第 3回 腹の未知との遭遇
テレビの仕事でときどき世話になっているディレクターと、喫茶店で打ち合わせをしていた。次に作る番組の題材を大まかに決め、さて撮影はいつにしようかとスケジュールに話が及んだら、彼は急に声を低めてこう告げてきた。「今回は、撮影を直接担当できない可能性があって……実は、あさってから入院して、手術を受けることに……」
こっちより年下だというのに。いたって元気に見えるのに。いや、見えるだけじゃなくて現に元気で、自覚症状はまるでないらしい。ただ、去年の暮れから腰痛がちょっと気になり、医者に診てもらって、念のためスキャンも撮ってみたら、腹部になにやら場違いな陰がうっすらと写った。さらに検査していくと、腫瘍だった。「だいたいハンバーグステーキくらいの大きさ」と、彼は両手の親指と人差し指で輪の形を作った。
ハンバーグが苦手でまったく食べないぼくには、見なれたガンモドキの大きさだなと思えた。もちろん、そんな縁起でもない響きの言葉を、口にはしなかったが。腫瘍が良性か悪性か、摘出してみないと分からないという。
決して出っ張ってはいない腹を、彼はさすりながらつぶやいた。「そんなものが、今この中に潜んでいるなんて、腹の中は本人にとっても未知の別世界だよな」
その瞬間、ぼくも体内になにか宿している感覚にとらわれた。例えば、海老と蛾を掛け合わせたような「肺虫(はいむし)」とか、シュモクザメとジュゴンの合いの子みたいな「血積(ちしゃく)」とか、気の荒そうな赤毛の馬のミニチュアといった「馬癇(うまかん)」も、鮮やかに思い出された。みな『針聞書(はりききがき)』という16世紀の医学書に、絵入りで紹介されている腹の虫たちの仲間だ。三年前は彼らと毎日にらめっこして、いっしょに体内の冒険をしてその物語を書いていた。やがてそれが『はらのなかのはらっぱで』という一冊の絵本になった。
胃カメラもCTスキャンもない戦国時代に、生きた人体の中を見つめようとするならば、想像力がすべてのカギだ。『針聞書』の巻末に「摂州住人上郡茨木二介元行(げんぎょう)(花押)」と記してあるが、その「元行」という絵師の略歴はなにも分からない。ただ、天才だったことはまぎれもなく、彼の描き表わした腹の虫たちは一匹一匹、個性と愛嬌にあふれ、今にもおどり出しそうな、本当にどこかに潜んでいそうな、そんな存在感があるのだ。
21世紀の医療機器で体を隈なく調べれば、「肺虫」も「血積」も「馬癇」も、「牛癇(うしかん)」、「亀積(かめしゃく)」、「脾(ひ)の聚(しゅ)」だって、いないことを100パーセント証明できるだろう。でも「腹の中は本人にとっても未知の別世界」であることに、今も昔も変わりはない。そこに腹の虫たちが、五百年の月日を飛び越えて現在に生まれ変わるスキがある。
あえてぼくの一番好きなやつを選ぶとすれば、やはり「脾の聚」か。人間がどこかへ出かけ、いい気分で物見遊山なんかしているときに、ひょいっと脾臓の奥に生まれるらしい。だんだんと丸く膨らみ、立派に育つと、ときどき転がり回って、宿している人間の足もとがふらつく悪さをするという。絵に描かれたその顔は、目がいたずらっぽく光り、テングザルみたいな鼻がついていて、しかし全体の姿はまさに、毛むくじゃらのガンモドキのようだ。
これから入院する彼に、『はらのなかのはらっぱで』の虫たちの話をしようか、どうしようかと一瞬迷い、やめておいた。無事退院したあと、手術と体内冒険の話をする機会はあるだろう。今はただ、彼が宿しているやつが、人畜無害であることを祈る。
『はらのなかのはらっぱで』(フレーベル館)
肺虫
馬癇
血積
肺虫のキーホルダー
(九州国立博物館ミュージアムショップ)
『針聞書』の飛び出す絵本
(九州国立博物館ミュージアムショップ)