第99回 戯作者たちの繁忙期
書店には、早くも新年のカレンダーや日記などが並んでいる。毎年出すものは夏にはすでに制作を進めていると聞くし、月刊誌などの新年号はいまごろはもう大体出来上がりつつあるのかもしれない。
江戸時代、本の出版のほとんどは正月と決まっていたから、いまよりもっと早くから準備していた。そして、人々は正月に新春版の新しい本を買うのをとても楽しみにしていたのである。
江戸では、気の早い顧客や馴染(なじ)みの客は、人に先がけて一日でも早く新春版の本を読みたいから、11月に出来上がると本屋に無理を言って買い込む者も少なくなかった。歌舞伎では11月に来春向けの顔見世興行をしているので、役者の顔触れや新春版の本を見て自慢したい江戸っ子たちは、先を争って芝居小屋をのぞき、新春版の本を買い求めた。
10月末ごろになると、江戸時代の絵入り小説として人気のあった、いまでいう大人のコミックともいうべき黄表紙(きびょうし)などの戯作(げさく)の作者たちは、正月向け新春版の追い込みで多忙な季節となっていた。
江戸時代の書物は、整版と呼ばれる板木(はんぎ)を彫刻して印刷製本したものであった。何しろ、まずは文字や絵を板木に彫って和紙に刷って、それを丁合(ちょうあい。折ってページ順に重ねる)して、そして表紙を付けて和綴じ本にしていくという、一冊一冊すべてが手作りなのだから、大変な手間がかかっていたのである。
図版に掲載したのは、ものすごいスピードで丁合の作業をしている職人の様子。本屋の仕事をコミカルに紹介した十返舎一九(じっぺんしゃいっく)作画の黄表紙『的中地本問屋(あたりやしたじほんどんや)』(享和2年〈1802〉刊)からのひとコマである。
①草稿(そうこう)…作者が原稿を書く。
②挿絵…絵師が作者の指示どおりに絵を描く。
③筆耕(ひっこう)…筆耕が文章やセリフを清書する。
④彫刻…彫り師が板木を彫る。
⑤試し刷り
⑥著者校合(きょうごう)…校正する。
⑦入木(いれぎ)…埋木(うめぎ)とも。訂正部分を直す。
⑧印刷
⑨製本
⑩販売
戯作の場合、だいたい8月ごろまでに、作者は草稿を書き上げた。すぐに絵師や筆耕が完全原稿にして(この原稿に作者が目を通すこともあった)、彫り師が彫刻し、一度試し刷りをして作者に渡す。
これを校合するのが10月の末ごろである。校合というのは、現代の本作りの過程にも欠かせない著者や校正者がする校正のことであるが、江戸時代では、一度だけしかできない校合は気が抜けなかった。
訂正箇所があれば、板木のその部分だけを鑿(のみ)で削り取り、そこへ楔形(くさびがた)の入木(いれぎ)を差し込み、この部分をもう一度彫り直し板木は完成する。それが印刷され製本されて、11月の末頃には本が出来上がるのである。
そして流通は、まずはじめに、「田舎送り」と称して全国の城下町や地方の町や村へ梱包して送られる。東海道で江戸から大坂はおよそ2週間もあれば届くが、他の遠い四国、九州地方などへは1か月くらいはかかり、新春版の本は文字通り正月2日に店頭に並べられることになったのである。
日本橋にあった板元・村田屋治郎兵衛の店の製本の様子。火鉢の前に座っているのは村田屋店主。左では小僧が刷り上がった紙を重ねて折り、右では職人が丁合をしている。腰に鉦(かね)をたくさん付けて激しく打ち鳴らす「やからがね」のように迅速に仕事をこなしている。『的中地本問屋』(享和2年〈1802〉刊)より。この年、一九は村田屋より『道中膝栗毛』初編を刊行する。
黄表紙…洒落(しゃれ)、滑稽(こっけい)、風刺を織り交ぜた大人向けの絵入り小説。1冊5丁(10ページ)から成り、2、3冊で一部とした。安永4年(1775)から文化3年(1806)頃にかけて多数刊行された。代表作者に、恋川春町(こいかわはるまち)、山東京伝(さんとうきょうでん)など。
戯作…娯楽を主とした江戸後期の通俗的な小説。戯作者はその作者。黄表紙をはじめ、洒落本、談義本(だんぎぼん)、読本(よみほん)、合巻(ごうかん)、滑稽本、人情本(にんじょうぼん)、咄本(はなしぼん)などがある。
十返舎一九…1765~1822。江戸後期の戯作者。江戸のベストセラー作者。弥次さん喜多さんが旅してナンセンスな笑いをくり広げる滑稽本『道中膝栗毛』の初編は、享和2年(1802)に村田屋から刊行され、八編(文化6年〈1809〉)まで出て、続編も次々出されて文政5年(1822)まで続いた。一九は、さまざまなジャンルに多くの作品を残している。
(お知らせ)
本コラムの執筆者・棚橋正博先生がNHKカルチャーラジオ『弥次さん喜多さんの膝栗毛』に出演されています。NHKラジオ第2放送、毎週木曜日午後8:30~9:00。再放送は金曜日午前10:00~10:30です。