第26回「良薬はお口に苦し」「お膝が笑う」?

 9月22日はお彼岸の中日ですね。
 さて、この「お彼岸」のころの気候を表した次のような言葉はよく知られています。
「暑さ寒さも彼岸まで」
 これは言葉通り、夏の暑さも秋分(秋の彼岸)頃まで、冬の寒さも春分(春の彼岸)頃までで、それを境にして和らぎ凌ぎやすくなるというような意を表しています。手紙文の書き出しでも「暑さ寒さも彼岸までと申しますが、今年はまだまだこの暑さは続くようでございますね」などのようにも使われます。
 このようにその言葉のみで使う場合は「お彼岸」「お暑いですね」のように「お」が付きますが、先の「暑さ寒さも彼岸まで」に見られるように、ことわざや慣用句には「お」(または「ご」)は付きにくいとされています。
 たとえば、「道草を食う」などの動詞の言葉も、「道草をお食べになる・召し上がる」とは言いませんし、「似ても焼いてもお食べになれない」「逃がしたお魚は大きい」「良薬はお口に苦し」とも言いませんね。
 ただしごく稀に次のような例外もあります。

   元々の慣用句  「お」が付いたり敬語表現にするのも可能な例
  「目が高い」→      「お目が高い・お目が高くていらっしゃる」
  「目を光らせる」→「目を光らせていらっしゃった」
  「顔をつぶす」→   「お顔をつぶすようなことがありませんよう」
  「顔が広い」→      「お顔が広い・お顔が広くていらっしゃる」
  「耳が早い」→      「お耳が早い・お耳が早くていらっしゃる」

 このような一部の例は「お」を付けたり尊敬表現にすることも可能であると言えます。これは相手の体の一部なので、日常語と同じように、敬意をこめて接頭語「お」を付けているのでしょう。
 また話し言葉などでは、ちょっとくだけた雰囲気で「お顔から火が出る思いでいらしたそうだ」などと言うこともあるでしょう。
 しかし、同じ体に関する慣用句でも「聞くお耳を持たぬ」「お歯が立たない」「お腹に据えかねる」「お膝が笑う」「お目とお鼻の先」となると、これはおかしなものです。また「お顔が広い」と言うことができても「面」などの語には「お」は付きにくいものです。これは悪い意味の言葉には「お」「ご」は付きにくいと言われるためです。
 このように、慣用句やことわざに「お」を付けたり敬語表現にすることは、「顔」や「目」などの一部の名詞の中には可能なものもあり、また動詞を尊敬表現に換える場合でも、慣用句の語そのものを換えて「お広い」とするよりも、慣用句の動詞はそのままにして「広くていらっしゃる」のように敬語表現をつけ加える形のほうが自然と言えます。
 しかし、慣用句やことわざは、その言葉がひとつの組み合わせとして使われるものですから、一部の例外はあっても一般的には尊敬表現や丁寧表現に換えるのは言いにくさや不自然さが残るものです。
 手紙の中の言葉や、比喩表現として日ごろ何気なく使っているこれらの言葉も、ある程度の決まり事があって用いられていることが伺えますね。

第26回「良薬はお口に苦し」「お膝が笑う」?




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