第78回 猫の手も借りたい
師走を迎え年の暮れ近くになると、忙しくなる商売の人たちのなかには、「猫の手も借りたい」と嘆く向きも多くなろう。英語では“cat”は登場せず“We are very short-handed.”などと、素っ気ない表現になるらしい。
江戸時代以前から、猫は愛玩動物として可愛がられていた。同じ愛玩動物でも「犬」とは違って、猫はあまり役立たない動物と見られることが多い。「猫ばば」などは、猫が糞をしたあと、後ろ足で砂をかけて隠してしまう習性にちなむ悪事隠蔽(いんぺい)の言葉として使われているし、「猫に小判」という言葉も考えようによっては、猫は賢いものではない譬(たと)えとなる。
たしかに、犬などに比較すると人間のあまり役に立っていない。犬は番犬の役割を担うし、盲導犬や軍用犬など人間の役に立つ一面も兼ね備えている。だが、そんな役立たない「猫」であっても、その手を借りたいほど忙しいとなれば商売繁盛というわけで、近頃の景気云々のご時世から見ると羨(うらや)ましいということになろう。
江戸時代、川柳(せんりゅう)などで「猫」といえば、『源氏物語』の女三宮(おんなさんのみや)が可愛がっていた唐猫(からねこ)のことや、出家して東下(あずまくだ)りをした西行法師(さいぎょうほうし)が鎌倉で源頼朝(みなもとのよりとも)からもらった銀猫を、門を出るとすぐに、その辺で遊んでいた子供にくれてやったという逸話がよく詠(よ)まれている。または、元禄(げんろく)年間(1688~1704)の吉原の遊女・三代目薄雲太夫(うすぐもだゆう)がとても猫を可愛がり、猫を禿(かむろ)に抱かせて花魁道中(おいらんどうちゅう)をしたことも詠まれている。
遊び盛りの若い江戸っ子たちは、「猫」といえば、「ニャン」と鳴く猫ではなく、両国橋向こうの回向院(えこういん)を思い出したかもしれない。というのも、回向院の前にあった岡場所(私娼街)の女郎を「金猫」「銀猫」と呼んでいたからである。ひと晩の遊び代が「金猫」は金1分(ぶ)、「銀猫」は銀2朱(しゅ)で遊べたことから、この名がついた。金1分は1両の4分の1、銀2朱は1両の8分の1である。
ところで、猫などの役立たないものから役立つものまで、誰でも彼でも、何もかも、と言う意味で「猫も杓子(しゃくし)も」という言葉を使う。この「杓子」について、飯を盛る「おしゃもじ」としたのが平賀源内(ひらがげんない)。これにクレームを付けたのが、江戸の戯作者(げさくしゃ)・曲亭馬琴(きょくていばきん)である。「杓子」は「釈氏(神主とか僧侶)」のことで、卑(いや)しい者も高貴な人もこぞって、という意味であるとした。
勉強家の落語家として評判だった先代・三代目三遊亭金馬(さんゆうていきんば)は高座で、物知りのご隠居さんなどが出てくる噺(はなし)のマクラなどで、この馬琴の説について「猫も碩師(せきし。大学者、徳をたたえた人)も」が正しいなどと演(や)っていた。
本来は、馬琴の言うように、下卑の者から高貴な人までこぞって、というのが正しいかも知れないが、しかし、「猫の手」や「杓子」など、手にかかわるものの総動員という解釈も面白い。
何の役にも立たない未来の世界を描いた、恋川春町(こいかわはるまち)作の黄表紙(きびょうし)『無題記(むだいき)』(天明元年〈1781〉刊)より、「猫も杓子も芸者」になったらどうなるかの場面。年増の猫、杓子の踊り子、三味線箱を担いだ茶臼(ちゃうす)の一行がのんきに歩いている。茶臼で「お茶をひく」のはヒマな遊女のこと。また、臼は何でも粉にするところから、茶臼芸は何でも「こなす」けれど、どれもみな下手(へた)の意。
女三宮…『源氏物語』の登場人物。朱雀院(すざくいん)の第三皇女で光源氏の妻だが、唐猫に導かれて姿を見られたことがきっかけで柏木(かしわぎ)と密通。運命の子・薫を産む。「にょさんのみや」とも読む。
西行法師…1118~90。平安末期、鎌倉初期の歌人・僧。鳥羽院の武士として仕えたが、23歳で出家。家族を捨てて陸奥から中国・四国までを行脚する旅に出る。歌集に「山家集」など。「新古今和歌集」には最多歌数の94首入集。
三代目薄雲太夫…江戸中期の江戸・吉原の三浦屋の遊女。勝山、高尾、吉野らとともに高名な遊女。元禄13年(1700)に350両で身請けされたという。
回向院…東京都墨田区両国にある浄土宗の寺。江戸時代後期、境内で勧進相撲や見世物の興行が行われた。
平賀源内…1728~79。江戸中期の本草学者・戯作者・浄瑠璃作者。讃岐国(さぬきのくに。香川県)の人。自然科学、殖産事業の分野でも活躍し、エレキテル(摩擦起電機)の自製などで有名。著作に「風流志道軒(ふうりゅうしどうけん)」、浄瑠璃「神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)」など。
曲亭馬琴…1767~1848。江戸後期の戯作者。山東京伝(さんとうきょうでん)に師事してはじめは黄表紙などを書くが、文化の頃より長編の伝奇物語である読本(よみほん)を次々出版。『椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)』『南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)』など有名な作品を残す。
三代目三遊亭金馬…1894~1964。大正から昭和の落語家。大正15年(1926)に金馬を襲名。古典落語のほか、「相撲放送」などの新作も得意とした。