「オードブル」をめぐる探索、その途中経過(前編)
金水 敏
1. 留学生Aさんの困惑
「どうしてここに、オードブルが出てくるんですか。よく分からないんですけど」
こう発言したのは、中国から来ていた留学生のAさん。2021年某日、大阪大学大学院文学研究科の「国語学特殊研究」という演習型の授業の中のことである。その授業は、村上春樹『騎士団長殺し』を英訳本・中国語訳本と対比させながら読んでいくという内容のものであった。日本語の小説とその外国語訳を比べながら読み進めるという作業は、毎回さまざまな発見があり、楽しいものだった。
さて、最初の発言が発せられたのは、次のような箇所を読んでいた時のことである。
それから料理が運ばれてきた。台所と食堂のあいだには配膳用の取り出し口がついていて、ボウタイをしめたポニーテイルの青年が、そこに出された皿をひとつひとつ我々のテーブルに運んだ。オードブルは有機野菜と新鮮なイサキをあしらった美しい料理だった。それに合わせて白ワインが開けられた。ポニーテイルの青年が、まるで特殊な地雷を扱う専門家のような注意深い手つきでワインのコルクを開けた。どこのどんなワインか説明はなかったが、もちろん完璧な味わいの白ワインだった。言うまでもない。免色が完璧でない白ワインを用意するわけがないのだ。
――村上春樹『騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編(上)』188頁、新潮文庫、2019年刊。太字は引用者による
この箇所は、小田原郊外の山中にある、友人の父親のアトリエを借りて引っ越してきた肖像画家の「私」が、近所に住む「免色」という謎の多い人物の豪邸に招かれて、フランス料理のフルコースをご馳走になるシーンである。
Aさんに、何が疑問なのかしばらく会話していると、Aさんが思う「オードブル」という料理が、このシーンにまったく合わないということを言いたかったのだ。そして、Aさんが思う「オードブル」とは、大学の新入生歓迎パーティや卒業記念パーティなど、生協食堂を借りて行われる各種パーティで卓上に並べられる、おつまみの盛り合わせのことである。串カツやエビフライ、唐揚げ等の揚げ物、ハム、ソーセージ、チーズ、野菜の煮物等を直径50cmくらいの円形、あるいは楕円形のトレーに盛り付けて、卓上に並べておくものだ。その他には、すし桶(おけ)、サラダの大皿等が並べられ、それをビールやワインやソフトドリンクを飲みながら食べる、というのが決まり切ったパターンだった。
「オードブル」の具体的なイメージは、「オードブル」でオンラインの画像検索をしたときに現れる画像を見れば一目瞭然である。【*1】
これに対し、原作で作者が想定しているのは、フランス料理のコースの最初に出てくる、「前菜」としての一皿盛りの料理であろう。同じ「オードブル」ながら、両者が指し示すものの違いは極めて大きい。
ここで、原作の「オードブル」と、Aさんが思った「オードブル」を、それぞれ「オードブル1」「オードブル2」とし、その特徴を書き出しておく。
オードブル1:コース料理の「前菜」。一品の料理が一皿に盛られて、コースの最初の方で、着席している客の一人一人に供される。
オードブル2:立食パーティ等で並べられる大皿盛りの料理。一口で食べられる料理を多数盛り合わせてテーブルに置き、客はセルフサービスで自分の小皿に取り分けて食する。
Aさんは、オードブル1として読むべき箇所を、オードブル2として読み、困惑したのである。なぜだろうか。それは、Aさんがオードブル2しか知らなかったからである。Aさんのような留学生は、年に何回か生協食堂で開かれるパーティの類いでオードブル2に接する機会はあったが、レストランでフランス料理のフルコースを食べる機会はあまりなさそうである。だからオードブル1のイメージは、浮かばなかったものと思われる。
2. 辞書に見る「オードブル」
では、辞書類ではどのように書かれているであろうか。列挙してみよう(アクセント記号は省略する)。
○『日本国語大辞典 第二版』
オードブル〔名〕
({フランス}hors- d’œuvre)《オードゥブル・オールドゥーヴル》
(1) 正式の西洋料理の献立で、スープの前に出る軽い料理。和食の「つきだし」に当たる。前菜。
*音引正解近代新用語辞典〔1928〕〈竹野長次・田中信澄〉「オール、ドゥーブル Hors d’oeuvre 仏 西洋料理で、食事の本皿になる前に出す軽い食物のことを云ふ」
*銀座細見〔1931〕〈安藤更生〉七・喫茶店月旦「この名物は一六品で一円といふオードゥブルだ」
*銀座八丁〔1934〕〈武田麟太郎〉「オールドウブルの腸詰を皿に小綺麗にならべてゐたが」
*青春怪談〔1954〕〈獅子文六〉性に関する一章「彼は、静かに、オウ・ドゥヴルを皿へわけながら」
(2) バーなどで、酒のつまみとする簡単な料理。(【引用者注】用例無し)○『広辞苑 第七版』
オードブル【hors-d’œuvreフランス】(「本膳以外」の意味)西洋料理の献立で、主要な料理の前に最初に出る軽い料理。冷製と温製とがある。前菜。○『大辞林 第四版』
オードブル〘フランス hors-d’œuvre〙西洋料理で、スープの前に出る軽い料理。冷肉・野菜などの取り合わせ。前菜。オールド—ブル。〔原義は、番外料理・献立外料理の意〕○『三省堂国語辞典 第八版』
オードブル〔フ hors-d’œuvre〕〘料〙〔西洋料理で〕食事の前のつまみもの。前菜。オール ドーブル。☞アペタイザー・アンティパスト○『三省堂 現代新国語辞典 第七版』
オードブル〈名〉[フランスhors-d’œuvre][西洋料理で]正式の食事の前に出す軽い料理。[類]前菜○『新明解国語辞典 第八版』
オードブル〔フhors-d’œuvre (=オルドーブル③)の日本語形〕〔西洋料理のコースで〕スープの前に出る、軽い食べ物。前菜。
以上に見るように、「(正式の)食事の前」、「スープの前」、「食前」、「食事の最初」のように、コース(献立)の時系列を問題にする語釈が多い。つまり、概ね「オードブル1」に近い語釈となっている。
『日国』では(2)として「バーなどで、酒のつまみとする簡単な料理。」とあるのが目に付くが、これもパーティ料理としての「オードブル2」とはほど遠い。つまり、Aさんが思うような、あるいは多くの日本人が体験するような立食パーティやホームパーティ等での大皿盛りの「オードブル2」の語釈は、主要な辞書には出てこないのである。【*2】
3. フランス料理の歴史の中の「オードブル」
「オードブル2」がいつ、どのようにして生まれたか、ということについて述べる前に、まず『騎士団長殺し』に出てくるような「オードブル1」にいたるまでのフランス料理の歴史を振り返っておこう。なお、本節の内容はフレンチ・レストランの現役シェフである道野正さんのご教示と、『現代フランス料理百科事典』の記載に基づいて書いている。
19世紀以前のフランスの宮廷の宴会料理では、大皿に豪華に盛り付けられた料理をテーブルに所狭しと並べて客に供してこれを第1セルビス【*3】とし、時間が来るとそれをごっそり引き揚げて第2セルビスの料理を運び込み、というような形で進められた(第3セルビスまでの場合もあるし、大がかりな宴会では第8セルビスまであったらしい)。
これだと冷たい料理は生ぬるくなり、ろうそくで温められた温かい料理は煮詰まってしまい、というように最適の状態で提供することが難しく、また遠くにある料理は手が届かず、結局手近にある料理しか食べられない、という不都合が生じていた。
これを改革したのが時のパリ駐在ロシア大使のクラーキンで、ロシアで一般的であった、1品ずつ順番に料理をサービスするという方式をフランス料理に持ち込んだのだ。これならば、冷たい料理は冷たいまま、温かい料理は温かいまま客に供することができる(ただし一般化するまで50年かかったらしい)。これをロシアン・サービスという。
なお、ロシアン・サービスはもともと、銀皿に並べた料理を給仕がテーブルまで運んで、一人分ずつ客の皿に移し替える方式であったが、さらに進んで厨房(ちゅうぼう)で一人分ずつ更に盛り付けてテーブルまで持っていくアシェット(=皿)・サービスが一般化し、今日に至る。
このロシアン・サービスがフランスに持ち込まれたのと同時期に、ロシアの宴会で行われていた「ザクースカ」がフランス料理に導入された。帝政ロシアの上流階級の宴会では、遠方から来る客も多く、客が揃うまでに時間が掛かるので、前室に加工肉、チーズ、ニシンの酢漬け等の冷たいおつまみをウオッカとともに用意して、早く来た客に提供していた。これがザクースカであり、現在のオードブルの原型となったと言われる。料理が始まる前に供されるという意味で、hors-d’œuvre、すなわち「献立外」なのである。
なお、初期のオードブルは、前の時代の大皿料理のなごりで、多種類の料理をきれいに皿に盛り付ける「オードブル・バリエ」が主流であったが、やがて一人前ずつ皿に盛る方式になり、本来のコースの料理とも重複がないように工夫されるようになってきた。ここに至って、オードブル1が完成するのである。
道野シェフによれば、今日のオードブルは「料理人の自己主張になって」いて「季節感を表現するものも多い」とのことである。つまり、料理人が客に最初に与えるインパクトであり、本膳への期待を膨らませるという意味で、料理人の腕の見せ所の一つとなるのである。
4. 宴会料理とオードブル
オードブル1にたどり着くまでの道筋については、だいたい摑めたとして、ではオードブル2はどうか。
(以下、後編に続く)

荒ぶりながらオードブるふたり
イラスト/深川直美 http://www.fukaspo.com/
参考資料
【*1】 以下のものは、Google 検索の結果である(2026年4月8日アクセス)。
Google画像検索結果「オードブル」
【*2】 なお、『日国』の(2)や、『大日本百科全書』(JapanKnowledge版、2026年4月8日閲覧)に記載されているように、「バー」で最初に出すおつまみも「オードブル」と称することがあり、これは「オードブル1」でも「オードブル2」でもない区分として考えておく必要がある。
【*3】 「セルビス」は料理を供する段階。サービス。
◎プロフィール
金水敏
きんすい・さとし/1956年大阪府生。大阪大学大学院名誉教授、放送大学特任教授。日本学士院会員。博士(文学)。日本語文法学会会長、日本語学会会長を務める。専門は日本語史、役割語研究。『日本国語大辞典 第二版』の改訂にも関わる。

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