は膨大。トラコドンが棲息していたことは、当時、植物がきわめて密に繁茂していたことを物語る(それらが莫大な量の石炭という化石になったのだ)。
その草食恐竜は肉食恐竜の「食べもの」だった。ティラノサウルスのような大型肉食恐竜は豊かな森があり、大型の草食恐竜がいてこそ生存、進化を続けられたのだ。つまり、今回発見されたティラノサウルスは、五十余年前に発見されていたトラコドンは、豊かな森における補食者と被補食者という生態系を物語っていて、その2つがほぼ同じエリアで発見されたのだからことさら感慨深い(地層の深さなどの違いはあるが)。
7月14日の発表は五十余年前の私のノートに残っていた記録(これ自体化石のようだが)と重なりちょっと嬉しくなった。そこで、長年にわたり指導をいただいてきた福井県立恐竜博物館の特別館長、東(あずま)洋一さんにそのことを話したところ、思いがけない返答があったのです。
「高島炭鉱(二子立坑)からの化石は、発見当時はトラコドン(現在のハドロサウルス)の化石とされていました。しかし、20年ほど前に、『産出した地層は新生代であり哺乳類の化石を誤認した』と指摘され、現在では幻の恐竜化石となったんですよ」
な、な、な、なんということ!
私の少年時代の感動と憧れの原点は、恐竜ではなく哺乳類だった。

「高島炭坑」の坑道の底で発見されトラコドン化石とされた上腕骨の一部。上は発見当時の新聞記事に掲載された写真。下は福井県立恐竜博物館所蔵の東京大学に保存されている同化石のレプリカ。この写真には、「三菱高島鉱業所・日隈四郎,上腕骨約15cm、”上腕骨の化石”1963年、長崎市高島町の炭坑坑内から発見された骨の化石」と記されている。(写真提供・福井県立恐竜博物館)

思いもかけない展開に無念の思いだったが、この2つの化石は別の大事なことを物語っている。
地球上の覇者として隆盛を誇った恐竜は6500万年前に突然、絶滅した。直径10kmの小惑星がユカタン半島に墜落したためとされる。その大衝撃で地球は凄まじい火炎に包まれ、超巨大津波が巻き起こり、また長期間にわたり暗い雲に覆われ続けた。
大型の動物であった恐竜は、食物を得ることができなくなり絶滅。しかし、ごく一部の小型哺乳類は生き延び、後、進化を続けヒトの登場につながったのだ。
50年を経て結びついたティラノサウルスとトラコドンは、「滅びたもの」と「生き延びたもの」という対をなしているのである。
今回、「トラコドン」から「調べもの」の教訓も得ましたね。
私はあの新聞記事によってじつに半世紀にわたり、これが日本初のトラコドンという恐竜の化石だと信じてきた。しかし発見から30年後、それが否定されたことをまったく知らないままだった。ネット上にもその記載は見つからなかった。
事実と異なるニュースは、一度世に出てしまうと訂正記事が出ても読者は必ずしも気づかない(そのことの方が多い)。誤りはいつまでも誤りのまま記憶として残ってしまうことが多いのだ。あらゆる情報には、こういう問題が常に潜んでいるのだと心しておかなくてはいけない。
いやはや大変、勉強になりました。
<第10回了/恐竜シリーズは次回に続きます>

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