第 7回 マイボイコット宣言
ワシントンDCのど真ん中に巨大なドームがのっかっている建物がある。その中に政治家たちが集まってごちゃごちゃと議論をする。それを Congress という。
アメリカの「国会」を、こんな具合に幼いぼくが認識し始めたのはニクソン政権のころ。ウォーターゲート事件のスキャンダルが渦巻き、連邦議会議事堂で公聴会が開かれたりしていた。ちょうど同じ時期に、独立戦争を題材にした児童書を読んで、大西洋の向こうのイギリスにも政治家が集まってごちゃごちゃやるところがあり、そちらは Parliament というネーミングだと分かった。
それから、いつか両親といっしょに車で国境を越え、カナダの首都オタワまで北上して、カナダでも「国会」のことを英国風に Parliament と呼んでいることを知った。しかし南へ行けば、メキシコではやはり Congress に相当するスペイン語の Congreso が使われていて、かと思えば、ニカラグアで はNational Assembly のスペイン語版 Asamblea Nacional となると、のちに知った。
国によって「国会」の名称はさまざまだと、このように早くから気づいてはいたが、ジャパンの場合はどうかと具体的に調べることもなく、1990年に大学卒業と同時に来日してしまった。成田空港に到着、ひょんなことで池袋に寝泊りすることになり、二日目だったか三日目だったか公園のベンチに座り、英語の Map of Tokyo を広げて当てもなく見ていた。緑色で印刷された Imperial Palace が真ん中にあり、青い濠(ほり)がめぐらされ、そのすぐ下の茶色い塊に Diet の一語を発見した。
いや、もしかして正確には National Diet と記してあったかもしれない。ぼくは「ダイエット食品」を思い浮かべながらも、一応「国会のことだろうなぁ」と察しがついた。
英語では「食餌制限」の diet と、「議会」の diet と、同音同綴異義語として辞書に仲むつまじく並び、互いに語源も絡まっているようだ。前者のルーツは、どうやらギリシア語の「生きる道」とか「生活方法」を意味する diaita らしく、後者には「一日」の da yを表わすラテン語の dies が影響しているとか。
ディクショナリーでは一見、同等に見えるが、アメリカ人が実際に使っている回数でいえば、食関係の diet のほうがきっと99%を超え、あとはドイツの国会かリヒテンシュタインの国会かジャパンの国会がニュースになれば、政治関連の diet は新聞に顔を出す程度か。
来日して1カ月近くが経ったある日、日本語学校の授業が始まる前の早朝に、ぼくは丸ノ内線に乗り込み、「国会議事堂前」の駅で降りて Diet を見物した。近くの案内板にも National Diet Building と英語が添えてあった。もちろん敷地内には入れてもらえず、眠たそうなガードマンに見張られながら、門をすかしてあのピラミッド型の屋根を眺めただけだ。そこで思いついたのが「なるほど、ここに集まる政治家たちは日本国民に、痩せる思いばかりさせているのでダイエットって呼ぶのか!」という下手なジョークだ。
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ざっと20年がすぎて、ぼくは自分のあのダイエット駄じゃれジョークが、図らずも実体を言い得ていたというほろ苦い理解に至った。と同時に、食関係の diet という言葉のうさん臭さも、骨に沁みるほど分かってきた。
カタカナ語として使われる場合は、痩身になるための「規定食」を指し、英語の従来の diet より意味がうんと狭まった状態だ。第一に diet は食べ物と飲み物全般を含み、生命体が何を摂取するか広く捉える単語だ。ある個人の「食生活」そのものを diet と呼べるし、ある集団、ある国の民の「常食」も diet だし、人間以外の生き物に話題が及んでも、トラの食餌は a tiger’s diet となり、カタツムリなら a snail’s diet だ。
食と健康は切っても切れない関係にあり、それを裏返せば食と病気も密接にかかわり合い、当然ながら治療の一環としての diet は昔からあった。例えば liquid diet の「流動食」など、さまざまな「特別食」や「食餌制限」も、みんな diet の範疇といえる。ただ、20世紀に入ると食品がどんどん工業製品と化し、金持ちの国々の国民はそれまで以上に太り出した。戦後はファストフード業界も膨張して、従来の食文化が衰退しハンバーガー奈落に呑み込まれ、気がつけば肥満はパンデミックよろしく広まっていた。それにともない diet の意味も大きく変形、「痩せるため」というイメージにすっぽり包まれてしまった。
日本に輸入されて流布した「ダイエット」は、意図的に「ファッション」の雰囲気を随所にまぶされていた印象だ。当初は完璧に女性に照準が合わせられていて、太りすぎの対処法のみならず、スタイルのよさへの近道としても宣伝された。ところが銀座から始まったファストフードの伝染と、日本の肥満率の鰻登りとが相まって、今や老若男女だれでもダイエット商品のターゲットになり得るだろう。
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ダイエット産業の天国たるアメリカの一国民として、ぼくはこの20年の間に、日本人からいろいろ質問を受けた。
「アメリカ人はずいぶん体のことを気にしてダイエットに励んでるみたいだけど、それでも太ってしまうのは、やはり体質のせいなのか?」
「新しいダイエットって、だいたいアメリカからやってくるけど、どうしてそんなに次々と出るのかな?」
「このあいだテレビで、フロリダ州発のレモネード・ダイエットを紹介してたけど、効き目あるの? だれかやってるアメリカ人の知り合いはいない?」
みんなの質問に共通しているのは、「ダイエット」が「肥満」の向こうを張っているという基本的な捉え方だ。つまり「肥満」につける薬として「ダイエット」が存在していて、個別に品定めすれば、効果のあるダイエットとないダイエットに振り分けられるだろうが、基本的には「肥満」と「ダイエット」が対立する関係だという理解。
ぼくは、その理解こそ基本的に間違っていると思う。「肥満」と「ダイエット」は相反するものではなく、因果関係でばっちり結ばれている同類項ではないか。あるいは、グルになった馴れ合い関係といってもよいかも。「鶏が先か卵が先か」という問いを、「肥満が先かダイエットが先か」と置き換えれば分かりやすい。同じサイクルに組み込まれ、同じ歯車で回っている現象であり、人は肥満になるからダイエットするし、ダイエットするから肥満になるし、実際は両者がセット売りされる関連商品だ。
もともと diet の意味は「生きる道」とか「生活方法」だった。環境と調和がとれて、持続可能な暮らしがその土台であり、しかしそういった diet の道を、みんながしっかり歩んで生きていたならば、企業はぼろ儲けができない。暮らしのバランスが崩れて初めて暴利をむさぼるスキが生じる。そこで庶民の食生活を崩すための梃子(てこ)として重宝するのは、例えばファストフードだったり、ダイエットだったりする。実際に相反して対立関係にあるのは、「肥満」と「ダイエット」ではなく、本来の diet と現代風の diet なのだ。
悪貨は良貨を駆逐して、悪食も良食を駆逐してしまい、21世紀のアメリカも日本もまったく困った状況だ。惰性で暮らして周りに溢れかえるファストフードなどを食べていると、やがて収拾のつかない身体になってしまう。一方、ダイエットで対処しようとしても、リバウンドの悪循環につきまとわれ、いつまで経ってもバランスが取り戻せない。では、どうしたらいいか。
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ぼくは「ボイコット」がいいと確信している。大々的な抗議行動としてのそれじゃなくても、個人単位でできるパーソナルな「マイボイコット」が。
よく「不買運動」と日本語に訳されるが、英語の boycott はもっと喜怒哀楽に富み、勝利の物語を孕(はら)んだ単語である。そもそも Boycott と大文字から始まり、というのは、英国人の Charles Cunningham Boycott のラストネームが語源だからだ。1832年、イングランドのノーフォーク州に生まれた彼は、成人して英陸軍に入隊、大尉まで昇進した。退役後はアイルランドに移り住み、金持ちの大地主に雇われて土地差配人として、小作人たちから年貢をしぼりとり、何もしぼりとれない連中を容赦なく立ち退かせた。1870年代の終わりに、連年の不作続きと地主衆の相も変らぬ搾取が重なり、いよいよアイルランド各地で小作人が立ち上がり、「土地同盟」の抵抗運動が本格化した。
そして1880年、年貢拠出量についてまったく譲歩しようとしなかったチャールズ・ボイコットに対し、小作人たちはきっぱりと、関係を断ち切ることにした。農園の収穫に必要な労働力はもちろん提供せず、日常的な取り引きもやりとりもすべて拒否して、挨拶すら交わさなかったのだ。小作人に限らず周辺の住民も全員、チャールズ・ボイコットと一切付き合わないことに決め、村のパブから馬具屋から雑貨屋まで、完全に彼をシャットアウトしてしまった。非暴力主義に徹したその100%村八分の運動が見事功を奏して、追い込まれたボイコット差配人がアイルランドを去り、彼を雇っていた地主は小作人たちの要求を呑む以外になかった。続いてほかの地域でも同じ村八分作戦が行なわれ、がめつい Boycott の野郎を記念してその名が使われ、いつの間にか一般動詞化していった。
そんな輝かしい歴史から生まれた「ボイコット」――もちろん団結して派手に繰り広げるべき場合もあるけれど、一人ひとりが日常生活の中で実施できる運動としても、ぼくは立派に成り立つと考えている。大事なポイントは、消極的な我慢と制限が基本にあるダイエットと違って、ボイコットは攻めの姿勢で積極的に続けるものだ。暴力に訴えることなく、すぱっと関係を断ち切るだけのことなのだが、スタンスは常にアグレッシブで、その分なかなか楽しい。
ぼく自身、今ひそかに決行している「マイボイコット」がいくつもあり、代表的なものを少しリストアップすれば、こんな感じか。
①マクドナルド社をはじめとするファストフード業界とは付き合わない。
fast food の前半の「ファスト」は一応認めるが、後半の「フード」にぼくはうなずかない。食べ物として失格だと思うから。もし災害時にほかの食料が全部なくなり、餓死寸前だったら、そこで口にするかどうか再検討するつもりだ。ただし、稀にファストフード店のトイレを借りることがあるので、完全に絶縁しているとはいえない。この「マックボイコット」は来日する前、オハイオ州の高校に通っていたころから一貫して続けている抵抗で、わが運動の出発点といえる。
②ミネラルウォーターは買わない。
ダノングループとかコカ・コーラ社とかがスペシャルな水を提供するふりをして、実際は石油でできたペットボトルを売りさばいているのではとぼくは思う。また、世界の水資源の掌握を狙う大企業の長期的戦略として、水道水がまだ飲める国々の水道を弱体化させ、ミネラルウォーターを買わざるを得ない生活に市民を追い込もうとしている気がする。とにもかくにも、水が最大の天然資源である日本列島に暮らしていながら、おフランスから運ばれてきた水を購入して飲むなんて、恥辱以外の何ものでもない。
③自動販売機には銭を一切投入しない。
日本の二酸化炭素削減目標が話題になるたびに、ぼくはこう思う――列島の津々浦々にうじゃうじゃある自販機のプラグをソケットから抜けば余裕で達成可能だろうに。でも地球温暖化が騒がれるようになる前から「自販機ボイコット」を決行していた。なぜなら目ざわりだし、邪魔だし、町からなくなって欲しいので、まず自分の意識においてナキモノにしているのだ。
④「ダイエット」の名のつく商品はまったく相手にしない。
(これは先に書いてきたので省略)
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あえて中国古代思想の「陰陽」に当てはめようとするならば、みうらじゅん氏が造語し提唱した「マイブーム」は「陽」に相当し、「マイボイコット」はそれと抱き合う「陰」であろう。
大規模なボイコットは効果覿面(てきめん)だったりするが、マイボイコットはそうはいかない。けれど、毎日のように通っていた道にあって、一回も買わなかった清涼飲料水の自販機が、突然撤去されてなくなると、かなり愉快だ。ファストフード店の店じまいもしかり。そして何よりも、そんなものに振り回されることなく、自分の食生活の自治権を手放さないで、アイルランド土地同盟の先達たちといっしょに「生きる道」を歩んでいることが、気持ちいい。
〔深読み付記 ― 日本がわざわざ「国会」を Diet と呼んだ理由として、その語源に「一日」のラテン語 dies がかかわっていることも、もしやあったのか。なにしろ
dies は、日本の「日」なのだから〕
国会議事堂
参観者向け英語パンフレット
(参議院事務局発行)
参議院売店で買ったお土産