第17回 「そんな損な?」

  東京都心の桜がほぼ散り終わり、道路の端々に花びらの吹きだまりが残っていた日の昼下がり、ぼくは九段下の街を歩き、神保町へ向かった。東日本大震災の翌年のことだった。

 編集者と会う約束があって少しいそいでいたが、途中で派手な黄色いジャンパーを着た男が近寄ってきて、すばやくチラシを手わたされた。見るとそこにゴリラの写真が印刷されていた。貫録たっぷりの雄ゴリラの表情にひきこまれ、ぼくは立ち止まって振り返り、その「ゴーゴーカレー」なる店の看板にも同じカッコいいゴリラの顔を見つけた。そしてカレーとゴリラと、いったいどういう関係があるだろうかと、首をかしげながら再びチラシに目をやると、「オープン当日はカレーがなんと!! 55円 」とあった。

 びっくりマークが示す通りこれは驚きの安値。ゴリラの肖像権を無視して写真の使用料もいっさい払っていないとしても、従業員がみんな最低賃金で最大限がんばっているとしても、一食55円では家賃はおろか原材料費すらカバーできないはずだ。裏技を使ってどんな安いカレーのルーと具をかき集めたとしても、赤字の辛酸をなめる覚悟での大出血サービスに違いない。

 英語にはloss leaderという言葉がある。直訳すれば「赤字で誘導するもの」、あるいは「損しておびき寄せるもの」といった感じで、たとえば21世紀の東京でカレーを55円で売り出すキャンペーンをそう呼ぶのだ。「ロス・リーダー商法」では、目玉となる商品をまず決めて、本来あり得ない価格で提供すると、それが群衆の気をひき、客が集まる。集まった客がほかの商品も買えば、出血販売の赤字を上回る儲けが出る。または「ロス・リーダー効果」で店を覚えてくれれば、客が再来店したときにちゃんとモトがとれるとか。日本語の「損して得取れ」にも表れているように、狙いは「得」であって、「損」のlossはあくまでもそれを導き出すためのleaderなのだ。

 ま、はっきりいえば「ひっかけ」の部類に入る。ぼくはなんとしても、ひっかからずに生きていきたいので、いまだに「ゴーゴーカレー」を一度も口にしたことがない。日米を問わず、ほかでもloss leaderの手口が使われた場合、かかわらないことにしている。ただ、飲食店のプロモーションとかスーパーの卵の大安売りとか、そんな可愛い次元のものに目くじらを立てる必要なんかない気もする。なぜならもっと巧妙なloss leaderがいま現在、巨大な勢力によって進められていて、それを見抜いて拒否しなければ、あとで凄まじいツケが回ってくること請け合いだからだ。日本列島をすっぽり包み込み、「赤字で誘導」しようとしているその大出血ペテンキャンペーンの名は「アベノミクス」という。

 ぼくが生まれ育ったアメリカ合衆国では、1980年代初めから経済の壮大なイカサマが繰り広げられた。富裕層を大胆に優遇して格差をぐんぐん広げ、国防費もそれまで以上に膨張させて死の商人を儲けさせ、同時に庶民をひっかけるためのロス・リーダーとして、一時的に景気を刺激して少々給料も上がる流れをむりやり作り出した。キャンペーンのキャッチ―なネーミングに当時の大統領の苗字を利用して、すべてReaganomicsというパッケージに包み隠して国民に伝えた。もちろん、化けの皮がはがれて人々が骨までしゃぶられちゃうんだと感づいたときには、もう次の大統領に移り変わっていたが。

 そんな「レーガノミクス」のホトボリが冷めるころ合いを見計らったのか、今度は2010年代の日本でも、同じキャンペーンが再利用されているわけだ。正直に命名するなら「アベコベノミクス」となるはずのもので、富裕層を思いっきり優遇して大資本の国際企業を儲けさせ、格差をぐんぐん広げて防衛予算も増大させ、ついでに武器輸出と海外派兵の制限までとっぱらう。そんな企みを覆い隠すロス・リーダーとして景気対策も施し、それが功を奏してタイミングよく、見せかけのベースアップが群衆の注目を集める。どうせ、そのあぶく銭が蒸発してツケが回ってくるころには、総理大臣の首が挿げ替えられているだろうし、しかけた連中は「もはやアベノミクスではない」と責任逃れをすればいい。 

 アベコベノミクスにまんまとひっかかり、今年の夏あたり日本国民が「飛んで火にいるTPPの虫」にもなってしまったら、取り返しがつかない。「損して得取れ」のだれが損して、だれが得するのか、冷静に見通すときだ。

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