
日本語ハラゴナシ
概要
アーサーさんが23人の太平洋戦争体験者たちを訪ね歩き、戦争の実態と、個人が争いから ”生き延びる知恵”を探ります。
プロフィール

アーサー・ビナード(Arthur Binard)
詩人。1967年、アメリカ・ミシガン州生まれ。ニューヨーク州のコルゲート大学で英文学を学び、1990年の卒業と同時に来日、日本語での詩作を始める。 詩集『釣り上げては』(思潮社)で中原中也賞、『日本語ぽこりぽこり』(小学館)で講談社エッセイ賞、『ここが家だ── ベン・シャーンの第五福竜丸』(集英社)で日本絵本賞を受賞。また、2017年には早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞を受賞。 エッセイ集に『亜米利加ニモ負ケズ』(日本経済新聞出版社)、『アーサーの言の葉食堂』(アルク)、絵本に『さがしています』(童心社)、『ドームがたり』(玉川大学出版部)、翻訳絵本に『どうして どうして?』(小学館)、『はじまりの日』(岩崎書店)、『みんなみんないただきます』(ビーエル出版)、『なずず このっぺ?』(フレーベル館)、ほか多数。 文化放送「アーサー・ビナード 午後の三枚おろし」(月~金、17時30分過ぎからOA)にも出演。
コラム記事一覧
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第10回 みなまでいわなかった「さいたさいた」
「サイタ サイタ サクラ ガ サイタ」という日本語を目にすると、どんなイメージが浮かぶだろうか。ぽかぽかした春の日の散歩? にぎやかな花見の宴? 子どもたちの声がこだまするメルヘンといった感じ? ぼく自身はといえば「サイタ サイタ サクラ ガ サイタ」ときたら、すぐ思い浮かぶのは『サクラ読本』と呼ばれた戦前の教科書だ。昭和8年に発行され、翌年から尋常小学校で使われ、正式名称が『小学国語読本』で…
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第 9回 燃えない「燃料」の二酸化炭素はどこへ?
人間は太古の昔から、なにやかや燃やしながら暮らしてきた。暖を取ったり煮炊きをしたり焼き畑やったりして、それが霊長目ヒト科のぼくらを定義づける特徴だ。 薪を燃やし枯れ草を燃やし、牛糞も乾燥させて燃やし、また泥炭や石炭やコークス、鯨油、石油、さまざまなアルコール類も、大切な火のもとを提供してくれる。英語ではそれらをfuelと呼び、日本語なら「燃料」という総称になる。 ところが20世紀中葉に、言葉の…
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第 8回 変わった言葉
池袋駅の西口から、行きつけの豆腐屋へ歩いていく途中に、居酒屋だのバーだの、ラブホテルだの風俗店のあれだのこれだのが軒を並べる歓楽街がある。ふだん、ぼくは自転車で動いているので駅を経由しないし、ラブホにも風俗店にも用がないので、街のその一角をあまり通らなかった。が、数年前から木曜日早朝のラジオ番組に出演するようになり、放送が終われば山手線に乗って池袋へ戻り、しぼりたての豆乳を買いに豆腐屋に寄る。そ…
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第 7回 マイボイコット宣言
ワシントンDCのど真ん中に巨大なドームがのっかっている建物がある。その中に政治家たちが集まってごちゃごちゃと議論をする。それを Congress という。 アメリカの「国会」を、こんな具合に幼いぼくが認識し始めたのはニクソン政権のころ。ウォーターゲート事件のスキャンダルが渦巻き、連邦議会議事堂で公聴会が開かれたりしていた。ちょうど同じ時期に、独立戦争を題材にした児童書を読んで、大西洋の向こうのイ…
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第 6回 ようこそ「おたご」の国へ!
タイに行ったら、きっとトゥクトゥクに乗ってバンコクの街を回るだろうと、ぼくは想像していた。むかしマドラスに住んでいたとき、よくオート・リクシャーの世話になったが、トゥクトゥクも同じ三輪タクシーだ。通常のタクシーより料金が安く、そのかわり乗客は二人しか乗れない。でも今度は、妻との二人旅なのでちょうどいい。日本で出会うチャンスはまずないし、遊園地のゴーカートみたいな楽しさがある。ただ、しっかり交渉し…
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第 5回 とばっちり大漁
新幹線からの眺めは、どうもいまいち、心に沁み込んでこない。 びゅーんびゅーん飛ばしていくので、美しい景色が眼前に広がっても、本当に観たという実感がわくより前に、次の景色へ移ってしまっている。ただし富士山はちょっと例外で、静岡県に入ると車窓からはみ出んばかりのあの雄姿が現れ、時速何百キロで走っていようと、相手は微動だにしない。でも、もし新幹線から眺めただけで「富士山を観た」といったら、富士山に対…
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第 4回 「発見」の定義
新千歳空港の到着ゲートから全力疾走して、千歳線の電車に飛び乗り、新札幌駅からはバスに乗り換えた。目ざしたのは野幌(のっぽろ)森林公園、その中の「北海道開拓記念館」と、野外ミュージアム「北海道開拓の村」。しかしもう昼すぎだ。ちらつく粉雪を車窓から眺め、自分の足もとも見ておやッ、東京のいつものぺらぺらの革靴をそのまま履いてきたことに気づいた。結局「村」をあきらめ、「記念館」のみのコースを選んだ。 …
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第 3回 腹の未知との遭遇
テレビの仕事でときどき世話になっているディレクターと、喫茶店で打ち合わせをしていた。次に作る番組の題材を大まかに決め、さて撮影はいつにしようかとスケジュールに話が及んだら、彼は急に声を低めてこう告げてきた。「今回は、撮影を直接担当できない可能性があって……実は、あさってから入院して、手術を受けることに……」 こっちより年下だというのに。いたって元気に見えるのに。いや、見えるだけじゃなくて現に元…
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第 2回 一面のカラシ菜、カラシ菜の一面
そもそもカラシ菜に対して、ぼくはなんの不満も恨みもなかった。その黄色い花が利根川の土手一面に咲いたら、きっとのどかでいい景色だろうと思っていた。が、それでは困ると、群馬の酪農家たちはいう。 正確には、群馬県太田市の東毛酪農業協同組合の関係者が、いうのだ。わが家は何年も前から、東毛酪農の「みんなの牛乳」を愛飲していて、あまりにおいしいので、生産者のことまで知りたくなった。以前、池袋の販売店主から…
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第 1回 オトコの道、キクイモの旅路
英語のことわざや言い伝えに出てくるmanは、多くの場合、「人間」を意味している。代表者として男を立て、 女性も含めてみんなmanと呼ぶわけだ。男尊女卑社会の言語的遺物で、ずるい表現ではあるが、 ただ、その単音節の短さがひどく魅力的。たとえば、代わりにhumankindかhuman beingsかpeopleでも使おうとすると、 せっかくギュッとしまっていたことわざが間延びして、 理屈っぽくなって…
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