第13回 鳥と恐竜のミッシングリング(前編)

2016年4月13日 山根一眞

恐竜博物館フィーバー

 先回に引き続き、今回のテーマも恐竜です。
 といっても、恐竜そのものを論じるのではなく、調べて入手した文字資料がわかりにくい場合に、理解しやすくするための「調べもの」の極意、「文字資料の図解化」がテーマです。
 もっとも、とてもエキサイティングな恐竜の話題も楽しんでいただけると思います。
 この1~2年、恐竜人気はますます大きくなっている。それに拍車をかけているのが、世界有数の恐竜化石産出地であり熱い活動を続けている県立恐竜博物館を擁する恐竜王国・福井県だ。福井駅前の動く恐竜模型の展示や駅の外壁に描かれている恐竜アートも、福井を訪ねるたびにバージョンアップされていることに驚く。
福井駅外壁の3D風恐竜壁画。おじちゃんもおばちゃんも、当たり前のように通り過ぎていくところが福井です。(写真:山根一眞)
 この「飛び出す恐竜」は、動く原寸大の3体の恐竜オブジェに対面するJR福井駅の外壁に描かれているものだが、上方の壁もびっしりと恐竜ペイントなのです。こんな駅、日本では前例がない。
2016年の年明け早々に訪ねた福井駅にはさらなる恐竜壁画が……。
 この福井の恐竜は、いささか過熱気味でもある。
 2015年の夏休み中、福井県勝山市にある福井県立恐竜博物館の来館者は大変な混雑に見舞われたが、9月の連休中の20日(日曜日)にはさらにヒートアップ、1日の来館者数が2000年のオープン以来、最高の記録、2万人を突破したのだ。
2007年当時の福井県立恐竜博物館の内部。来場者はまだ少なく静かなたたずまいだったのだが……。
 2016年1月の月間来館者数は1月としては過去最高記録だったが、それでも「1ヶ月間」で3万3368人だ。昨年9月に、たった1日で2万人突破がいかに異常な事態だったかがわかる(クルマでの来場数は5000台近かったのでは?)。ちなみに2015年の入館者は過去最高の93万1422人を記録。
 勝山市はJR福井駅からクルマで40分ほどの静かな町だが、週末や祝日には恐竜博物館を目指すクルマの渋滞に見舞われるようになり、駐車場に入れるまでに数時間、ゲートでチケット購入し館内に入るまでに40分、なんていう日もあったらしい。地球史や古生物を学ぼうという子供、家族が増えるのは喜ばしいことだが、あまりもの混雑ではゆっくりと見て学ぶことができないだろう。よって訪ねる際には、事前に比較的空いている日程を調べることをおすすめします。
 ちなみに、福井県立恐竜博物館のウェブサイトのトップページには、以下のお知らせが出ている。近々公開のようで、これも楽しみです。
日本最大級の恐竜化石標本、ブラキオサウルス。

恐竜から鳥への「失われた鎖」

 さて、今回と次回のテーマである「文字資料の図解化」は、「恐竜から鳥へ」の講演の予稿記録が素材です。
 恐竜は今から6550万年前、直径10kmほどの小惑星の地球衝突による地球環境の激変で多くの生物とともに絶滅した。だが、ネズミのような小さな哺乳類は生き残り、恐竜という補食動物が消えたことで順調に進化し、私たち「ヒト」へとつながった。
1億2500万年前の初期の哺乳類。出典の「FPDM」は福井県立恐竜博物館(Fukui Prefectural Dinosaur Museum)の略、以下同。
 もっとも恐竜も100%が絶滅したわけではなく、恐竜から進化した動物が、今、地球の生物界で大きな存在になっている。
 約1万種といわれる鳥類だ。
 私たちは今も恐竜の子孫とともに生活しているのだ。
沖縄県・西表島で撮影した猛禽類のカンムリワシ。12年ぶりにこの写真を見て、「なるほど恐竜の面影が大」と実感。(2004年2月10日)
 では、「鳥が恐竜から進化した」というのはどういうことか?
 「鳥が恐竜から進化した」という話を初めて聞いたのは30年ほど前だったと思うが、当時はまだ研究が十分ではなく、恐竜と鳥をつなぐ部分はまだ「 失われた鎖(ミッシングリンク)」だった。

【失われた鎖(ミッシングリンク)】 
生物の進化・系統学において、異なった生物群の間の系統や類縁関係を示す証拠となる生物(多くはその化石)の存在が予測されるのに、それが発見されていない場合に、その欠落(間隙(かんげき))をさしていう。失われた環、ミッシングリンクmissing linkともいう。
 新しく発見された生物は、その系統的位置づけを得た時点で、それぞれに「失われた鎖」の発見であったともいえるが、(略)鳥類が爬虫(はちゅう)類(恐竜)に由来することを示す始祖鳥(アルケオプテリクス)は(略)「失われた鎖」の重要な発見例とされる。

(出典:『日本大百科全書(ニッポニカ)』http://japanknowledge.com/contents/nipponica/index.html )

 その「失われた鎖」が少しずつ、つながり始めたのは、羽毛をまとった恐竜や飛翔していた可能性のある恐竜の化石が続々と発見されるようになったからだ。「失われた鎖」をつなぐ研究が世界で熱心に続けられるようになり、福井県立恐竜博物館でもオープン以来その研究には大きな力をそそいできた。恐竜は過去の地質時代という遠い時代の物語ではなく、今の時代と深いかかわりがあるというのだから、わくわく感は膨らむ。
福井県立恐竜博物館では2000年にオープン以来、恐竜から鳥への進化を伝える模型が展示されている(初めてこの展示を見た時の感銘したことが忘れられない。(出典:2004年、福井恐竜博物館『展示解説書』)

北谷で大発見の「新種の恐竜」

 2016年2月26日の午後、東洋一特別館長から心待ちにしていた報せが届いた。
 
「おかげさまで漸く勝山5番目の恐竜の論文が出版されました。本日記者発表しました」
 2007年8月に勝山市の北谷で小型獣脚類の化石が発見され、その研究解析が続いていたのだが、やはり「新種の恐竜」だった!
 「フクイベナートル・パラドクサス」(Fukuivenator paradoxus)という学名も認められ、2月23日に英国の権威ある科学誌『Scientific Reports』(オンライン版)に発表されたのだ。
[論文のタイトルは『コエルロサウルス類のモザイク進化を際立たせる、日本の白亜紀前期から発見された奇妙な獣脚類』。著者は、東洋一(福井県立大学特任教授・福井県立恐竜博物館特別館長)、徐星(中国科学院古脊椎動物・古人類研究所教授)、柴田正輝(福井県立大学講師・福井県立恐竜博物館研究員)、河部壮一郎(岐阜県博物館学芸員)、宮田和周(福井県立大学准教授・福井県立恐竜博物館主任研究員)、今井拓哉(福井県立恐竜博物館古生物学研究職員)の6名]
「フクイベナートル・パラドクサス」という学名の意味だが、すぐラテン語辞書で調べたところ、「ベナートル」は「猟師」、「パラドクサス」は「逆説」だが、福井県立恐竜博物館は「狩人」という日本語を使い、福井産の「逆説の狩人」にしたという。なかなか味のある命名です。「逆説」は、この時代の恐竜としては、肉食から草食への移行段階の種であることなども含め、いくつかの意外な特徴を持っていることからつけられたようだ。
 この小型獣脚類の化石は、勝山市北谷の白亜紀前期(約1億2000万年前の地層、手取層群赤岩亜層群北谷層)で発見されたが、恐竜の進化系統図の空白部分の一部を埋めるものという意義がきわめて大きい。「フクイベナートル・パラドクサス」は「羽毛恐竜」であり、恐竜から鳥への進化の中間に位置する存在として、明らかにされていなかった部分が多い進化の線路の一部がつながった点が超凄いのだ。
 鳥への進化を物語るとされる「羽毛恐竜」の化石はきわめて希少なもので、産地も限られていた。私は、そんな恐竜化石が日本で発見されるはずなどないと思いつつ、勝山市の恐竜化石産地「北谷」を訪ねたのは8年半前の2007年8月4日のことだった。当時「北谷」は非公開で立入禁止だったが(現在は「屋外恐竜博物館」として予約見学が可能)博物館の研究者に案内していただき、採掘現場の隅っこで、持参した愛用の岩石用ハンマーを振り下ろしたりしたのだが……(当然ながら簡単には見つかりませんです)。

勝山市の北谷が日本最大の恐竜化石産地になったのは福井県が重機を用いる大規模な作業を計画的に続けているからだ。8年半前の訪問時の写真。

写真は2007~2010年に行われた第三次恐竜化石発掘調査だが3000点を超える標本を発見。後に「フクイティタン・ニッポネンシス」と学名がつけられた竜脚類の骨格化石もこの時に得ている。同じ場所で2015年夏に始まった第四次恐竜化石発掘調査は2016年度まで。

北谷での古生物の化石採集が夏に行われるのは、全国から集まる大学生や大学院生が作業に参加できる夏休み中の期間に合わせるためだ。

 ところがその18日後、とんでもない大発見があったのだ。
 日本初となる「羽毛恐竜」と「思われる」化石が出たのだ。これには、びっくりした。
 もっとも化石となった骨は岩石の中にあるため、その骨などを取り出すためには、慎重で時間をかけたクリーニング作業が必要だ。やっとその恐竜化石の全貌が披露されたのは、発見から2年7ヶ月が過ぎた2009年3月18日だった。
「羽毛恐竜」である可能性が濃い
 その記者発表の会見場に駆けつけたが、新聞やテレビの報道陣にまじり10人の勝山市の小学生記者たちも混じる熱気あふれるものだった(博物館通い50回という学習経験ゆえか小学生記者の質問が一番よかった)。

2009年3月18日、福井県立恐竜博物館での小型獣脚類の全身骨格についての記者発表。

2009年3月18日、福井県立恐竜博物館で公開された小型獣脚類の骨格化石。(撮影:山根一眞)

 東洋一副館長(現・特別館長)は、推定体長1.7 m(後に2.3mと判明)というこの小さな恐竜についてこう語っていた。
 「2足歩行の肉食恐竜、小型獣脚類の新種であることは間違いなく、羽毛恐竜と考えられます」
 羽毛恐竜とすれば、福井県立恐竜博物館始まって以来の大発見となる。
 白亜紀の前期、地球の気温は徐々に低下していたため、恐竜は保温のために体を羽毛で覆う進化を始めていたとされる。その羽毛のおかげで地上走行中に若干の浮力をもつようになり、やがてムササビのように滑空し、さらなる羽毛の進化によって原始的な鳥へと進化したと考えられている。
 恐竜から鳥への進化は、
 「恐竜→羽毛恐竜→原始的な鳥である始祖鳥→現在の鳥」
 という道をたどったと考えられてきたが、「羽毛恐竜→始祖鳥」の部分の「ミッシングリンク」はまだ十分には解明されていない。そのため、福井で発見された羽毛恐竜と思われる小型獣脚類の発見は、「恐竜→鳥」の進化史の解明に一石を投じる重要な発見になるかもしれないと期待された。
 またこの化石では、かつて例がないほどほぼ完全なかたちで脳をおさめる脳函と呼ぶ骨が残されていた。東洋一さんは、「この脳函をCTスキャナーで詳しく調べることによって、この恐竜の脳のどの部分が進化していたかを調べたい」と、話していた。
 鳥は、飛翔するために視覚中枢の肥大化や内耳の蝸牛管が発達しているそうだが、それと同じことが見いだせれば「飛ぶ能力」を持っていたことが立証できるだろう、と。

恐竜脳の精密構造が明らかに

じつは、昨年、2015年6月、福井県立恐竜博物館を訪ねた際、東特別館長は「山根さん、大きな成果があったんですよ」と語っていたのだ。

熱い口調で「成果」の片鱗を語ってくれた東洋一特別館長。

それは、6年前、2009年3月の公開の際に見た、あの小型獣脚類(2007年に発見)の「脳函」のCTスキャナーによる解析データだという。あの恐竜化石、まだ研究が続けられていたのかと驚いたが、東さんは、「学会誌発表前なので、これ以上は……」と、詳細は明かしてくれなかった。それが、いやはや、福井県産では5番目の新種恐竜として、「恐竜→鳥」の進化解明に大きな貢献をする存在としてデビューすることになったのだ。

羽毛恐竜の進化を解く鍵が潜んでいると期待される小型獣脚類の「脳函」部分の化石。(撮影・山根一眞)

福井県立恐竜博物館に導入された小型のCTスキャナー。人体用では詳細な画像が得られないため、撮影範囲は小さいがこの工業用の精密CTスキャナーを使い解析が進められた。(撮影・山根一眞)

福井県立恐竜博物館の発表資料には、「フクイベナートル」についてこう記してあった。
鳥類と非鳥類型恐竜の中間の形態をした内耳を持つ。
復元された内耳形態も原始的な特徴と派生的な特徴を表している。三半規管は非鳥類獣脚類恐竜のものと同等の平衡感覚を示す一方、蝸牛からは現生鳥類に匹敵する聴力を有していたことがうかがえる。

ビルの10階建てにも届く巨大な恐竜の姿は子供たちを魅了しているが、この小型獣脚類「フクイベナートル」のような小さな恐竜は、この分野の研究のトレンドなのだという。大半の恐竜が絶滅してしまった一方で、小型化した羽毛恐竜のみが絶滅することなく進化をとげることができたからだろう。
論文で「羽毛恐竜から始祖鳥へ」をたどる
「恐竜が鳥に進化した」という学説は突拍子ないものであるため、幅広い議論が続いてきたが、1990年代半ばから中国で羽毛恐竜化石の発掘が続いたこともあり、「恐竜→鳥」の進化を立証するミッシングリンクがつながり始めてきた。福井県立恐竜博物館は世界各国の恐竜博物館や研究機関と提携を結び、共同研究を続けてきた。その提携先は9の博物館と研究機関におよぶが、とりわけ中国との連携が深い。
http://www.dinosaur.pref.fukui.jp/museum/relation.html
恐竜時代には日本列島はまだ現在の中国の一部だった。恐竜の化石が地層内に堆積したあとに恐竜は絶滅。そして、恐竜が永遠の眠りについている「地層=手取層群」も含む巨大な地層の塊が大陸から剥がれるように分離、移動して今の日本列島が形作られた。つまり、手取層群から出る恐竜化石は、もともとは今の中国大陸に棲息していたのである。現在の中国で発見される恐竜も福井県で発見される恐竜も連続した土地で棲息していた。
これについては、“第12回 発掘!「福井恐竜学」の現場”で触れている。
https://www.web-nihongo.com/wn/shirabemono/12/2.html/
日本と中国が連携して恐竜研究を進めるのは、当然なのだ。
福井県立恐竜博物館が、2005年7月15日~11月3日、中国地質科学院地質研究所とドイツ ジュラ博物館の特別協力を得て、恐竜から鳥への進化を軸とする特別展示「大空に羽ばたいた恐竜たち」を開催したのは、そういう協力活動の一環だった。

2005年7月15日~11月3日に開催された福井県立恐竜博物館開館5周年記念展示。主催・福井県立恐竜博物館、福井新聞社(出典:FPDM)

この特別展を見た私は、小学生時代から教科書でしか姿を見たことがなかった「始祖鳥」化石のいくつかを目の当たりにして、いたく感激した。また、「始祖鳥」の小ささにも驚いた。

2005年に開催された展示「大空に羽ばたいた恐竜たち」では1950年にドイツ、アイシュテットで1876年(明治9年)に発見された始祖鳥化石(ベルリン標本と呼ばれる)が日本での初展示が実現。写真はもっとも精密なファースト・レプリカ(山根のお宝です)。幼鳥と言われるが、それにしてもA4判におさまるほど小さい。

さらにその2年半後、福井県立恐竜博物館は「国際恐竜シンポジウム 2008・アジアの恐竜研究最前線」を開催したが、その中心テーマも「恐竜から鳥へ」だった(2008年3月22、23日)。

「国際恐竜シンポジウム2008」のポスター(出典:FPDM)

この時、羽毛恐竜研究の第一人者である中国地質科学院地質研究所の季強(ジー・チャン)教授が「中国の羽毛恐竜と鳥類の起源」という演題で講演を行っているのだ。

福井県立恐竜博物館で講演を行った季強(ジー・チャン)教授。手にしているのは2005年に中国の河北省で発見されたジンフェンゴプテリクス(華美金鳳鳥・Jinfengopteryx)。

この「恐竜→羽毛恐竜→始祖鳥→鳥」への進化のストーリーにはずっとわくわくしてきたのだが、この分野の新しい化石の発見や研究成果の発表が次々と出てきていることもあり、その流れや発見史がしっかりと頭には入っていないことが悩みだった。新しい分野の研究であるため、専門家以外にはきわめて理解しにくいのだ。
季博士の講演では、その情報整理と理解が間違いなく進むと期待は大きかった。だが私は、残念ながら講演を聞くために福井へ行くことができなかった。ところが最近、福井県立恐竜博物館の公開されている過去の資料の中に季教授の講演の予稿を見つけたのだ。
そのボリュームはA4サイズで2ページと少しと短いが、李教授が実際の講演で話したと思われる内容が濃縮されていた。これはいいぞと飛びつき、何度か読んだのだがチンプンカンプンで全然頭に入らない。
その理由は、登場する恐竜の数が22もあり、学名や和名を読んでもその恐竜のイメージが頭にはまったく描けないからだと悟った。
それは、たとえば、「テコドントサウルスがシェンゾウラプトルに襲いかかった」と書いてあっても、何のことやら???と同じことだ。

しかし、図解すればイメージがつかめるので先に読み進める。

この攻撃図式はあくまでも「たとえ話」ですのでお断りしておきます。

そこで季教授の講演予稿に各恐竜の図を付け加えて整理してみようと思い立った。「調べもの」では、ただ資料を得るだけではダメで、理解しにくい資料をわかりやすくなるように加工することが必要なのだ。これは、私が「調べもの」でいつも行っていることなのだが、どっこい、各恐竜の生体復元図と化石や骨格標本の図や写真を揃えるのは思いのほか大変な作業だった。22種の恐竜等の図を同じサイズにおさめて仕上げるのも難しく何度も中断を繰り返しておりましたが、何とかまとめられました。
という次第で、次回は、
「図解版・季強博士が明かす<中国の羽毛恐竜と鳥類の起源>」
をお届けします。
<第13回了/恐竜シリーズ「鳥と恐竜のミッシングリング」は後編に続きます>

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