2026.3.15 日国春の辞典イベント「方言と辞書を圧倒的な語彙力で語る」(イベントレポート)
取材・文:松井美緒
写真:『日国』編集部
現在、2032年の完成を目指し、鋭意改訂作業中の 『日本国語大辞典 第三版』。このたび、2026年3月15日に「2026 日国 春の辞典イベント」を開催しました。昨年、第1回が東京で行われ大好評を博した本イベント。場所を大阪・関西大学梅田キャンパス(KANDAI Me RISE)に移した第2回のテーマは、「方言と辞書を圧倒的な語彙力で語る」です。
登壇者は、福島暢啓(のぶひろ)さん(MBS毎日放送アナウンサー)、水野太貴さん(「ゆる言語学ラジオ」スピーカー)、三宅香帆さん(文芸評論家)、金水敏さん(『日本国語大辞典 第三版』編集委員)、日高水穂さん(同)。「『推し』方言コンテンツ」と「『推し』辞書」について、熱く語っていただきました。ここではその模様を、抜粋してご紹介します。
〈第1部〉私の「推し」方言コンテンツ
小説やエッセイに残る多様な方言、消えゆく方言
宮城県出身の福島さん、愛知県出身の水野さん、高知県出身の三宅さん、大阪府出身の金水さん、山口県出身の日高さんと様々なバックグラウンドを持つ登壇者のみなさん。多様な日本語の総体を対象とする『日本国語大辞典 第三版』(以下『日国 第三版』)には、その一部である方言も収録されます。そこで、小説からYouTubeまで、おすすめの方言コンテンツについてうかがいました。

全国各地からのお客さまで会場は満員!
金水さん 私の「推し」は、有吉佐和子さんの小説 『華岡青洲の妻』 です。舞台になっている和歌山の方言は、地理的に隔絶されていることもあり、関西の中でも独特で多様なんです。
この小説に出てくるのは紀の川沿いの名家で、その女性がすごくきれいな敬語を使っている。「お母はんは立派なお方やったのやしてよし」などですね。
これは、船場言葉といった大阪市内の言葉とは全然違う方言体系です。でも、和歌山も港のほうに行くと結構荒々しいとか、敬語がないとかいわれていて、大阪の泉州(大阪府の南西部)と共通しているんです。大阪の泉州以南は、関西の中で少し異質なんですよ。
日高さん 敬語が使われないというのは、奈良県の南部や三重もそうですね。近畿地方の北部と南部では、丁寧な言葉が発達しているかいないか、という大きな違いがあります。
でも『華岡青洲の妻』によると、和歌山でも名家では敬語が使われていた。「いいまへんえ」など、終助詞の「え」が付くのは京都のイメージですね。 金水さん 華岡青洲が京都で勉強してきた人だから、そのつながりがあるのかもしれませんね。和歌山の中の広がりがわかる貴重な小説です。

金水敏さん
三宅さん 私は、田辺聖子さんが大阪弁について書いたエッセイ集 『大阪弁おもしろ草子』 です。なぜこういうしゃべり方だと色っぽいのかみたいな世俗的な話から、古語とのつながりまで語られていて、古典に触れたい方にもオススメです。
特にお気に入りなのは「阿呆」の解説で、「アホ」ではなく「アホウ」と伸ばすのが大事だと。芥川龍之介の『ある阿呆の一生』も「アホウの一生」なんですね。
金水さん 「アホウ」は、後ろを伸ばして落ちるアクセントです。ですが、この発音を保持している方はもう少なくなっている。この本には、そういう今は聞かれなくなった古い関西弁がたくさん載っていますね。

日高水穂さん
動画配信によって方言研究の新時代到来⁉
水野さん 僕は、YouTubeチャンネルの 「きまぐれクック」 について、お話ししたいと思います。配信者のかねこさんが、僕の出身地である愛知県の知多半島の方言を話していまして。
例えば、「まあ」ですね。これ、極めて愛知っぽい。例えば久々に魚市場を訪れた際、なじみの店のおばあちゃんがかねこさんを見つけると、開口一番「まあー」と言う。おばあちゃんが魚をサービスしてくれると、「おかあさん、まあええよ(もういいよ)」とか。僕、こういうのを聞いた瞬間に、故郷を思い出すんです。
かねこさんは、地元の人と話すという文脈で自然に方言を発話しているのがいいんですね。戯画化されたものではなく、生活に密着した愛知方言を使っているのが魅力なんです。
三宅さん 各地の方言が消えていくという問題がありますが、近年、動画配信が盛んですから、各地の若者言葉が残るようになりますね。
水野さん そうなんです。僕はいつも、地元の方言のポッドキャストを録るようにお願いしていまして。実家に帰って、親御さんとの会話を録音して公開するだけで、方言学者や日本語学者の方にとって、よだれが出るほどのご馳走になりますから(笑)。
福島さん 今までのテレビなどのメディアですと、我々のように言葉を矯正する必要がありましたが、InstagramやYouTubeでは、むしろ方言のほうが親しみがわいて観られやすいといった流れもあります。方言学の研究にとって、いい時代になったのかもしれませんね。

水野太貴さん
日高さん 私は、この数年研究対象としている「漫才」を選ばせていただきました。漫才は、最強の方言のコンテンツだと思うんですね。
漫才の世界では、日常の会話を再現した関西弁がスタンダードで、これは他にはない現象です。しかもボケとツッコミなど演芸の業界用語が、漫才経由で一般に広がっていく。東京弁由来ではない言葉が中央を経由しつつ全国に伝わり、コミュニケーションの手法自体を変えているわけです。
水野さん 漫才が出てくる以前は、大阪ではボケとツッコミはなかったんでしょうか?
金水さん 軽妙な会話のやり取りはありましたよね。大阪の洒落言葉というのもあって。(大儲けする様子をあらわすときに)「折れて曲がるほど儲かる」とか決まった言い方があるんですけど、そういういらんこと言うんですね(笑)。
三宅さん 『大阪弁おもしろ草子』には、大阪は商人の街だというお話がありました。商売をするときに、ボケとツッコミ的なものがあったほうが、お客さんと円滑なコミュニケーションをとれたのかもしれません。そのような商人文化の影響もありそうですね。

三宅香帆さん
福島さん 最近ラジオで方言が聴けることも多く、私はその中から 『ラジオ岐阜弁まるけ』 を挙げさせていただきました。番組の始まりの挨拶が「みなさん まめにやってござるかな?(お元気ですか)」なんです。
水野さん 「ござる」は愛知でも普通に使いますね。「遠くから来てござった(来てくださいました)」とか。
福島さん 沖縄県にも沖縄方言でニュースを読む、『方言ニュース』というラジオ番組があります。山形県や新潟県の番組では、ポップスを方言に変えて歌ったり。各地の放送局が、方言を使っていこうという動きを見せているんですね。

福島暢啓さん
方言が話せると英語学習に有利⁉
福島さん 会場の皆さんからも質問をいただきました。「方言を使っていることで、標準語の話者に対して優位に立てた、してやったりと思えた瞬間はありますか?」
三宅さん 私は高知県出身の土佐弁話者なんですが、実は土佐弁は英語の勉強に有利なんです。日本語の標準語には、現在完了形はありませんよね。でも土佐弁の「しちゅう」は現在完了形なんです。それで、英語の文法が理解しやすかった(笑)。
福島さん 播州弁や琉球方言にも現在完了形がありますね。
水野さん 英語という点では、名古屋方言にはアとエの間の母音があります。「Apple」のAに近い。ただ、この音を使う人は減っています。名古屋方言はもともと母音が八つあったんですが、そのうち二つはすでに消えかけているので、残念ですが5母音に近づきつつあるのかなと思います。
〈第2部〉私の「推し」辞書
方言を辞典に編む意味とは
第2部では登壇者のみなさんに、お気に入りの辞書を選んでいただきました。日高さんは『日本方言大辞典』『秋田のことば』『三省堂国語辞典』、福島さんも『三省堂国語辞典』、金水さんは『日葡辞書』、三宅さんは『時代別国語大辞典』と『新明解国語辞典 第八版』、水野さんも『新明解国語辞典 第八版』でした。
日高さん 第1部に関連して、 『日本方言大辞典』 からご紹介させていただきます。
『日本方言大辞典』は1989年に刊行され、その方言項目が、90年から改訂が始まった『日国 第二版』の方言欄に組み込まれました。実はそこに至るまでは、壮大な物語があります。
『日本方言大辞典』の元をたどれば東条操という方言研究者がいました。彼は大正初期から各地の方言をカードに書き留めて集め、一度は関東大震災ですべて失いながらも、諦めずに作業を続けます。これが戦後、約4万語を収録した『全国方言辞典』に結実しました。
戦中は、共編者のような立場だった大岩正仲が正本と副本を作り、一方は疎開させ、もう一方は肌身離さず持ち、守り抜いたのだそうです。大岩は『日国』第一版の方言欄も執筆しています。その大岩もカードを作り、蓄積しつづけ、私の師でもある徳川宗賢がその遺志を継ぎ、編集・監修したのが『日本方言大辞典』です。
徳川は『日国 第二版』の編集に携わり、これをもって『日本方言大辞典』は『日国 第二版』に組み込まれたのです。

“推し”がたどってきた歴史に一同感動
水野さん 涙が出るような歴史ですね。『日国』は松井家三代の辞書作りが有名ですが、そこには本当に多くの研究者の方が関わっているんですね。
日高さん はい、方言欄に関しては、東条操、大岩正仲、徳川宗賢などの系譜の中で形成されてきたものが合体しているんです。
福島さん 『秋田のことば』 は、秋田県教育委員会が独自の文化事業として編んだものですね?
日高さん 書籍版に加え、音声の付いた CD-ROM版 も刊行しました。見出し用例だけではなく、「あなたの秋田弁を将来残しませんか?」という公募に応じた111名の方の、日常の秋田弁も収録されていいます。ですから、これはもう秋田県の宝物なんです。
この後、方言で喋るご当地ヒーローの超神ネイガーの人気が高まったり、方言をキャッチフレーズに使う、というような動きも活発になりました。辞書に収録されることで、自分たちの言葉に自信が持て、それが地域の連帯にもつながったのだと思います。おそらく、辞書の意味って、こういうところにあるんですね。
実は『日国 第三版』の方言欄にも、音声を付ける構想がありまして。数日前に編集者さんと一緒に秋田に行き、そのご相談をさせていただいたところです。
金水さん 第三版はデジタル版を出しますから、そういうことも可能なんですね。紙の制約がない分、内容に合わせて自由なコンテンツ展開を考えられます。

多様な展開可能性をもつ『日国 第三版』に乞うご期待!
グルメから宣教師の努力まで個性的な辞書たち
福島さん 日高さんと私の推しは、 『三省堂国語辞典』 ですね。私は「焼き鳥」の項目が好きなんです。語釈の二つ目に、方言として「焼きとん」を見てください、とあります。地方グルメにとても理解があるなと。他の料理や食べ物の語釈も個性的で、きっとグルメな編者の方がいるんだろうなと想像します。
実は、会場に 第1回イベント に登壇してくださった見坊行徳(ゆきのり)さんがいらしていますので、少しお話をおうかがいしましょうか。見坊さんお願いします。
見坊さん みなさん、突然すみません。『三省堂国語辞典』は私の祖父の見坊豪紀(ひでとし)が編纂したものでして。現在の『三省堂国語辞典』の編集委員の中には、非常に食に造詣の深い方が、少なくともお二人いたと思います。スペイン料理やイタリア料理など、大辞書に載っていないようなことも、1〜2行くらいの短い語釈なんだけど、グッと美味しそうに書いているという。ぜひ探してみてください。
福島さん なるほど! 素晴らしいお話ありがとうございます。

見坊行徳さん
金水さん 僕は、いわゆるキリシタン版の 『日葡辞書』 を選びました。17世紀初頭、日本に来るポルトガル人の宣教師のために、イエズス会が刊行した辞書なんです。日本語が見出しで、ポルトガル語の語釈がついている。
宣教師たちと日本人同宿者が作ったそうですが、3万2千語も収録してるんです。『三省堂国語辞典』が8万語ですよ。少人数で、しかも異郷の地で、どうやったのかと頭が下がりますよね。
それを想像すると、キリシタン版『舟を編む』ができるんじゃないか、なんてワクワクもします。
三宅さん 私は 『時代別国語大辞典』 です。その中でも、奈良時代の言葉に特化した上代編は、大学院生時代に『万葉集』を研究していたので、すごくお世話になりました。今でも図書館でこの辞典を見ると、懐かしさで胸がキュッとなります。

辞書とともに過ごした日々を振り返る三宅さん
水野さん 僕は、三宅さんも選んでいらっしゃる 『新明解国語辞典』 ですね。この辞書は、「運用」という欄がとても親切なんです。
「運用」は、語釈とは別に、こういう文脈で使うとこういう意味になるよ、というのが書いてあるんですが、僕が『新明解』の中で感心したのは、「例の」です。「同じことの繰返しで代りばえがしないと、からかいの気持ちを含意して用いられることがある。」と「運用」欄にあって、その文例が、「今日も例の手柄話ですか」。
確かにこういう使い方、よくしますよね。でも普通の辞書は、「からかい」までわざわざ書かないでしょう。その点で、『新明解』の「運用」は極めて有益です。
『新明解』の語釈のユニークさはよく語られますが、僕は「運用」の話をもっとしようよ!と思っています(笑)。
三宅さん 私も『新明解』って、未来の研究者の役に立つだろうなと感じます。このときこの言葉はこういう使い方をされていたんだ、というのがパッとわかりますよね。
辞書からたどる言葉の変化
福島さん 第2部でも、会場の方々から質問をいただきました。「みなさんにとって、“いい辞書”とは?」。
金水さん 目的によりますよね。辞書に中型、大型などサイズがあるのは、それに適した使用目的があるからです。やはりいろいろなシチュエーションで使える、多様な辞書が出てきてほしいなと思いますね。
編者にとっては、どこに狙いを定めて、どこまでピンポイントにその辞書を編集できるかというのも面白みの一つです。
三宅さん 最近はアプリも便利ですから、電子と紙の使い分けもありますね。
金水さん あと、辞書は初出も大事なんですが、その語がどこで使われなくなったかというのもわかると、本当はいいですよね。
例えば明治時代に「剣呑(けんのん)」という言葉が盛んに使われたけど、それがいつ廃れたのかは、辞書を引いてもわからない。一旦消えて復活した語も、その変遷の実態はわからない。そういうものも含められる辞書ができたらいいなあ、とは思います。
日高さん 言葉の変化を辿るという意味では、小型辞書がいいかもしれませんね。だいたい10年以内で改訂されるので、言葉の使われ方がどう変わるのか見えやすい。
みなさんもぜひ、古い版の辞書も捨てずにとっておいてください。そこに、言葉がどのように引き継がれてきたのか、歴史が刻まれていますので。
*
最後に、会場の方たちに聞いた「あなたの好きな辞書」ランキングの発表があり、第1位『新明解国語辞典』、 2位『日本国語大辞典』、3位『三省堂国語辞典』、4位 『明鏡国語辞典』、5位 『岩波国語辞典』でした。「忖度がなくていいですね!」との金水さんの感想に、和やかな笑いが起こる一幕も。「2032年の公開に向けて、編集作業も順調です!」との『日国』編集長の挨拶をもって、本イベントは終了しました。
プロフィール
松井美緒
まつい・みお/編集者、ライター。講談社で漫画編集として勤務。担当作『きみはペット』が第27回講談社漫画賞受賞。フリーとなり、「東京人」「ダ・ヴィンチ」「with class」などで執筆。編集した書籍に、開成ぎん太の『おうち遊び勉強法』など。Goldsmiths, University of LondonにてMSc in Digital Journalism取得。

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