第5回 ゴキブリで学ぶネット検索
692冊の本をいっぺんに「串刺し」!?
書斎にいながら世界中の書庫を調べ歩ける
さてそこで、熊楠先生が引用している件のページ、「155ページ」を見たところ、あれま、全然違うことが書いてあるじゃないの。おかしい……。そこで、このウェブでこの本を表示したあと、「Search in this text」で熊楠引用のページを検索してみることにした。
ダウンロードしたPDFでは本文のキーワード検索はできなかったが、ウェブ上で表示すると検索可能なのだ。
熊楠先生の日本語訳をもとに、いくつかの英語のキーワードを考えて検索したところ、おお、出ましたねぇ、ぴったり熊楠先生が引用しているページが。それは、「155ページ」ではなく「255」ページだったのです。
熊楠先生ですら、引用で間違うことがあるんだと知って、ちょっとホッとしましたです(私も、つい、そういうミスをしちゃいますから)。
それにしても、引用文献をきちんと記し、かつ、ページ数まで入れてあるなんて、何と熊楠先生のエライこと!(できれば原書のオリジナル言語表記をしてほしかったが)。貴重な文献を適当に引用して出典を明らかにしない記事が多い昨今、これには敬服のいたりです。
ちなみに私が『十二支考』のゴキブリに至ったのは、「ゴキブリ=油虫」と置き換えて検索した結果だったのだが、ちょっと不安が。果たして熊楠先生が『露国民謡』で「油虫」と書いているのは「ゴキブリ」のことなのだろうか?
『The songs of the Russian people』の255ページを見たところ、「cockroach」ではなく、件の虫を「tarakan」と記してある。ありゃ、ひょっとしてこの「油虫」は「ゴキブリ」ではなかった?
これを確かめるため、ここでGoogleのオンライン「翻訳サービス」を使います。
Googleの翻訳サービスでは、じつに90以上の言語の相互翻訳が無料で利用可能。しかも、読めない言語のホームページの日本語化もできるのです。翻訳したい単語を入力する囲みに、読めない言語のホームページのアドレスをコピー&ペーストすると、そのホームページの全文が日本語など指定した言語で表示されるのだ(変な日本語にはなるが、ま、目安としてはまずまず)。
もっとも単なる多言語辞書として使うには、訳語が1つしか出てこないなど何とも貧弱きわまりなく「ダメだ、こりゃ」と思うことがしばしばだが、シンハラ語だのバスク語だのマルタ語など、辞書の入手が不可能な言語では助かります。ある単語や文章が何語かわからなくても、「言語を検出する」をクリックすると自動判別してくれるのもありがたい。
そこで「tarakan」は「ゴキブリ」かどうかを確かめるため入力。「言語を検出する」でクリックしたところ「ジャワ語・自動検出」と出て、日本語訳は「タラカン」。わけがわからない。ロシア語なのにインドネシア語が出てきたのは明らかな誤りだろう。ここから先は、コツが必要なのだ。「tarakan」の翻訳ではこう考えてやってみた。
まず、これは英語の本だが「ロシアの話」なので英語の「tarakan」を「ロシア語」に翻訳指定してみた。やってみたところ「Таракан」と出た。私はロシア語は全然ダメなのでこれ、どう読めばいいのかもわからない。ゴキブリかどうかも。
そこで、「Таракан」をコピーし、左の翻訳したい語の側にペーストし、「ロシア語→日本語」と翻訳指定してみた。結果は……「ゴキブリ」。
やったぁ! 熊楠先生が「油虫」と翻訳したのは「ゴキブリ」で間違いありませんでした。
「調べもの」というのは、こうやって興味にまかせて膨大かつ巨大な世界の人類が蓄積して「知」の山から、望む宝物を探し出すことなので、何とも楽しい。しかもネット時代ゆえ、ロンドンだろうがニューヨークだろうがサンクトペテルブルグだろうが、書斎にいながらにして世界中の書庫を調べ歩けるのだから、何ともすばらしいです。いい時代になりましたよね。
「Wikipedia」の問題点、ふたたび
ちなみに「Wikipedia」で「ゴキブリ」を検索してみたところ、
世界に生息するゴキブリの総数は1兆4853億匹ともいわれており、日本には236億匹(世界の1.58%)が生息するものと推定されている[1]。
なんていう記述があった。
お尻についている ”[1]” は出典を意味するのでそれを見ると、
a b c d e f 安富和男 2000.
とあり、6か所もの記述が安富和男さんの文献著書からの引用らしいことがわかった。つまり、この「ゴキブリ」の項目はゴキブリの研究者が書いたものではないようだ。
それを物語るかのように「参考文献」には、こう記してあった。
参考文献[編集]
安富和男「ゴキブリ3億年の来し方,行く末(創立20周年記念号)」、『家屋害虫』第21巻第2号、日本家屋害虫学会、2000年1月30日、 63-67頁、 NAID 110007724177。
出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明示してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2012年3月)
あれまぁ、「この記述じゃダメよ」と警告を受けているのだ。
しかも、このページの冒頭にも囲みでこう記してあった。
この記事の内容の信頼性について検証が求められています。
確認のための文献や情報源をご存じの方はご提示ください。出典を明記し、記事の信頼性を高めるためにご協力をお願いします。議論はノートを参照してください。(2010年8月)
この「ゴキブリ」の記述全体の信頼性に疑問が投げつけられているのだ。
指摘されている「議論」の「ノート」を「参照」してみてびっくり、「炎上」してました。「議論するように」という表示がされてからすでに5年。膨大な意見のやりとりの「ノート」を読んでみたが、まったくもって収束していない印象です。
「Wikipedia」は多くの人たちが共同して作りあげていく「進化する百科事典」ではあるが、「信頼性」が確定しないままという項目が多いのだろう。これが「Wikipedia」なんだなぁとしみじみ(私は「Wikipedia」の成長を願って寄付もしているんですが)。
引用されていた安富和男著の「ゴキブリ3億年の来し方, 行く末」(「家屋害虫」Vol.21、No.2、2000年1月)の論文のオリジナルは「学術論文」のデータベースですぐに見つかった。
「本稿は本学会の20周年記念大会 (1999年11月26日)で講演した」とあり、著者は日本昆虫学会名誉会員。しかし、この論文には「世界に生息するゴキブリの総数は1兆4853億匹ともいわれており、日本には236億匹」という記述はなかった。
試みにネット上で、
“世界に生息するゴキブリの総数は1兆4853億匹ともいわれており、日本には236億匹”
で検索してみたところ、280件もがヒット。そのいずれもが、「信頼性について検証が求められている」この「Wikipedia」からのまるまる引用だった。
世界に生息するゴキブリの総数は1兆4853億匹ともいわれており、日本には236億匹
の引用元がどこなのか安富和男さんの著書『ゴキブリ3億年のひみつ―台所にいる「生きた化石」』(講談社・ブルーバックス、1993年刊)を入手し読んでみたが、この記述ではやはりなかった。安富さんは一般向けのゴキブリや昆虫の本を多く出版している。今、それらを全て注文したので引用元を探してみるつもりだ。
ネットでは、ちょっと面白そうな記述があると出典を確めもせずにブログやホームぺージにどんどんコピペされ、拡大していく宿命にある。その記述が、信頼性について検証が求められていようがいまいが、関係なく。これは、怖い。
かつて私は、父から、
「オリジナルに当たれ! 孫引きはするな!」
と繰り返し言われたことを思い出す。
まご‐びき 【孫引】
ある文句を引用するとき、原典・原文を調べないで、他の本に引用してあるものをそのまま用いること。(日本国語大辞典・小学館)
安富さんの、『ゴキブリ3億年のひみつ―台所にいる「生きた化石」』を読んだが、ゴキブリに限らず昆虫の進化にも詳しく、とてもダイナミックで素晴らしい内容で感動しました。さすが日本最大の新書版科学書シリーズ「ブルーバックス」ならではです。安富さんは、「ブルーバックス」で『すごい虫のゆかいな戦略』、『へんな虫はすごい虫』も出版しており、『ゴキブリのはなし』(技報堂出版刊、1991年刊)などしっかりしたゴキブリの本も書いている。もっとも今年91歳と御高齢なので、現在の「Wikipedia」の記述はすべて削除した上で、安富さんのお弟子さんにきちんと書いてもらうべきでしょう(という編集者がいないところが「Wikipedia」の弱点だが)。
ゴキブリを通じてネット情報の検証と使い方を述べてきたが、という点で、「ゴキブリ」は役に立ちました。
<第5回了>