第104回 春画と春本
昨年、東京・目白の永青(えいせい)文庫で行われた春画(しゅんが)・春本(しゅんぽん)の展覧会「SHUNGA春画展」は、入場者の過半が女性で、とくに若い女性が圧倒的であったと聞く。私などは自由な時代になって結構なことだと思う。
「春画」は男女の情交を描いた江戸時代の肉筆画や版画であり、「春本」はそれらが本の形になったものである。「春本」には、「ワ印(じるし)」「艶本(えんぽん、えほんとも)」「嫁入本(よめいりぼん)」などの別称がある。かなり以前、日本近世文学会の研究発表で若い女性研究者が、鼠(ねずみ)の嫁入を描いた絵本について「嫁入本」と連呼して苦笑させられたことなどを思い出すが、嫁入本とは、大名などへ嫁入する際に花嫁にプレゼントする性教育書でもあったことからこの呼称がある。
このような高級贈答品でもあった春画や春本は、浮世絵師たちの技術の粋(すい)を尽くした贅沢(ぜいたく)なものであった。この度の春画・春本展は、江戸時代の精巧な印刷技術で製作された性描写の芸術性を謳(うた)っていたところが盛会に結びついたのだろう。もちろん、これまで日本でこういった展覧会ができなかったという事情も大きいのだろうが。
江戸時代、今回の展覧会に出品された類(たぐい)の春画・春本は、隠されていたものでもなく、禁止されていたものでもなかった。今の法律や価値観からすると、何か「いけないもの」であるかのような印象を受けるが、江戸では、春画・春本が大らかに存在できた。それは、社会が性についてかなり開放的であったが故(ゆえ)の結果でもある。開放的と言うと野放しのような印象を持たれるかも知れないけれど、性も人間の生活の一部であると考えていたのである。
川柳に「孝行に売られ不幸に請出(うけだ)され」という有名な句がある。金に窮した親が娘を遊女に売り、その遊女が放蕩息子(ほうとうむすこ)に請出される皮肉な現象を詠(よ)んだものであるが、春を売る売春の町・吉原で、江戸時代は女性の性が堂々と売買され、そこに悲喜劇があった。
ところで、江戸時代、何度かの出版取締令で「好色本(こうしょくぼん)」の禁止が謳(うた)われているではないかとおっしゃる向きもあろう。春画・春本の方面の研究者は、好色本がすなわち春本だと考えているようだが、じつは、今回の展覧会のような春本は、出版取締令の対象ではなかった。幕府は、性描写に関する出版物の製作刊行については、幕末まで大らかに黙認していたのである。出版取締令によって取り締まられた「好色本」とは、色街などを舞台に社会風俗を乱すような淫(みだ)らな小説の謂(いい)であった。
ただ一度だけ、春本が好色本として取り締まられたことがあった。それは、幕末の天保の改革の時、「ご存じ遠山の金さん」こと町奉行遠山金四郎によってである。若い女性たちが夢中になって読みふけった恋愛小説である人情本(にんじょうぼん)と一緒に、春本も焚書(ふんしょ)され、板木は焼き捨てられてしまったのである。遠山金四郎は、このような本があるから世の中の風俗が乱れ出したという理由のもと、春本まで焚書(ふんしょ)するという勇み足をしてしまうわけである。このことは、拙著『捏造(ねつぞう)(ねつぞう)されたヒーロー、遠山金四郎』(小学館新書)に詳しく書いたので、そちらをご参照いただきたいと思う。
幕末頃になると、庶民のモラルが乱れていると唱える支配階級の武士たちこそ、とくに下級武士たち自身が経済的に困窮し出し、娘の身売りも珍しくなくなり、それゆえの春本征伐となったのである。
そしてさらに、明治以降、ヨーロッパの性モラルが持ち込まれ、性風俗が隠微(いんび)でひた隠しにされる時代となり、江戸の春画・春本は長く沈黙を強いられる時代がつづいたのであるが、ようやく浮世絵の芸術性が認められ、こんにちを迎えたわけである。
山東京伝(さんとうきょうでん)画『艶本枕言葉(えほんまくらことば)』(天明5年〈1785〉刊)より。桟橋の上で戯れる男女。左上に「じやうだん(冗談)をしなさんばし(桟橋)のまん中でひよつところ(転)ばゝいかにせんどう(船頭)」とある。
永青文庫…東京都文京区目白台にある、旧熊本藩主・細川家に伝わった美術品・典籍を保管する機関。「SHUNGA春画展」は、2015年9月15日から12月23日まで永青文庫で開催され、入場者は20万人を超えたという。同展は、2016年2月6日から4月10日まで、京都・東山の細見美術館で開催される。
天保の改革…天保年間(1830~44)に行われた幕府・諸藩の政治改革。天保12年(1841)、老中(ろうじゅう)水野忠邦(ただくに)によって着手され、倹約・風俗粛清などの統制が行われたが、忠邦の失脚により中止される。
遠山金四郎…1793~1855。江戸末期の幕臣。左衛門尉(さえもんのじょう)。名は影元(かげもと)。金四郎は通称。勘定奉行(かんじょうぶぎょう)・北町奉行などを歴任し、天保の改革を実行した。水野の失脚後は、南町奉行となる。
人情本…江戸市民生活の恋愛や人情の葛藤を描写した小説。文政(1818~30)頃に発生し、天保年間を最盛期として、明治初期まで続いた。代表作者の為永春水(ためながしゅんすい)は、天保の改革で罰せられる。