日本語を母国語とする国に住んでいる我々だが、朝起きて窓をあけ
「さあ今日も日本語を使うぞ!」
と決意しながら始まる一日は、外国からの留学生でもなければ、ふつうないだろう。
そこをあえて「使う」ということにこだわってみることはできないか、というのが、この小文のもくろみである。
さあ使うぞ、日本語を。
先ほど閉店間際のスーパーに行ってきたのだが、そのような心がまえで買いものにのぞむと、いろいろ新鮮であることを発見した。
「どのレジで日本語を使ってやろうか・・・」などと考えながらレジの人を横目で見つつ、とりあえず売り場に向かう。深夜であり男性のレジ係もいるのだが「品定め」的な軽い興奮をともなう行為となった。
そして、日本語を使うのは人間に対してだけではないのである。
品物にも使えるのだ。
もちろん声に出すのははばかられるので、心の中でであるが、品物どころか形のないものにさえ使えるのが、日本語の奥深さだ。いや、たぶん他の国の言葉もそうでしょうけど。
小手調べとしてキュウリに使ってみることにした。明日の朝、パンのおかずにできないかと思い、目にとまったのである。
「・・・緑色ですね」
野菜に敬語。
さすがに初めてのことで緊張しているらしく、バカバカしさを感じながらもちょっと固くなっている。キュウリは何も答えてはくれなかったが、とりあえず買うことにした。