第3回 後編

第3回中編からつづく)

 第二版時点で『日国』には約50万語の見出し語があり、それぞれに合計100万ほどの用例がぶら下がっている。編集部の中には、まだ「辞典に載っていない用例」が約20万ほどは整理されないまま眠っているとみられ、その用例を第三版に組み入れていく作業にも膨大な時間が必要であるわけだ。

「例えば、すでに亡くなった先生がある分野の辞典を作るために集めたカード、あるいは、松井先生が集めたものも3万くらいあります。それから『日国友の会』というウェブサイトがあって、“もっと古い用例を見つけました”と投稿してくださる方々がいるんです。投稿はオンラインで管理され、第二版の編集長だった佐藤宏さんが、一つひとつに返事をしながら積み重ねてきました。「友の会」だけでも、すでに十数万用例に達しています」

 それらの用例を実際に第三版に掲載するためには、「出典検討」という作業が必要となる。先生方が集めた用例について、編集部でもあらためて原資料(底本)にさかのぼって目視確認し、意味や表記、出現位置が正しいかどうかなどを再検討する校正作業の一種だ。

「さらに、同じ言葉に同じ時代・同じ分野の適切な用例がすでにあれば、新たな用例は採用されません。より古いもの、より確かなもの、より時代を代表するものだけが、厳選されていくわけですね。そうした出典検討をした上で、語義ごと、意味のブランチごとに用例を振り分け、さらに全部を見渡して、“どれを使い、どれを使わないか”を決める。これは、本当に途方もない作業です。今回の改訂でも、新たに加えられる用例を、最終的に『外に出せる資料』として十分に確認していきます」

 そうした編集作業を進めていくためには、さまざまな分野の学識者を集めた「部会」の設計が編集室の重要な実務となる。各時代別や「漢語」「記録・文書」「方言」など、分野ごとに専門家の部会を組織して作業を進め、その集合体として一冊の辞典ができあがる仕組みである。それぞれの部会に10人ほどの専門家を集め、立項された言葉や用例についての検討を行っていくわけである。

「言うまでもなく、言語は変わらないようでいて、劇的に変わり続けている『生き物』です。そうして変わり続ける日本語を、現時点の最も確かなかたちで記録し直す。その仕組みを作って運営していくことが、『日国』の編集を担う私たちの責任であると思っています」

 では、大野さん自身の辞書編集者としてのこの思いは、彼女のどのような実感の中から生まれてきたのだろうか。そう聞くと、

「私は、もともと辞書に興味があった人間じゃないんです」

大野さんは言った。

「最初に入りたかったのは、ファッション誌でした。服が割引価格で買えるとか、最新の化粧品がもらえるとか、キレイな人に囲まれて仕事ができるとか。いま思えばずいぶん単純ですが、当時は本気でそう思っていました」

 現実に配属されたのはテレビ誌。ドラマやバラエティ、芸能人への取材もある華やかな部署だった。その後、結婚と出産を経て一度現場を離れ、復帰後に女性向け漫画誌に移り、2誌の編集を経験したある日、希望していなかった辞書の部署へ異動した。

「だから、私には『なぜ自分みたいな編集者が辞書に配属されたのか』みたいな感覚が今でもあるんですよ」

 そんな大野さんにとって、「辞書」という存在の意味を深く考えるようになったきっかけが、辞書編集部に配属された際、最初に行った小学生向け辞書の「素読み」だった。

「自国語は得意な方だと思っていましたが、実際に辞書を素読みするとき、自分が正しいと思い込んでいた言葉の意味や自然に使っていた表現の多くが、実は曖昧で間違っていたり、思い込みに満ちていたりしていたことに気づいて――」

 以来、大野さんは言葉を安易に信じなくなった、と続ける。

「辞書作りに関わるようになってからというもの、何かの言葉に出会ったとき、ちゃんと典拠のあるものに当たらないと、不安を覚えるようになりました。世の中にある“もっともらしい言葉”って、案外あやふやなものが多い、ということを知ってしまったからです」

 だからこそ、『日国』の第三版を作ることの意味を考えるとき、大野さんはこんな思いを抱くのだ。

「例えば、美術館や博物館で楔形文字やインダス文字、ヒエログリフなどが展示されているのを見る機会があると、こんなふうに思うんです。かつて勢力を誇った文字であっても、いまはもう、日常的に読める人がほとんどいない。文字は残っていても、言葉としてはもう死んでいるんだ、と。日本語だって同じです。『古事記』も『日本書紀』も『源氏物語』も原本は残っていません。発音だって、それが『たちつてと』だったのか、『たてぃとぅてと』だったのか、私たちは確信をもって言えないわけです。現に明治期に大量に生み出された漢語の多くも、いまは消えてしまっている」

 彼女は続ける。

「私たちは『日本語はみんな分かるし読めるでしょ』と思っているけれど、長い時間で見れば、ぽこっと抜け落ちているものが実はたくさんあるのではないか。辞書を作ることによって、私はそう思うようになりました。言語は、放っておけば、いつのまにか読めなくなったり、意味が分からなくなったりする。使い手がいなくなれば、歴史ごと消えてしまうことだってある」

 『日本国語大辞典』の編集という仕事には、そのように実は心もとないものでもある言語の歴史を、次の世代に確かに手渡していくという意味がある――。

「だから、『日国』の編集の仕事は私にとって、『やりたい』というより『やらなきゃいけない』というものかな。辞書編集者をしてきた自分に、今度はその番が回ってきたんだ。今はそんなふうに思っているんですよ」

(第3回おわり)

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