第9回 幻の「東京ホテル」を探す地図の旅(後編)
明治の古地図が見られるサイト
日比谷公園の場所には仮の国会議事堂が
その場所は、現在地でいうと日比谷公園の東北角、日比谷交差点を銀座方面に渡った左手だ。丸の内警察署やニッポン放送があるあたりだ。
リサールが恋人、おせいさんと「東京ホテル」で過ごしたのは1888年(明治21年)。その2年前の地図なのだから、「東京ホテル」の可能性はある。
俄然、元気が出てきた。このポイントにしぼって、以降の地図を調べてみよう。
翌年、1889年(明治22年)の「改正明細東亰圖付横濱全圖」にも記載があるに違いないと思ったが、こちらにはなし。
いやいや、めげないぞと1890年(明治23年)の「改正東亰全圖」を見たところ、同じ場所にやはり2階建ての建物の「ヘタウマの絵」。窓が3つしか描かれていないが、これ、やはり「東京ホテル」じゃないのか。もっとも、この一角には「陸軍裁判所」「教導団工兵」など軍関係の施設が描いてあるので、この建物もホテルではなく兵舎かもしれない。
この地図を見て驚いた。今の日比谷公園のエリアから「陸軍練兵所」が消えており、代わりに「国会仮議事堂」の建物がドンと描かれているのだ。そりゃ、何だ?(と、また脱線)
「ジャパンナレッジ」(「日本大百科全書」)では「国会議事堂」の項で次のように記していた。
1890年の第1回帝国議会の召集にまにあわせるため、現在の東京都千代田区霞が関(かすみがせき)1丁目(現経済産業省構内)の位置に木造の仮議事堂が建築された。
国会仮議事堂は、日比谷公園ではなくその西側、現在の霞ヶ関に建てられたという。そこで「改正東亰全圖」をよく見ると、どうも仮議事堂の「ヘタウマ絵」を大きく表現するために、現・日比谷公園のあたりにはみ出して描いたらしい。それは、この地図の施設の位置関係はかなりいい加減だということを意味している。と、なると、丸の内警察署やニッポン放送界隈にあったあの建物は「東京ホテル」ではないのかもしれない。
ちょっとめげつつ、1891年(明治24年)「改正東亰測量里程新圖」を表示し、日比谷界隈をクリック拡大したところ、何の意味なのかべったりを赤く塗りつぶされた場所のひとつで黒い文字が読めた。
「東京ホテル」!
苦節ウン月、ウン日、ウン時間、ついに見つけたぞ、「東京ホテル」!!
その場所は、何と、現在の日比谷公園の、あのリサールの像の日比谷通りをはさんだ、はす向いの真正面だった。
ブロンズ像の碑文に刻まれていた
フィリピンの国民的英雄
ホセ・リサール博士
1888年この地
東京ホテルに滞在す
「この地 東京ホテル」が古地図上で確認できた一瞬だった。
ペンで日付が書かれた明治27年の領収書
リサールがフィリピンで銃殺に処されたのは1896年(明治29年)だが、その前年、1895年(明治28年)の「改正實測東亰全圖」には、クリアに「東京ホテル」の名があった。
さらに、1897年(明治30年)の「東京一目新圖」では、「東京ホテル」の名称入りで、建物の絵も描かれていた(これも「ヘタウマ」だが)。
ちなみに日比谷公園のあたりが空き地になっているのは、1903年(明治36年)の日比谷公園の開園に向けて工事が始まっていたからだろう。
しかし、この1897年(明治30年)以降の明治期の地図5点には、もはや「東京ホテル」の名はなかった。
リサールとおせいさんの愛のモニュメントは、リサールの死とともに消えていったことになる。どんな事情で、いつ、「東京ホテル」は消えたのだろう?
もはや幻となった東京都心の小さなホテル。
日比谷にあったそのホテルが消えておよそ120年、もはやその実態は1点の写真と3点の地図以外には空想でしかつかめない。
私の「東京ホテル」を求める「調べもの」の旅も、そろそろ終止符を打つ時だと思っていた矢先のことだ。
某所で、とんでもないものを入手してしまった。
それは、ペン書きで1894年(明治27年)3月6日の日付が記され、1銭の証券印紙(後の「収入印紙」に相当)が貼られた小さな領収書だ。そこには、以下のような英文による住所と発行者名が印刷されていた。
’TOKYO HOTEL’
N0.2, Sanchome, Yurakucho, Hibiya
「東京ホテル」に4泊滞在したインド人の顧客が、宿泊料として17ドルを支払い受け取ったものという。1泊につき4ドル50セントの記載があるが4泊分なら18ドルのはず。なぜ1ドルの割引料金なのかはわからないが。支払いがドル建てというのにも驚いた。英文ばかりで記されていることから、「東京ホテル」は外国人専用のホテルだったのかもしれない。
赤茶けた小さな領収書一枚にすぎないが、とてもモダンなTOKYO HOTELの英文字とも相まって、地図上の空想的な旅で探し続けてきた「東京ホテル」が、突然、実態をもって私の目の前に姿を現したのである。
これが、「調べもの」。
これが、「調べもの」の醍醐味。
*
幻の東京ホテルの場所がやっとわかった数日後、クルマで日比谷通りを走り日比谷交差点を抜けたところ、かつての東京ホテルの場所では大規模な再開発工事が始まっていた。これは、何なのだろう?
2018年 日比谷が再び輝きだす
都心型スマートシティ ~国際ビジネス・芸術文化都心「日比谷」の街づくり~
「(仮称)新日比谷プロジェクト」着工
http://mitsuifudosan.co.jp/corporate/news/2015/0323_02/index.html
三井不動産が、「三信ビルディング」(1930年・昭和5年竣工)と「日比谷三井ビルディング」(1960年・昭和35年竣工)を取り壊した跡地で進めている再開発計画、「新日比谷プロジェクト(仮称)」とわかった。昨年末に東京圏で初の「国家戦略特区」の区域の認定を受け、今年の1月28日着工していたのだ。竣工予定は2018年1月末。
ここは「三井ゆかりの地」であることから、「東京ホテル」もひょっとすると、三井財閥関係のゲストハウスだったのかもしれない・・・・・・。
ホセ・リサールが「東京ホテル」に滞在したのは1888年。そのちょうど130年後に、「東京ホテル」があった場所は、まばゆいばかりの新街区となる。
ここに、新しい時代にふさわしい、瀟洒でコンパクトな新たな「東京ホテル」を作ってほしいと願っているのは私だけでしょうね。
<第9回了>
≪文中でご紹介したサイトへのリンク≫
「国際日本文化研究センター」トップページ
http://www.nichibun.ac.jp/ja/
「国際日本文化研究センター/所蔵地図データベース」
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/menu.html
「ジャパンナレッジ」トップページ
http://japanknowledge.com/personal/
「ジャパンナレッジ/日本大百科全書」
https://japanknowledge.com/contents/nipponica/index.html