第93回 「つんつるてん」と「テンツルテン」

 花火の季節を迎え、週末の夕方になると若い女性や男女のカップルが浴衣(ゆかた)姿で花火見物に出掛けるのを見かける。現代人は手足が長くなったせいか、浴衣の手や足の丈(たけ)が短くて、手足がにょきっと出たような印象となる。これを「つんつるてん」だと笑ってはいけない。
 もともと浴衣というものは、浴場(銭湯)から出て、ほてった体を冷ますときに着るものだったから、丈が短いのは仕方のないことなのだ。江戸時代は、夏冬の季節に関係なく、浴場(銭湯)を出ると「つんつるてん」の浴衣に着替えたらしい。式亭三馬(しきてさんば)の滑稽本(こっけいぼん)『浮世風呂』4編(文化10年〈1813〉刊)の口絵には、丈の短い浴衣を着ている子どもや大人たちの姿が描かれている。
 「つんつるてん」を辞書で引くと、別の言い方があることに気付く。
 『大辞泉』では、「①衣服の丈が短くて、手足や膝〈ひざ〉が現れていること。また、そのさま。②頭が完全にはげていること。また、そのさま。」とある。そして「つんつるてん」と同じ意味の「テンツルテン」という言葉が「近世語」(江戸時代語)にあり、「三味線の音を表す語」だとしている。
 江戸時代には、この「テンツルテン」という言葉がよく使われていた。語感が面白いせいか、式亭三馬あたりが盛んに使っていて、滑稽本の『古今百馬鹿(ここんひやくばか)』(文化11年〈1814〉刊)には、「上着は五寸もつまつたてんつるてん」と見えるなど、彼の作品に用例は多い。
  三馬の先輩戯作者(げさくしゃ)の山東京伝(さんとうきょうでん)の洒落本(しゃれぼん)『仕懸文庫(しかけぶんこ)』(寛政3年〈1791〉刊)には、さらに違う言い方が出てくる。「小野川縞の干し浴衣の、つんつら短いやつを腕まくりして」と見えて、着物が短いことの形容詞を「つんつるてん」でもなければ、「テンツルテン」でもなく、それらの中間をゆくような「つんつら」という言葉で表現している。京伝は「つんつら」としているが、「つんつらてん」と形容している用例もあるからこれを加えると、「テンツルテン」「つんつら(てん)」「つんつるてん」と、同じ意味で似たような言葉が3種類あったことになる。
 山東京伝の黄表紙(きびょうし)『堪忍袋緒〆善玉(かんにんぶくろおじめのぜんだま)』(寛政5年〈1793〉刊。図版参照)には、狐釣りをするところが描かれていて、その伴奏の三味線の擬音を「ツンツル、ツルツル、ツンツルツ」としている。
 明治の国語大辞典『大言海』では「つんつるてん」を「天釣ルの義か」としている。これは『俚言集覧(りげんしゅうらん)』の「テンツルテン」を承(う)けたもので、『俚言集覧』には「テンツルテン」はあるが、「つんつるてん」は載っていない。つまり、「テンツルテン」は「近世語」であり、「つんつるてん」は比較的新しい言い方であると考えられる。
 『日本国語大辞典』では「つんつるてん」について、明治の仮名垣魯文(かながきろぶん)が書いた『安愚楽鍋(あぐらなべ)』(初編明治4年〈1871〉刊)を初出としている。明治になってから江戸語の「テンツルテン」や「つんつら(てん)」や三味線の擬音の「ツンツル」などが混じり合って、「つんつるてん」という言い方が一般化し、それが現代にいたったようなのである。 

「善玉・悪玉」といった言葉を生んだ京伝の黄表紙『心学早染草(しんがくはやぞめぐさ)』の3編目に相当するのがこの作品。借金をして困っている男を悪玉たちが欺(だま)して、狐獲りのワナである狐釣りに引っかけようとする場面。三味線の音が「ツンツル、ツルツル、ツンツルツ」と書かれている。『堪忍袋緒〆善玉』(寛政5年〈1793〉刊)より。

式亭三馬…1776~1822。江戸後期の戯作者・狂歌師。江戸の人。本屋に奉公した後に、薬屋を業(なりわい)とした。庶民の日常生活を会話体を用いて面白おかしく描いた滑稽本で知られる。作品はほかに『浮世床』など。

山東京伝…1761~1816。江戸後期の戯作者・浮世絵師。黄表紙・洒落本の第一人者。洒落本は、遊里での遊びを会話体で描いたもの。『仕懸文庫』など3作は寛政の改革で絶版となり、京伝は手鎖(てじょう)50日に処された。

『俚言集覧』…江戸中期の国語辞典。26巻。太田全斎著。寛政9年(1797)以降の成立。俗語・方言・諺(ことわざ)を分類して、50音図の横列の順に配し、語釈を記したもの。

仮名垣魯文…1829~94。幕末・明治の戯作者・新聞記者。江戸生まれ。文明開化の世相を風刺した滑稽本で知られている。作品はほかに『西洋道中膝栗毛』『高橋阿伝夜叉譚(たかはしおでんやしゃものがたり)』など。

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