第 4回 「発見」の定義

 新千歳空港の到着ゲートから全力疾走して、千歳線の電車に飛び乗り、新札幌駅からはバスに乗り換えた。目ざしたのは野幌(のっぽろ)森林公園、その中の「北海道開拓記念館」と、野外ミュージアム「北海道開拓の村」。しかしもう昼すぎだ。ちらつく粉雪を車窓から眺め、自分の足もとも見ておやッ、東京のいつものぺらぺらの革靴をそのまま履いてきたことに気づいた。結局「村」をあきらめ、「記念館」のみのコースを選んだ。

 500円の入館料を払い、エゾマツの巨木の切り株を並べた「シンボル展示」の前を通って、「北の大地」の部屋に入った。立派なマンモス象の骸骨としばしにらめっこしてから、片隅の展示ケースに「ステラーカイギュウ」の骨を見つけ、いきなりもっと北へ飛びたい衝動に駆られた。
懐かしの Steller’s sea-cow! 中学生のぼくに discover という言葉の本当の意味を教えてくれた恩師のような存在だ。あれはたしか二年のときのバイオロジーのクラス。冬休みに、海洋動物に関するリポートの宿題が出て、なんとなく、暖かいフロリダの海に棲むマナティーについて書こうかなと思い、図書館で調べ出した。そこで初めて、同じ海牛目の仲間に「ステラー」の名がつくものもいたことを知った。
ステラーってだれだっけ? 百科事典をひけば、「ベーリング海」に名を残した航海士 Vitus Bering と共に、北極海を目ざした探検隊仲間だと分かった。医師兼博物学者として
Georg Wilhelm Steller は、1740年の第2次カムチャツカ・エクスペディションに加わり、アリューシャン諸島やアラスカなどを巡って、翌年の11月にコマンドル諸島の無人島で座礁してしまった。ニンゲンが島に住んでいない代わりに、目をうたがうほど立派な「海の牛」がたくさんいて、ゲオルク・ステラーはその哺乳類の暮らしぶりをずっと観察。体長が8メートルを超え、体重は10トンにおよんだとか、「彼らの皮膚は黒くて分厚く、さながら樫の老木の樹皮のよう」とも書いている。陸には上がろうともせず、島のまわりの浅瀬で群れをなし、ひたすら昆布を食んで、人もまるで恐れず、性格は穏やかでやさしかったそうだ。

 のみならず、ステラーカイギュウは美味しかったともいわれている。肉がやわらかくジューシーで、豊かな脂肪も香ばしく、そのままバターの代わりになり、おまけに保存もきいたらしい。ベーリング指揮官本人が病に倒れ、帰らぬ人となったが、冬を越して生還できた乗組員たちはみんな「海の牛」の栄養が、命綱になったのだ。
ゲオルク・ステラーは、自分が「発見」した巨大カイギュウのことを盛んに語り、彼の「観察記」も出版され、それらの情報をもとに毛皮商人たちは、コマンドル諸島へ渡り始めた。その結果、海がどんどんステラーカイギュウの血で真っ赤に染まり、1768年には最後の個体が殺され、絶滅した。白人に
discover されて27年目に――。 ぼくは Steller’s sea-cow の発見伝にふれ、そんなおっとりとした10トンの巨体といっしょに泳げたら、どんなに楽しかったろうと想像した。もしもカイギュウのテーマパーク
Steller’s SeaWorld があったなら、観光客の大群を世界中から呼び寄せられたのに……といった空想にもふけり、その延長線上で discover
の意味の、ディクショナリーには記されていない含みを悟ったのだ。「それまで知られていなかったものを新たに見つけること」あたりが、スタンダードな定義だが、実際は「壊したり皆殺しにしたりむさぼったりすること」も切れ目なく、スムーズにつながっている。
つまり「発見」の中に、場合によっては「破壊」も潜んでいて、むしろその暗部のほうが決定的ではないか。地球の生命の流れにおいては27年間などほんの瞬きにすぎず、勝手に「ステラー」の名を冠せられたカイギュウから見れば、「発見」は「絶滅」とまったくの同義語なのである。
discover をうたぐり出して、その視点が、たとえば「コロンブスの新大陸発見」を考える上で大いに役立った。また develop という言葉からも、いつしか怪しい臭気がただよってきて、「開発」に包み隠されている殺傷力を、いくらか嗅ぎ分けられるようにもなった。思えば「開拓」という日本語も、とても額面通りには受け取れず、「記念」するよりもまず洗いなおして「反省」すべきだ――「北海道開拓記念館」を見物しながら、あらためてそう感じた。

 北の海の巨大カイギュウは容赦なく「発見」されてしまい、二度と出会えなくなった。けれど、赤道を挟んだ太平洋とインド洋に棲む仲間のジュゴンたちはどうにか耐えて、限られた浅瀬で静かに、力強く生き残っている。ところが、沖縄ではいま「再編」という名のもとで、ジュゴンに新たな危機が迫っているのだ。
すでに「開発」の名のもとで海がいためつけられ、あちらこちらの浅瀬に赤土が大量に流れ込んで、ジュゴンの藻の餌場はつぶされてきた。それに対して、清らかな海を守ってジュゴンの保護区をつくろうと、人々は動き出していた。そこへ今度は、米軍の新基地建設計画がのしかかってきた。ジュゴンの貴重な餌場でもある名護市辺野古(へのこ)の海を、ごっそり埋め立てて滑走路と軍港にする話だ。無論、それを正直に「新基地建設」と呼べば、反発を買ってしまうので、「米軍再編の沖縄負担軽減の一環としての代替施設建設」と称し、推し進められている。計画の中身を点検すれば、老朽化した施設を最新鋭の基地と取り替えようとする狙いは見え見えだ。
沖縄県民にとって真の負担軽減にはならず、絶滅に瀕している沖縄のジュゴンとっては、むごい負担増になりかねない。「再編」という日本語の定義に、「壊したり皆殺しにしたりむさぼったりする」含みが、忍び込まないためにも阻止しなければならない。
もしも母国の軍隊が、辺野古の海を破壊したら、ぼくはステラーカイギュウの骨にも合わせる顔を失ってしまう。

北海道開拓記念館

北海道開拓記念館

北の大地

北の大地

ステラーカイギュウ 18世紀の海図より

ステラーカイギュウ 18世紀の海図より

ジュゴン 『言泉』(小学館)より

ジュゴン 『言泉』(小学館)より

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