第八回 「しょっぴかれて、春」

第八回 「しょっぴかれて、春」

 しょっぴく、は「そびく」から来ており「強くひっぱる、無理に連れていく」という意味が、警察沙汰関係の言葉として定着したもののようだ。そびく
→ しょびく → しょっぴく、という変化か。
 無理に連れていかれたわけではないが、警察にしょっぴかれた。
 春であり花粉症対策のために、ポリエステル地の、かなり使いこんでよれてきている軽いパーカを羽織り、新しい服を買ってもいいか、などと考えながら、昼過ぎの雑踏を歩いていた。
 おまわりさんが二人、横断歩道わきに立ち、あたりに目を配っている。また何かあったのか?
 何があってもおかしくない、インターナショナルな色彩の濃い繁華街である。日本の、東京の平和をたのみますよ、おまわりさん、などと適当なことを考えながら、その横を通り抜けた。
 声をかけられた。
 若いほうのおまわりさんだ。何かを丁寧に話しかけられているが
「え? オレ? 何?」
 というとまどいに、しばらく内容を把握できない。
「・・・・・こういうですね、カバンを持った方に、中身をお聞きしてるんですよ。何かあぶないものというか・・・・・」
 ピンときた。

 飲み友達がかつてやられた、という話を半年ほど前に聞いていた。
 やられた、といったら言葉が悪いが、アウトドアメーカーのザックを背負っている人間がいかにも持っていそうな、小型のアーミーナイフ、十徳ナイフなどともいわれるあれの、不法所持の摘発である。
 凶悪で痛ましい事件が目につく昨今、取り締まりがきびしくなっているのか、ザックをしょって一見おとなしそうな感じの人間が(おれだ、おれ)秋葉原で狙われたりしているらしい。などという話を聞き、おお、怖えー、と思ったことがあったのだ。
 数年前から、登山、スキー用に買った小さい多機能ナイフを、ごく当たり前のつもりでキーホルダーとして持ち歩いていた。
 刃渡り2.5cm程度のナイフ、ハサミ、爪やすり、ツマヨウジ、毛抜きがついたその愛らしいツールが、場合によっては軽犯罪法違反の対象になるということなど、まったく知らなかった。
 知ったからには、なお持ち続けたいというほどの愛着はなく、あっさりと「夜光るガイコツ」のキーホルダーに、一度はつけかえた。
 それを、今年になってから再び鍵につけ、持ち歩いていた。
 スキーや旅行など、遠出をすることが多かったためであり、旅先ではやはり何かと重宝するのである。
 気がゆるみ、油断していたといっていい。
 「あー、これのことですか」
 苦笑しながら、ポケットから鍵をとりだした。おまわりさんの目が、軽く「すわった」ように見えた。
目が据わる」というのは「酔いや怒りのために眼球が動かなくなる」ことだそうで、言われてみれば確かにそうだよなあ、なのだが、警察官の正義の目もまたすわることがあるのである。
 今思えばとても悔しいが「・・・ビンゴ」などと思ったにちがいないのだ。
 若いおまわりさん(A)よりは年長だが、これまた若いおまわりさん(B)が、すっと近よってきた。
 Aが、初めて見るかのように白々しく、ナイフを手にとり、あちこちを調べる。通行人は多く、道行くたくさんの目がこちらに向けられてくる。自分の身に何が起こったか、ようやくわかってきた私の体に汗がにじんだ。
 ひととおり、こういうものを無目的に所持していてはいけないのです、といった説明を受け、今日これからどちらへ? お仕事ですか、お休みですか、調書をとらなければならないんですよ、時間はありますか? などと立て続けに質問される。
 生意気にも美容室の予約をしており、今すぐ警察署に行く時間はない、と申しのべた。
「それは伸ばすことができないんですか?」
 髪をか? 髪はもうかなりうっとうしくて・・・・・
「あ、いやいや予約をです」
 予約か。それは数日先に伸ばそうと思えば伸ばせるが、このあたりで私の覚悟も固まり、日本語にも力がこめられるようになっている。やましいことはしていないし、逃げ隠れするつもりはない。
 髪は今日、予約した時間に切りたい。このナイフは預けるから、後日うかがうということではいけませんか?
 今回の一枚(クリックすると大きく表示します)では交番に来てちょっと手続きを、ということになった。Bはコンビニに私の免許証のコピーをとりに行った。
 Aに引率され、駅前の交番まで歩きながら細かい質問は続く。
 住所、本籍、年齢、身長、体重、利き腕、足のサイズ、購入場所・・・・・
 すでにこちらも取材モード全開となり、答えながら全力でこの状況に集中している。手のひらにべっとり汗をかきながらではあるが。
「お仕事は・・・・・」
 いつもは自営と書いていますが、マンガ家をやっています。
「マンガですか? へー、すごいなぁ」
 あまりそう思っていなさそうな返事。この場ではペンネームまでは名乗らずにすんだ。
 毎晩の激務を思わせる、薄汚れた交番に到着。酔っ払いや、怪我人の血のにおいが染みついているようだ。
「生化学防護服、防護マスク」と書かれた金属製の大きい箱などがある、奥の部屋に案内された。
「すみません、表が今たてこんでいまして、こんな取調室みたいなところで」
 おまわりさんたちは、時にきびしい目をちらりと見せるけれど、基本的にはものやわらかで紳士的な物腰だ。
 合流したBが新人のAに手順を教えこむような気配も感じさせながら、書類手続きや説明は進んだ。
「そうそう、このナイフは、何か記念品というか、形見であるとか、そういうことはありますか?」
 Bである。そういうものであるなら、場合によっては返してもらえるようだった。
 そういうものではないが、いっしょに甲斐駒ケ岳や屋久島に登った、愛着ある道具である。できれば返してほしい、と答え、では後日担当者に相談を、ということになった。
 ふらふらと「娑婆に戻った」ような気持ちで歩きだす私の背に、再度Bの声。
「そうだ、すみませんけど、あさっては、なるべく今日と同じかっこうで・・・・・ 今日の状況を写真に撮りたいので、シャツとかはけっこうですから、ジーンズとよれよれの上着と、そしてザックは同じものでお願いします」
 よれよれの、はウソであるが、めまいがするような思いがした。
 私服を具体的に指示される、ということの非日常感。
 まだ娑婆に戻ったわけではないのだ、明後日の夜、おれは取調室でカツ丼を食うのだ・・・・・と思った。

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