第 1回 善玉・悪玉 その1
「善玉菌」とか「悪玉コレストロール」という言葉をいちどは耳にしたことがあると思う。この「善玉・悪玉」という言葉がうまれたのは、江戸時代の大人のマンガ・コミックともいえる黄表紙(きびょうし)『心学早染草(しんがくはやぞめぐさ)』からである。
人間の心のありようをつかさどる魂(たましい)を半裸姿の絵で描き、人が善魂に支配されると善行をつみ、悪魂に取りつかれると悪行に走る、というわけである。悪魂は、まるで貧乏神や死神のようなものだという。その善魂・悪魂を「善玉・悪玉」と呼ぶようになった。
『心学早染草』の作者は山東京伝(さんとうきょうでん)、出版されたのは寛政2年(1790)のことである。この書名は、宝暦10年(1760)に神田橋元町二丁目の伊勢屋ゑい七が売り出して大評判になった、インスタント染め粉「早染草」をもじったものだ。これを読めば、当時大流行していた心学の教えが、「早染草」のように、たちまち身に染みこむというのである。
さて、まじめだった息子・理太郎(りたろう)は「悪玉」に取りつかれ、江戸の遊廓・吉原へつれていかれ、遊女・怪野(あやしの)のとりこになってしまう。図版は、悪玉と善玉に手を引かれ右往左往する理太郎。このあとついに善玉は悪玉に斬り殺されてしまい、理太郎は悪行のかぎりをつくすが、善玉の女房と子どもたちが悪玉をやっつけて、理太郎が正気にもどるというストーリー。
この「悪玉」は若者にうけ、「悪」と書いた丸提灯をさおにくくりつけて高くかかげた少年たちが夜な夜な街中を走りまわり、町奉行が禁止令を出したほどであった。今風にいえば暴走族である。作者・京伝は勧善懲悪の黄表紙に仕立てたつもりであったようだが、悪玉は悪のヒーローとしてもてはやされてしまった。これだから世の中はわからない。
悪玉に引かれて「ああ、いっそ居続けよう」、善玉に引かれて「いや、早く帰ろう」と、遊廓の廊下を行きつもどりつする理太郎。遊女・怪野(右)は「お帰りなんすとも、居なすんともしなんしな、ばからしいよ」とあきれ顔。(小学館刊『新編日本古典文学全集79 黄表紙・川柳・狂歌』より。『心学早染草』東京都立中央図書館加賀文庫蔵)
黄表紙…江戸後期に出版された絵入りの読み物。洒落と風刺を織り交ぜた内容で、表紙や本文の絵に工夫をこらした。表紙が黄色であったことからこう呼ばれ、安永4年(1775)から文化年間(1804~1818)にわたり流行した。
山東京伝…1761~1816。江戸後期の戯作者・浮世絵師。北尾重政(しげまさ)に浮世絵を学び、北尾政演(まさのぶ)としても活躍。黄表紙・洒落本(しゃれぼん)の第一人者となりベストセラーを次々発行。寛政の改革で洒落本が発禁になり刑を受け、以後は読本(よみほん)と考証随筆を書いた。
心学…江戸中期、石田梅岩(ばいがん)がとなえた神道・儒教・仏教を融合させた実践道徳の教え。心を正しくし身を修めることをとく。中沢道二(どうに)などが講釈して大いに広めた。