第 2回 善玉・悪玉 その2
医者に「悪玉コレステロール価が高いですね」と言われると、患者の胸はドキリとする。「悪玉」という言葉が持つインパクトが、そうさせるのである。
寛政2年(1790)、寛政の改革のまっただ中に出版された『心学早染草(しんがくはやぞめぐさ)』は、松平定信(さだのぶ)が退場したあとも再版をくり返し、以後6年を過ぎても売れつづけた。そして、善玉・悪玉シリーズの黄表紙(きびょうし)として、『人間一生胸算用(にんげんいっしょうむなざんよう)』『堪忍袋緒〆善玉(かんにんぶくろおじめのぜんだま)』『四遍摺心学草帋(しへんずりしんがくそうし)』と、続編が3編も出された。『ハリー・ポッター』シリーズとはいかないまでも、大ヒットには間違いない。
そして、この黄表紙からうまれたヒーロー「悪玉」は、歌舞伎の舞台にのぼってさらに有名になった。
文化8年(1811)3月、市村座「盟話水滸伝(じだいせわすいこでん)」で、三代目坂東三津五郎(ばんどうみつごろう)が七変化で願人坊主(がんにんぼうず)にふんしたとき、「悪」と大書した丸いお面をかぶって「悪玉踊り」を踊り、観客の拍手喝采を浴びた。それ以後「悪玉踊り」は大流行して、文化13年(1816)には振り付けの独習書『踊ひとり稽古』が出版されるほどになった。図版はこの本から抜粋したもの。このあとも歌舞伎の舞台で「悪玉踊り」は大当りしている。やはり庶民は悪のヒーローをもとめていたようだ。
「悪玉」という言葉は、こうして世の中に定着していったと思われる。
もし、時代がもっとさかのぼる水戸黄門や徳川吉宗などが登場する時代劇で、「悪玉」といったセリフが出てきたなら、時代考証が間違っているということになる。彼らの時代には「悪玉」という言葉はなかったからだ。「悪役」という言葉も、そのころあったかどうかもあやしく、「悪玉」が一般化してから歌舞伎界で使われるようになったのかもしれない。
「悪玉踊り」の踊り方がくわしく解説されている。黒線は動きの流れを表し、現代のダンスもびっくりの素早い動き。絵は葛飾北斎。(『踊ひとり稽古』国立国会図書館蔵)
寛政の改革…江戸中期、天明7年(1787)から寛政5年(1793)年まで、老中松平定信が行った改革。倹約をむねとした経済政策などをおしすすめ幕府の危機を乗り切ろうとしたが、失敗に終わった。