第86回 江戸の虫除けと油虫

 卯月八日(うづきようか)、すなわち4月8日はお釈迦様の誕生日の灌仏会(かんぶつえ)、仏生会(ぶつしょうえ)、花祭りといって、江戸では釈迦像にかけた甘茶をもらった参拝者が、その甘茶を飲んで祝った日である。
 江戸時代、卯月八日にかかわるちょっと変わった俗信があった。
 江戸の人びとは、台所や便所などに、「千早振(ちはやふ)る卯月八日は吉日(きちにち)よ、かみ下虫(さげむし)を成敗ぞする」と書いた紙を逆さにして貼り、ゴキブリやウジ虫などの虫除(むしよ)けの呪(まじな)いとしていた。
 図版は、山東京伝(さんとうきょうでん)の黄表紙(きびょうし)『江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)』(天明5年〈1785〉刊)から。ひじをついて寝そべっている艶二郎(えんじろう)は色男気分になっている。その座敷は便所の隣の最下級の部屋で、間夫(まぶ)の色男が遊女と密会する場所であり、右ページには便所の様子が詳しく描かれている。食器が無造作に置かれた横に下駄があって、客はこれを履いて用を足す。板囲いの下方に札が貼ってあるが、これが「ちはやふる」の歌を書いて逆さに貼ったものである。
 この歌が、どうして虫除けの呪い歌として詠まれたのか、今ひとつ理由は不明だが、旧暦の4月8日頃には暖かくなって花の季節となり、ゴキブリなどが這(は)い回るので御用心、ということで詠(よ)み込まれたのかもしれない。
 ゴキブリと聞くだけで悲鳴をあげる女性もいる。これほど嫌われた虫もいない。その姿がちょっと不気味で、台所とか便所などの湿気のおおい所を徘徊することから、とくに女性に嫌われているようだ。
 もともとは熱帯に棲息(せいそく)していた昆虫で、本州以南にしかいないとされたが、最近では飛行機などの交通手段の発達で北海道でも見られるという。熱帯性の昆虫なので江戸時代は春頃から動きだしていたものが、家屋の暖房が行き届いてきたせいでもあろう、年中、この虫に悩まされるようになった。
 ところで、江戸時代は、「ゴキブリ」という名で呼ばずに「油虫(あぶらむし)」と呼んでいた。
 井原西鶴(いはらさいかく)の浮世草子(うきよぞうし)『懐硯(ふところすずり)』(元禄7年〈1694〉刊)には、「麹屋(こうじや)から蝉の大きさしたる油虫どもわたり来て、五器箱(ごきばこ)をかぶり」とある。五器は御器、つまり食器のことで、五器箱はそれを入れた箱である。また、『和漢三才図会(わかんさんさいずえ)』の「蜚蠊(あふらむし)」にも、「俗云油虫/大キサ五六分…色ヤ油ノ如シ。故ニ油虫ト名ヅク…蠅ト同ジク憎ムベキ者也/五器囓(ゴキカフリ)」とあって、「油虫」は江戸時代から嫌われものだったようである。
 諸国の方言を集めた『物類呼称(ぶつるいこしょう)』(安永4年〈1775〉刊)にも、「あぶらむし ○伊勢にて、ごきくらひむし…肥州(ひしゅう)にて、ごきかぶらう」とある。明治になって、「御器かぶり」→「ゴキブリ」と誤って書かれて学術名になったとの説もあり、明治維新で肥州(佐賀や熊本地方)の方言が標準語になったとの説もある。
 ところで江戸時代には、「油虫」というと、もうひとつの意味があった。
歌舞伎芝居などで、無料の見物客のことも「油虫」と言った。「油虫故(ゆえ)、舞台の後ろにて見物する」と山東京伝作『無匂線香(においんせんこう)』(天明5年〈1785〉刊)にある。おそらく劇場の隅っこで、このただ見客はコソコソと油虫のように動くことから名付けられたもので、嫌な奴を罵倒(ばとう)する言葉にもなってゆく。

『江戸生艶気樺焼』(天明5年〈1785〉刊)より。

山東京伝…1761~1816。江戸後期の戯作者(げさくしゃ)・浮世絵師。黄表紙・洒落本(しゃれぼん)の第一人者。『江戸生艶気樺焼』は、京伝黄表紙の代表作。醜男(ぶおとこ)なのにうぬぼれ屋の仇気屋艶二郎(あだきやえんじろう)が、色男の浮名を流したいため、さまざまな芝居を打つが、すべて失敗する話。

井原西鶴…1642~93。江戸前期の浮世草子作者・俳人。大坂の人。写実的な庶民文学である浮世草子の代表的作者であり、『好色一代男』『好色五人女』など多くの名作を残した。『懐硯』は、行脚僧(あんんぎゃそう)による回顧談形式の諸国怪奇物語。

『和漢三才図会』…江戸時代中期の図入百科事典。全105巻。寺島良庵著。正徳2年(1712)自序。明(みん)の『三才図会』にならい、和漢古今の万物を天・地・人三才に分けて、絵図を付して漢文で解説したもの。

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