第 2回 一面のカラシ菜、カラシ菜の一面
そもそもカラシ菜に対して、ぼくはなんの不満も恨みもなかった。その黄色い花が利根川の土手一面に咲いたら、きっとのどかでいい景色だろうと思っていた。が、それでは困ると、群馬の酪農家たちはいう。
正確には、群馬県太田市の東毛酪農業協同組合の関係者が、いうのだ。わが家は何年も前から、東毛酪農の「みんなの牛乳」を愛飲していて、あまりにおいしいので、生産者のことまで知りたくなった。以前、池袋の販売店主から、東毛の牛たちは利根川の河川敷の牧草を食べていると聞き、さらには、その一帯のカラシ菜をみんなで引っこ抜いたり刈ったりする大会が毎年開かれているという話も、小耳に挟んでいた。
去年の春もおととしの春も、さきおととしの春も都合がつかず、参加できなかった。けれど、今年は3月の最後の日曜日、とうとう大利根へ出かけられた――勇んで、カラシ菜退治に。
目的地は明和町の河川敷で、もよりの駅が東武伊勢崎線の川俣。電車の時刻表は調べておいたが、池袋の販売店主が車にのせてくれることになり、東北自動車道で向かい、館林インターでおりた。そこからは、川をさかのぼる方向に走って集合場所へ。
見上げているとズズ――ンと吸い込まれて行きそうな青空だ。どこまでも澄み渡り、群馬といえど風もさほど強くはなく、野良仕事にもってこいの天気。「カラシ菜引っこ抜き日和」とでもいうか……つまりは完璧なサイクリング日和でもあり、ぼくはひとりペダルをこいで来なかったことを後悔した。
ただ、もし東京から本当に自転車で行こうとなった場合、おそらく前日の夜くらいに出発しなければ、集合時間の午前10時には間に合わず、つらいものがあったろう。それでも、大空のもと利根川に沿って疾走したい衝動に駆られ、考えるうちに、自転車を車のトランクに積んでおいたらよかったという、ややずるい後悔に至った。
集合場所には、大久保克美組合長をはじめ東毛酪農のスタッフが、百挺を優に超える数の鎌と、何百枚という軍手を用意して待っていた。ワゴン車やワンボックス、そして大型バスも到着。電車を利用した参加者もぞろぞろやってくる。そこで、そもそもなんでカラシ菜をやっつけなければならないのか、趣旨説明が始まり、ぼくは驚いた。自分がまるで趣旨を理解していなかったことに。
何を血迷ったか、ぼくはてっきり、牛たちがカラシ菜を食べるとそれが牛乳の味に影響するので、牧草が生い茂る前に「引っこ抜き大作戦」を実施するのだと思っていた。ところが、真相はもっと悠々たるスケールの話で、「風が吹けば桶屋が儲かる」と同じくらい意外な仕組みだった。
カラシ菜という植物は大根の親戚で、大きく生長すれば根っこも肥大し、そのまま放っておくと土中でグショグショになって、ミミズたちが喜ぶ。元気になったミミズたちがいっぱい繁殖すれば、今度は彼らを賞味しようと、モグラたちが集まる。どんどん掘り進んではミミズをわんさか食べて、そのうち土手全体にトンネルの一大ネットワークが張り巡らされる。人間がわざわざ油圧ショベルなどの建設機械を使って高く積み上げた土手が、モグラの働きによってもろくなり、いつか崩れて洪水につながる可能性もある。
従って、国土交通省は除草剤を撒いてカラシ菜を枯らしたい。しかしそんなものを撒かれたのでは、土手の草を牧草にできなくなってしまう。東毛酪農は国土交通省と交渉して、除草剤の散布を見合わせてもらう代わりに、カラシ菜退治の責任を背負ったわけだ。
集合場所の周りにも少しカラシ菜は生えていたが、下流へ進むに連れてだんだんと増え、そして六百メートルほど行ったあたりからは一気に、土手の傾斜一面にまさに咲き誇っていたのだ。その風景と重なるようにして、ぼくの脳内では山村暮鳥の「風景」という詩が、ひとりでにスクロールし出した。
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
かすかなるむぎぶえ
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
ひばりのおしゃべり
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
やめるはひるのつき
いちめんのなのはな
ただ、横書きで垂直に、という具合ではなく、頭の中でこの詩は縦書きになって、基本的には水平だが、土手の傾斜と似たななめ加減にスクロールしていた。一行一行が、林立するカラシ菜の茎と重なるふうに。
「いちめんのからしな……いちめんのからしな……」と替え歌にして唱えていたら、そこへ「ピルチュルピリピリピルチュルピリピリ」といったさえずりが、上空から聞こえてきた。見上げれば、小さな茶色い鳥が高く飛びながら、澄んだ声で啼いているではないか。まぎれもなく雲雀だ!
暮鳥は「ひばりのおしゃべり」と詠っているが、ぼくの耳にはむしろアリアと届き、うっとりと聴き入った。カラシ菜を両手でつかみ、ぐぐぐいっと引っこ抜いて、うまく抜けないやつは鎌で切り、みんなでわいわい黄色い花粉にまみれている間中、雲雀は気前よく空のアリアを降らせてくれていた。一面のカラシ菜が徐々に、びっしりというほどでもなくなり、やがてまばらのカラシ菜に。
もちろん、とても全部は引っこ抜けず、午後1時すぎたら適当に切り上げて、さらに下流のほうの河川敷で交流会となった。飛び切りうまい漬け物と、それから焼き肉と牛乳と――そのメニューの組み合わせに最初は少々違和感を覚えたが、親子丼みたいなものかと納得して頬張った。
東毛酪農の関係者が畑でていねいに栽培した柔らかなカラシ菜を、お土産にどっさりもらった。直径15センチばかりの束をいくつも、横書き状態にして大袋につめ、東京へ持って帰った。それから一週間くらいは、わが家の食卓も「いちめんのからしな」だった。
カラシナの花