第5回 ゴキブリで学ぶネット検索

2015年5月4日 山根一眞

692冊の本をいっぺんに「串刺し」!?

 前回、110年前のドイツの百科事典『Meyers Großes Konversations-Lexikon 1905』(メーヤーズ百科事典第6版、全20巻)のたった1点の図と格闘を続けたことを書いたが、どうしても謎が解けず、その百科事典をパタンと閉じたとろ、ぼろぼろの背表紙から小さなクモが飛び出してきた。
 「おっ、クモだ」と私はすかさず捕獲して小さなシャーレーに入れまじまじと眺めたのだが、それを見たスタッフからは「あ、いや、クモなんか」という声が出ました。
 「クモが嫌い」
 「ゴキブリにはゾッとする」
 「ネズミが嫌い」
 「ヘビは見るのもダメ」
 「毛虫なんて大嫌い」
 などなど、人は特定の生物が嫌いだ。
 たまには犬や猫が嫌いという人もいるが、ヘビやゴキブリほどではない。なぜ、生物の種によって人に好き嫌いがあるのかはちょっと不思議。
 たとえばゴキブリ(写真も見たくないという方も多いと思うので、以下、写真も図も入れてませんので安心して読み進めて下さい)
 あの素早い動き、テラテラとした体の艶、夜、人が口に入れる食物にとりつく、とりわけ台所に多くひそむ、ゴミや汚れが溜まった場所に棲息していることなどから嫌われるようになったのだろう。人が生命を維持するために欠かせない食べものを知らぬうちに漁ることが大きな理由かも。
 伝染病を媒介するとも言われるが、感染症の元となる細菌はまな板や台所のスポンジなどにもごっそりと生棲しているので、ゴキブリだけが病気の元ということはない。
 ゴキブリが嫌われものであるのは日本に限ったものではない。伝説的博物学者、南方熊楠(みなかた・くまぐす)著『十二支考3』(東洋文庫、平凡社)の「鼠に関する民俗と信念」の章に、ゴキブリ(=油虫)の駆除方法について面白い記述がある。
 オンラインの辞書・事典サイト「ジャパンナレッジ」では東洋文庫の692タイトルが収載されていて、それらを串刺しでキーワード検索できるのだ。つまり、全692タイトルの全冊があたかも1冊の本のように望むキーワードで「検索」できるのです(こんな「検索」が可能になったとは涙が出るほど嬉しい)。そこで「油虫」で検索してみたところ『十二支考3』の記述が見つかったのだ。
南方熊楠著『十二支考3』(東洋文庫、平凡社)のゴキブリ(油虫)に関する記述。
 露国で、フィリップ尊者忌の夜、珍な行事あり。油虫を駆除するために、その一疋(匹)を糸で括り、家内一同だんまりで戸より引き出すうち、家中の一婦、髪を乱して窓に立ち、その虫が閾(しきい)近くなった時、今夜断食の前に何をたべると問うと、一人牛肉と答え、油虫は何をたべると問うと、油虫は油虫をたべると答う。まじめにこの式を行なえば油虫また生ぜすという。
 ゴキブリ駆除がロシアでも切実な課題だったことを物語る記述だが、後半はこう続いている。
 旧信者は、こんな式で虫を駆除するはよろしからず、かかる虫も天から福をもたらすから家に留むるがよいと考える。
 ゴキブリのような虫であっても「天から福をもたらす」というのはなかなかの洞察ではある。生物多様性という生物世界の思想がやっと定着してきた。その思想を先取りするかのような記述だ。「生物多様性」とは、地球上のあらゆる生物はおたがい何らかの関連を持っているという考え方だ。地球上の生物は、大事な役割をそれぞれが持ち、おたがいの生命を支えあっている・・・・・・。
 にもかかわらず地球生命体の一つであるゴキブリが嫌われるのは、人の食物=人の生命維持=それを夜中にかじり汚す=人の生命維持をおびやかすもの、と受けとられてきたためだろう。
 天才博物学者、南方熊楠はホントに凄い人で、私は1990年代にNHKの番組ロケで訪ね、生前そのままのかたちで残っていた書庫を、自由に見せていただいたことがある。和書、洋書がぎっしりだったが、そのどの本を引き出してもペンによる線が引いてあった。ここにある全ての蔵書を徹底して読み込んだのだと知り感服。瓶などに保存した動物やら貝、植物の標本などの数も膨大、まさにこれぞ博物学者だと身震いした。
24年前の1991年7月23日、著者が3年にわたりキャスターをしていたNHKの番組「ミッドナイトジャーナル」で放送した「超人・南方熊楠のすべて」の一部。書庫には和洋書のほか動植物鉱物の標本もたくさん残っていた。右下・長女の南方文枝さんにじっくりと熊楠の仕事ぶりを聞いた。
 私の書斎も本や書類だけでなく、アマゾンの大蛇の皮や巨大グモのタランチュラ、インディオの毒吹矢セット、貞観津波の砂、エジソン蓄音機、戦時中の気球爆弾の係留計測器、「しんかい6500」に搭乗し深海底で採集してきた希少生物類、火星や月から飛来した隕石、ドイツで発見された始祖鳥のファーストレプリカなどなどぐっちゃぐちゃ。妻に苦い顔をされ続けてきたのだが、自分は博物学者でもないのに南方熊楠先生の書庫を見て、「これでよいのだ!」と納得してしまったのでした。
 熊楠先生が『十二支考』で書いたゴキブリの話は、ラルストン著『露国民謡』(1872年、155ページ)の引用だとちゃんと記してあった(エライ!)。と、なると、その原本を確かめたくなるのが性分です。さっそく、その本の検索をしたのだが、あれ? 出てこない。国立国会図書館の検索でも出ない。
 そうか、これは翻訳した和書はなく、引用は原書からに違いない。では、その英文書名は何だろうか? まずは、著者「ラルストン」という名のスペリングを知りたい。
 国立国会図書館の検索で著者名「ラルストン」を検索したところ55件がヒット。その大半はまったく関係のない翻訳書だが、各項目の詳細を見ると著者の英語での綴りがちゃんと記載されていた(これもエライ!)。そして、55件のいずれも「ラルストン」を「Ralston」と書いていることがわかった。よしよし。
 続いて「露国民謡」だが「Russian folk song」かなと思い、
 Ralston Russian folk song
 と、「Google」で検索をしてみた。
 検索語は正しくなかったが、以下の項目が出た。
 「The songs of the Russian people, as illustrative of Slavonic mythology and Russian social life. By W. R. S. Ralston」
 出版年が1872年とある。これだ、間違いない!
 こうやって調べものがヒットすると、つい、ニヤリとしてしまいます。このサイトは、多くの図書館と連携して古い書籍のデジタル化の公開をしている「ハーティトラスト」という組織のページで、探していた本の全文がPDFでダウンロードできるのだ(嬉しい!)。
ウェブ上ではデジタル化された書籍『The songs of the Russian people』がいくつも見つかった。これは、http://www.hathitrust.org。
 デジタル化して公開されていたのは2冊で、1冊はハーバード大学、もう1冊はバージニア大学の蔵書(いずれも同じ本)。このサイトのように閲覧だけでなく、全文あるいは指定ページのみのダウンロードが可能なサイトが増えている。すでに著作権が切れているこういう古い本だからこそ可能で、違法ではない。いずれも、Googleによる「全世界の本をデジタル化する」というプロジェクトとかかわりがあるようだ。

書斎にいながら世界中の書庫を調べ歩ける

さてそこで、熊楠先生が引用している件のページ、「155ページ」を見たところ、あれま、全然違うことが書いてあるじゃないの。おかしい……。そこで、このウェブでこの本を表示したあと、「Search in this text」で熊楠引用のページを検索してみることにした。

検索語には何がよいかが問題だったがこの一文だけしかなさそうな語として「牛肉」を選び「beef」で検索したところ見事ヒット。

ダウンロードしたPDFでは本文のキーワード検索はできなかったが、ウェブ上で表示すると検索可能なのだ。
熊楠先生の日本語訳をもとに、いくつかの英語のキーワードを考えて検索したところ、おお、出ましたねぇ、ぴったり熊楠先生が引用しているページが。それは、「155ページ」ではなく「255」ページだったのです。

『The songs of the Russian people』の扉ページとゴキブリについて記述がある255ページ。

熊楠先生ですら、引用で間違うことがあるんだと知って、ちょっとホッとしましたです(私も、つい、そういうミスをしちゃいますから)。
それにしても、引用文献をきちんと記し、かつ、ページ数まで入れてあるなんて、何と熊楠先生のエライこと!(できれば原書のオリジナル言語表記をしてほしかったが)。貴重な文献を適当に引用して出典を明らかにしない記事が多い昨今、これには敬服のいたりです。
ちなみに私が『十二支考』のゴキブリに至ったのは、「ゴキブリ=油虫」と置き換えて検索した結果だったのだが、ちょっと不安が。果たして熊楠先生が『露国民謡』で「油虫」と書いているのは「ゴキブリ」のことなのだろうか?
『The songs of the Russian people』の255ページを見たところ、「cockroach」ではなく、件の虫を「tarakan」と記してある。ありゃ、ひょっとしてこの「油虫」は「ゴキブリ」ではなかった?
これを確かめるため、ここでGoogleのオンライン「翻訳サービス」を使います。
Googleの翻訳サービスでは、じつに90以上の言語の相互翻訳が無料で利用可能。しかも、読めない言語のホームページの日本語化もできるのです。翻訳したい単語を入力する囲みに、読めない言語のホームページのアドレスをコピー&ペーストすると、そのホームページの全文が日本語など指定した言語で表示されるのだ(変な日本語にはなるが、ま、目安としてはまずまず)。

『The songs of the Russian people』の扉ページとゴキブリについて記述がある255ページ。

もっとも単なる多言語辞書として使うには、訳語が1つしか出てこないなど何とも貧弱きわまりなく「ダメだ、こりゃ」と思うことがしばしばだが、シンハラ語だのバスク語だのマルタ語など、辞書の入手が不可能な言語では助かります。ある単語や文章が何語かわからなくても、「言語を検出する」をクリックすると自動判別してくれるのもありがたい。
そこで「tarakan」は「ゴキブリ」かどうかを確かめるため入力。「言語を検出する」でクリックしたところ「ジャワ語・自動検出」と出て、日本語訳は「タラカン」。わけがわからない。ロシア語なのにインドネシア語が出てきたのは明らかな誤りだろう。ここから先は、コツが必要なのだ。「tarakan」の翻訳ではこう考えてやってみた。
まず、これは英語の本だが「ロシアの話」なので英語の「tarakan」を「ロシア語」に翻訳指定してみた。やってみたところ「Таракан」と出た。私はロシア語は全然ダメなのでこれ、どう読めばいいのかもわからない。ゴキブリかどうかも。
そこで、「Таракан」をコピーし、左の翻訳したい語の側にペーストし、「ロシア語→日本語」と翻訳指定してみた。結果は……「ゴキブリ」。
やったぁ! 熊楠先生が「油虫」と翻訳したのは「ゴキブリ」で間違いありませんでした。
「調べもの」というのは、こうやって興味にまかせて膨大かつ巨大な世界の人類が蓄積して「知」の山から、望む宝物を探し出すことなので、何とも楽しい。しかもネット時代ゆえ、ロンドンだろうがニューヨークだろうがサンクトペテルブルグだろうが、書斎にいながらにして世界中の書庫を調べ歩けるのだから、何ともすばらしいです。いい時代になりましたよね。

「Wikipedia」の問題点、ふたたび

ちなみに「Wikipedia」で「ゴキブリ」を検索してみたところ、
世界に生息するゴキブリの総数は1兆4853億匹ともいわれており、日本には236億匹(世界の1.58%)が生息するものと推定されている[1]。
なんていう記述があった。
お尻についている ”[1]” は出典を意味するのでそれを見ると、
a b c d e f 安富和男 2000.
とあり、6か所もの記述が安富和男さんの文献著書からの引用らしいことがわかった。つまり、この「ゴキブリ」の項目はゴキブリの研究者が書いたものではないようだ。
それを物語るかのように「参考文献」には、こう記してあった。
参考文献[編集]
安富和男「ゴキブリ3億年の来し方,行く末(創立20周年記念号)」、『家屋害虫』第21巻第2号、日本家屋害虫学会、2000年1月30日、 63-67頁、 NAID 110007724177。
出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明示してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2012年3月)

あれまぁ、「この記述じゃダメよ」と警告を受けているのだ。
しかも、このページの冒頭にも囲みでこう記してあった。
この記事の内容の信頼性について検証が求められています。
確認のための文献や情報源をご存じの方はご提示ください。出典を明記し、記事の信頼性を高めるためにご協力をお願いします。議論はノートを参照してください。(2010年8月)

この「ゴキブリ」の記述全体の信頼性に疑問が投げつけられているのだ。

「Wikipedia」の「ゴキブリ」の項目に記されている「信頼性」に対する検証と引用の出典を正確に記すよう求める忠告。こういう機能は「Wikipedia」に必須のものだ。こういう忠告入りの項目は安易な引用をすべきではない。

指摘されている「議論」の「ノート」を「参照」してみてびっくり、「炎上」してました。「議論するように」という表示がされてからすでに5年。膨大な意見のやりとりの「ノート」を読んでみたが、まったくもって収束していない印象です。
「Wikipedia」は多くの人たちが共同して作りあげていく「進化する百科事典」ではあるが、「信頼性」が確定しないままという項目が多いのだろう。これが「Wikipedia」なんだなぁとしみじみ(私は「Wikipedia」の成長を願って寄付もしているんですが)。
引用されていた安富和男著の「ゴキブリ3億年の来し方, 行く末」(「家屋害虫」Vol.21、No.2、2000年1月)の論文のオリジナルは「学術論文」のデータベースですぐに見つかった。
「本稿は本学会の20周年記念大会 (1999年11月26日)で講演した」とあり、著者は日本昆虫学会名誉会員。しかし、この論文には「世界に生息するゴキブリの総数は1兆4853億匹ともいわれており、日本には236億匹」という記述はなかった。
試みにネット上で、
“世界に生息するゴキブリの総数は1兆4853億匹ともいわれており、日本には236億匹”
で検索してみたところ、280件もがヒット。そのいずれもが、「信頼性について検証が求められている」この「Wikipedia」からのまるまる引用だった。
世界に生息するゴキブリの総数は1兆4853億匹ともいわれており、日本には236億匹
の引用元がどこなのか安富和男さんの著書『ゴキブリ3億年のひみつ―台所にいる「生きた化石」』(講談社・ブルーバックス、1993年刊)を入手し読んでみたが、この記述ではやはりなかった。安富さんは一般向けのゴキブリや昆虫の本を多く出版している。今、それらを全て注文したので引用元を探してみるつもりだ。
ネットでは、ちょっと面白そうな記述があると出典を確めもせずにブログやホームぺージにどんどんコピペされ、拡大していく宿命にある。その記述が、信頼性について検証が求められていようがいまいが、関係なく。これは、怖い。
かつて私は、父から、
「オリジナルに当たれ! 孫引きはするな!」
と繰り返し言われたことを思い出す。
まご‐びき 【孫引】
ある文句を引用するとき、原典・原文を調べないで、他の本に引用してあるものをそのまま用いること。(日本国語大辞典・小学館)

安富さんの、『ゴキブリ3億年のひみつ―台所にいる「生きた化石」』を読んだが、ゴキブリに限らず昆虫の進化にも詳しく、とてもダイナミックで素晴らしい内容で感動しました。さすが日本最大の新書版科学書シリーズ「ブルーバックス」ならではです。安富さんは、「ブルーバックス」で『すごい虫のゆかいな戦略』、『へんな虫はすごい虫』も出版しており、『ゴキブリのはなし』(技報堂出版刊、1991年刊)などしっかりしたゴキブリの本も書いている。もっとも今年91歳と御高齢なので、現在の「Wikipedia」の記述はすべて削除した上で、安富さんのお弟子さんにきちんと書いてもらうべきでしょう(という編集者がいないところが「Wikipedia」の弱点だが)。
ゴキブリを通じてネット情報の検証と使い方を述べてきたが、という点で、「ゴキブリ」は役に立ちました。
<第5回了>

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