第22回「鈴木様はおられますか?」は誤用?

 4月は、入学や就職・転任など、環境の変化にともなう電話や手紙のやりとりも多いものですね。
 さて、電話の会話で相手の在宅を確認する際に「鈴木様はいらっしゃいますか?」と言うことがありますが、これと同じ意味で使われる言い方に「鈴木様はおられますか?」という表現があり、その正誤についてしばしば問題になることがあります。
 「おる」は通常「いる」の謙譲語として用いられますので、東京を中心とした特に話し言葉では、高めるべき相手に対して「鈴木様、おられましたら○○までおいでください」などと言うのは誤用とされています。このような場合は「いらっしゃいましたら」や「おいでになりましたら」などを使うのが尊敬語としては正しい言い方といえます。
 ただし、上記のような使い方は、一般的には誤用ですが、厳密には正誤を断定しがたいとも言われます。なぜかと言いますと、地域によっては「いる」の尊敬語「いらっしゃる」を使わず、代わりに「おられる」を尊敬語として用いる所もあるため、一概に誤りと言えない部分があるようです。
 また、「鈴木様はおられますか」を使わないという人でも、「先生も興味をもっておられた」のように、「動詞+て(で)」に付いて補助動詞として用いるような場合は使うという人もいるでしょう。他にも、次のように文体として「いらっしゃる」が少し重く感じられるような場合、また文章のバランスが不自然に感じられるような場合には、「おられる」を用いることもあるのではないでしょうか。
 次の例文AとBとその尊敬表現A’、B’を見てみましょう。
        A「先生は、先ほど急用と言っていた」
        B「先生は満足していた」
上の例文の「言う」「満足する」「いる」をそれぞれすべて尊敬語に直しますと、
        A’「先生は、先ほど急用とおっしゃっていらっしゃった」
        B’「先生は(ご)満足なさっていらっしゃった」
となりますが、A’、B’は正しい敬語表現ではあるものの、少し重いような、ややくどいような感じも受けます。もちろん簡略化して「先生は、先ほど急用とおっしゃっていた」「先生は(ご)満足なさっていた」とも言えますが、語尾の「~いた」がやや敬意に欠け、言葉のおさまりが良くないような感じが残ります。このような場合は、次のように「おられる」を用いた方がすっきりとした表現になるとも言えます。
        A”「先生は、先ほど急用とおっしゃっておられた」
        B”「先生は(ご)満足なさっておられた」
 またもうひとつ、書き言葉の場合も同じようなことが言えます。「いらっしゃる」はどちらかというと口語的な響きがあるため、書き言葉としては、言葉のおさまりが良くないこともあり、そのような場合は「おられる」が使われることもあるでしょう。
 例えば、文章の中で次のような言葉を尊敬表現にする場合、どのような言い回しになるでしょうか。
        「鈴木氏は著書の中で○○のように述べている」
「鈴木氏は著書の中で○○のように述べていらっしゃる」は、言葉としては正しいのですが、文章語としては、「いらっしゃる」が話し言葉調でややもたついた感じも受けます。このような場合は、「鈴木氏は著書の中で○○のように述べておられる」という表現を用いるほうが文体としておさまりが良いように感じます。「いらっしゃる」が、女性的で話し言葉でしか用いない言葉というわけでは決してないのですが、文章語では、やや堅い男性的な表現を用いることが多いというのも、「おられる」が使われる理由のひとつかもしれません。下記のように、文学作品の中でも、「おられる」を軽い尊敬語のような形で使っている例が見られます。

「吉田さんのお家には、子どもはいないのだけれど年をとったおばあさんがおられるので」(林芙美子『お父さん』七)
「むかしは、わたしたちの村の近くの、中山というところに、小さなお城があって、中山さまというおとのさまが、おられたそうです」(新美南吉『ごんぎつね』一)
「その頃向島に文淵先生という方がおられた」(森鴎外『ヰタ・セクスアリス』)

 このように、「おられる」は、地域や性別、年代、使う場面によっても、使われる状況が異なり、この意味ではやや特殊な言葉と言えそうです。「言葉づかい」というものは、使い方は正しいのに、場面によってはしっくりこなかったりなじみにくかったりするなど、単に正誤だけで言い切れないものですね。使う場面や言葉のバランスなど、「調和」も大切な要素なのでしょう。

第22回「鈴木様はおられますか?」は誤用?




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