日本語を使う日々
プロフィール
吉田戦車(よしだ せんしゃ)
1963年岩手県生まれ。1985年に漫画家デビュー。 『スポーツポン』『ぷりぷり県』『殴るぞ』など作品多数。現在は、ビッグコミックスピリッツ誌上にて『ひらけ相合傘』を好評連載中。第37回文藝春秋漫画賞を受賞した『伝染(うつ)るんです』は2009年にアニメ化され再び話題に。また、『吉田電車』『吉田自転車』『戦車映画』などのエッセイ、『吉田戦車の逃避めし』(ほぼ日刊イトイ新聞にてほぼ毎日更新中)など漫画以外でもその才能をいかんなく発揮。今回「ニホンゴ」をテーマに月1回連載するに当たって、決意表明のためか緊張のためか、初の(?)ネクタイ姿で登場(自画像が、です)。
コラム記事一覧
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第二十六回 「秋風すっぽこ旅」
伊藤理佐の取材のつきそいで、岩手と宮城に行ってきた。 「学校寄席」などとも呼ばれる、一般の人は見ることが出来ない落語会の取材である。 なんで腹のでかい人間が新型インフル流行のこの時期にそんな仕事をやらねばならんのか、と思うが「引き受けたのは夏前で、まだ流行っていなかった」ということだ。 まあ私にとっても、柳家喬太郎他そうそうたる面々の噺がただで聴けて、しかもアゴアシつき。断る理由がない魅力的…
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第二十五回 「サルです。ああ甘い」
気がつけばこの夏、アイスクリーム、かき氷のたぐいをまったく口にしなかった。 自他ともに認める辛党だが、大人になってからも毎夏数回はアイスを食べていたはずであり、食いそびれた、ということ以外に、何か理由があるような気がしている。 ここ1年ほどの習慣として、毎朝くだものを食べるようになった。これかもしれない。くだもののさわやかな甘さが、アイスに気がいかなかった原因ではないか。冷蔵庫で冷えていればな…
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第二十四回 「中華でいい」
これといった趣味がなく、毎日食べもののことばかり考えている。 恥ずかしい。が、「ところてん突き」を買うところまでいけば、これもまた立派な趣味といっていいのかもしれない。 ところてんのことはおいといて、帰省シーズンでもあり、中華のことを考えてみたい。 故郷に、なつかしさを感じるような行きつけの外食店はあまりない。うちの母は徹底して家メシの人であった。もちろん少年時代に2、3回入ったそば屋など…
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第二十三回 「悲しみと私」
幸いにも、足もとが崩れ落ちるような深い悲しみに見舞われたことはまだない。 肉親の死は今のところ祖父母にとどまっているし、親友といえるほど身近な友の死も、まだないといっていいだろう。 プチ悲しみ、などといってはあれだが、前回書いたオスネコのニャコが、数日前静かに息をひきとった。 そりゃあ、悲しい。 が、それはつきあっておおよそ3年分の悲しさであり、泣いたけれども一瞬だった。子猫の頃からつき…
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第二十二回 「猫でできた犬」
私が描く犬は、猫でできている。 ……えーと、それはどういう意味ですか? という声が聞こえるようだが、つまり 「私は犬を飼ったことがない。犬のことをあまりよく知らない」 ということだ。 私がよく知っている唯一の動物は、猫だ。 もちろん『イヌ科の動物』『犬を初めて飼う人のための本』などという資料はある。犬のフィギュアすら持っている。ギャグ漫画に出てくる犬は骨格なんか正確じゃなくてもいいわけだ…
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第二十一回 「本当にいたらいやだな汗血馬」
前回は甲子園に書いてもらって光栄だった。しかし、本当に甲子園が私に憑依を? 自分でもよくわからないのである。 汗ばむことも多くなってきた5月、野球から汗続きで今回のテーマは「汗」にしようと思う。 汗くさいテーマだけど、我々は汗をかかずにはいられないし、汗のない人生などつまらない。 サブタイトルの「汗血馬」とは、血の汗を流し、一日に千里を走るといわれた中国の名馬だという。 「血の汗流せ」は『…
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第二十回 「甲子園ですが、ファールボールにご注意を」
突然ですみませんが、私は兵庫県西宮市に暮らす、阪神甲子園球場というものです。 甲子園です、と言われても困る? そうですね、長年この場所で球児たちの汗や涙を吸ってきた「場」が、こざかしくも知恵を持ったものとお考えいただければと思います。少年たちの純な体液……いやいや闘志やフェアプレイ精神は、何よりの栄養分でありました。 今、はるばる東京に意識の触手を伸ばし、吉田さんという漫画家をあやつってこ…
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第十九回 「だめだ信号無視! 吉原残照」
前回・前々回は、書いた覚えがまったくないのに更新だけはされているようで、ホッとしつつも不思議な気分だ。 眠っている間にこびとが靴を作ってくれるグリム童話『小人と靴屋』は、ほとんどの漫画家が(納期のある仕事の人が)心の底から 「あのこびとさんがいてくれたらなあ!」 と思ったこと数知れず、というお話だと思うのだが、その奇跡がたてつづけに2度も私の身に起こったということだろうか。 まあいい。 …
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第十八回 「よせる男、その道具」
私は吉田の仕事場の箸だ。 前回吉田にかわって餅が書いてたでしょう? あれを読んで悔しく思い、睡眠中の吉田に憑依してパソコンに向かっているところなのだ。 私も自己主張したい。あるじへの不満をぶちまけたい。 そう思った。 吉田に買われてからもう5年あまり。それぐらい経てば、箸だって日本語ぐらい使えるようになるのである。 餅などに負けはしない。 餅をはじめ、あらゆる食べ物にとって、私はあ…
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第十七回 「餅として、糯として」
私は餅である。 今回は、連日の新年会でダウン中の吉田にかわり、私自身が「私とは何か」を考えてみることにしたい。 「モチ」という、もっちりした体質をみごとに表した訓読みで読まれる私だが、音読みでは「ヘイ」となる。 このアメリカンな音読みを私は気にいっている。 「ヘイ、そこの彼女、踊りに行かない?」などという雰囲気があり、餅ゆえになんとなく例えが古くさいのはお許しいただきたいが、気にいっているの…
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