第13回 「ミシガン」と「若狭」に耳を澄ます
ごまんとある北米大陸の地名の中で、ぼくにとっていちばんピンとくるのは、故郷の「ミシガン」だ。遠く離れて暮らしているからよけい感じるだろうが、アルファベットで書かれたMichiganが目に入れば、ミシガン湖の景色が思い浮かび、湖面をわたってくる風の匂いがよみがえる。ピンとくると同時に、どこかジワッともくるMichiganだ。
そもそもアルファベットとは無縁の、オジブワ族の言葉だった。「大いなる水」「どこまでも広がる湖」という意味で、湖畔に根ざした生活の中から生まれ、のちに招かれざる客としてヨーロッパからやってきた人間が、先住民の発音をMichiganと表記した。
耳を澄まして細かく点検すると、「ミ」からすっと入って、つづいて「シ」が柔らかく滑り、そして「ガン」と力強く広がる響きだ。説明ではなく音声で、理屈ではなく息づかいで、かすかな謎も含みつつ五大湖の大いなる光景の一片を表わしている。
Michiganにいちばん近い日本語は何か? 頭に「琵琶湖」がすぐ浮かんでくるけれど、同じ「どこまでも広がる湖」でも、ちょっとスケールが違う。ミシガン湖の最大水深の281mに対して、琵琶湖のそれは100mばかりだし、面積で比較するとミシガン湖は琵琶湖のなんと86倍を超える。ただ、そんな測量の数字を抜きに眺めれば、琵琶湖も立派な「大いなる水」。しかもそのネーミングも面白く、全体の形が琵琶に似ているところから「琵琶湖」となったそうだ。ただ、響きよりも意味のほうが前面に出ている点では、少し「ミシガン」の名とは仕組みが異なる。
琵琶湖の北側から、さらに北へ進んで山を越えれば「若狭」と呼ばれる土地に入る。十数年前、初めて福井県の海岸を巡ったとき、ぼくは「ひょっとして若狭はMichiganにもっとも近い日本かも」と妙にピンときた。もちろん、その地名が表わしている風景は違っているが、表現の魅力の仕組みは、かすかな謎も含め、ばっちりつながる気がする。
「わ」も「か」も「さ」もすべて「あ行」で、リズミカルな明るさをかもし出すと同時に、やや角が立つ音でもあり、それが若狭湾を囲む美しく切り立った岩の光景とマッチする。さらに漢字の「若」と「狭」と見事にバランスがとれて、前者が爽やかで後者は鋭くワイルドな雰囲気もあり、組み合わせることによって日本海の山と崖と入り江が織りなす景色と重なる。
一説によると、海の向こうからわたってきて根を張った朝鮮語の「ワカソ」が「若狭」の語源だという。それはそもそも「行き来」「往来」といった意味らしく、少し深読みをすれば、日本海を股にかけて交流する開放感も、「若狭」の奥にこだましているといえるか。
福井県の北部、越前のほうから南下して若狭に入る場合、とても長いトンネルを通って山脈をくぐることになる。川端康成の『雪国』の冒頭、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」と同じように、本当に境界線を越えた実感がわく。でも越前も若狭も、両方「雪国」の部類に入るので、鮮やかに対照的なのはそこではなく、景色の主役が変わるのだ。トンネルの手前の越前では、山が作り出す美しさに包まれるが、トンネルを抜けると今度は流れる水に出合う。川が注ぎこむ湾の澄んだ水と、その向こうにきらめく海面が、いつまでも目を楽しませてくれる。「国境の長いトンネルを抜けると水国であった」と、川端の名文を書き換えたくなる。
また、この半世紀の間にもうひとつ、大きな差異が中央政府の後押しによって作り出され、若狭のほうへわたると、それもすぐ目につく。敦賀原発一号炉と二号炉、美浜原発一号炉と二号炉と三号炉、大飯原発一号炉と二号炉と三号炉と四号炉、高浜原発一号炉と二号炉と三号炉と四号炉、おまけに高速増殖炉「もんじゅ」も海辺に鎮座している。「国境の長いトンネルを抜けるとプルトニウム国であった」というのも、若狭の実態だ。俗に「原発銀座」とも呼ばれ、その影響でいつしか、爽やかな「若」よりも鋭利でおっかなそうな「狭」の比重が、大きくなっている印象を受ける。
狭い海岸に、原子炉がぎしぎし並ぶ光景は異様だが、よく考えればぼくの故郷ミシガンも、同じくらい危うい状況にある。1942年、世界初の原子炉が核分裂の連鎖反応を起こしてプルトニウムを作ったのは、ミシガン湖のほとりにあるシカゴだった。以来、数多くの核関連施設がイリノイ州やミシガン州、オハイオ州にも立地され、国土面積に合わせて範囲を広げてみると、「アメリカ版原発銀座」がまさにミシガン湖周辺といえる。
力強く広がるMichiganの響きが、放射能汚染の広がりの象徴になってしまわないうちに、母国の原発を廃炉にしたいと思う。
「若狭」のおっかない狭さが、絶望のシンボルに変わる前に、日本の原発銀座も廃業させたいものだ。