前回・前々回は、書いた覚えがまったくないのに更新だけはされているようで、ホッとしつつも不思議な気分だ。
眠っている間にこびとが靴を作ってくれるグリム童話『小人と靴屋』は、ほとんどの漫画家が(納期のある仕事の人が)心の底から
「あのこびとさんがいてくれたらなあ!」
と思ったこと数知れず、というお話だと思うのだが、その奇跡がたてつづけに2度も私の身に起こったということだろうか。
まあいい。
久しぶりに自分の脳で考え、自分の足でテーマを探してみよう。
珍しくぽっかり休日となった日曜日、都電荒川線にとび乗った。
どこで降りようかと考えながらゆられているうちに、そうだ、終点の三ノ輪橋駅で降りて、吉原に行こう、と考えた。
吉田の野郎、まさかソープに? と思った方はいやらしい方だ。
土手通りを歩き、吉原大門前を通って江戸~昭和初期の花柳界に思いをはせつつ浅草に出よう、というプランである。何よりたまの休日であり妻連れだ。
でも一人だったとしても、私は若い頃からフーゾクというものにあまりそそられないのだった。興味がないわけではないが、積極的にそういう場所に行きたいという気持ちがわかない。
であるが、いわゆる遊郭跡、赤線跡といわれる場所に対する興味は年々高まってきている。フーゾクに興味がないという気持ちの裏には「なんかヤバそう、怖そう、ボられたらいやだ」という臆病さがあるわけだが、そういう一般社会から外れた場所での仕事、暮らし方、あるいは街のたたずまいに、少しづつ興味を覚えてきた。
遊び好きではなくて街好き。
保健体育じゃなくて社会科。よくわからんが。
それはフーゾク産業に金を落とさない、単なるのぞき趣味であるともいえ、うしろめたいような気もするのだが、いにしえのそういう場所を思う時の懐旧の情のようなものはおさえがたい。
そんなことを思いながら、土手通りを歩く。
今は埋めたてられ、暗渠となった山谷掘の土手だったから、土手通り。
夜、隅田川から山谷掘に小舟を乗りいれた遊客たちの目にうつる不夜城・吉原の、大人のアミューズメント施設っぷりは、どうだったのだろうか。
失われてしまったもの、もはや二度と再現できないものに対するこの興味は、「恐竜って実際にそばで見たらどうだったんだ?」というのと、根はいっしょなのかもしれない。