第 1回 近畿と九州の人が「なおす」というと
「ゴミなげて!」と言われて驚いたり、「これタンスになおしといて」と頼まれて戸惑ったりした経験のある人は結構いるのではないだろうか。 そもそもそのことばを発した本人にしてみれば、「ゴミ捨てて!」「タンスにしまっといて!」と言っただけなのに、
周りの思いがけないリアクションに当惑してしまうのである。ことばを発する側は全く方言とは気づかずに共通語のつもりで使っていても、 周りからすれば「それは方言だ!」と言いたくなるような表現に出くわすことは多い。そんなことばに出会うと、”共通語な方言”と呼んでみたくなる。
冒頭の例は共通語と同じことばでありながら意味や用法が共通語とは違っているから特にややこしい。
「捨てる」意味の「なげる」は北海道・東北、「しまう」意味の「なおす」は西日本とそれぞれ地域限定で使われる用法だ。 よくよく考えてみると、「なげる」にはもともと「仕事をなげる」、「テストをなげる」のように「放棄する」という意味があるから、
「すてる」の意味で使われるのもうなずける。「なおす」だって「正常な状態にする、もとにもどす」というのが基本の意味なので、 「しまう」という意味が生まれても不思議ではない。ちょっと意味が膨らんだだけでもはや共通語とは認知されなくなってしまう。
微妙なズレだからこそますます方言だという意識がかき消されてしまうのだ。資料によれば、すでに江戸時代後期には江戸の 「しまう」と大阪の「なおす」の対応を指摘していた人がいたというから感心してしまう。
ところで、筆者が学生時代、昼休みに指導教授の研究室を訪ねていたときのことである。
話がひと段落すると教授が「お昼食べようね」と誘いの言葉をかけてくれた(と思い込んでしまった)ことがあった。
「ランチでもおごってもらえるのか」とほくそ笑んだのもつかの間、その教授はおもむろに鞄の中から弁当を取り出したのである。
実は、指導教授の出身地沖縄では「~しましょうね」、「~しようね」はこれからの自分の行動を相手に知らせているだけなのだ、
と学習したのは学食の日替わりランチを寂しく食べながらであった。もしも沖縄県人に「トイレ行ってこようね」
とささやかれてものこのこついていってはいけない。よもや相手が異性の場合は要注意だ。
ただし、山梨で「ご飯食べ行くじゃん」と言われたら誘われているので喜んでついて行こう。お国が違えば誘われているかどうかの判断も悩ましい。